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砂城建築家

 砂の城を作る。繰り返し、何度も何度も。楼閣や天守などいらない。山のような砂に入り口の穴と、明り取りの窓がついていれば、それはもう城だ。
 砂浜には無数の城が並んでいる。城主のいない、空っぽの城。私の手で築いた城。
 碧い海から寄せる波は城にあと一歩届かない。悔しそうに白い牙で城の手前の砂を掘って帰っては、新しい砂を運んでくる。
 私はその城と波のあわいから濡れた砂を運び、新しい城を作る。
 砂浜には誰もいない。私だけだ。空にはそんな孤独な私を見下ろす灼熱の目がある。動かない太陽。永遠の陽。ここは、永遠に午後二時を刻み続けている。それはつまり、午後二時という刹那を無限に繰り返していると言い換えることもできるのだが。
 その永遠の中で、私は砂の城を作り続ける。なぜなら、私は「砂城建築家」だからだ。
 現世の何もかもをかなぐり捨てて、辿り着いた場所。もうこれより他に私の行く場所はないし、私を受け入れる世界もない。
 砂の城を作る。繰り返し、何度も何度も。楼閣や天守などいらない。私が築けば、それが単なる砂の塊であろうと、城になる。

 子どもたちが喧嘩する声で目が覚めた。弟が兄に言い負かされて、先に手を出して、兄の手痛い反撃を受けて号泣する。いつものパターンだ。だが、早朝から喧嘩とは珍しかった。
 枕元に手を伸ばし、眼鏡を探ると同時に床に脱ぎ散らかされた衣類の中からカーディガンを見つけ、それを羽織ると眼鏡をかける。
 ベッドから足を下ろし、足の指を閉じたり開いたりしていると、それがなんだかハサミを持ち上げて威嚇しているザリガニみたいだなと思ってふっと笑う。首を捻ったり捩じったりして、肩を回す。三十を過ぎてからの朝のルーティーンだった。こうしてから動き出さないと、どうにも一日体が重い気がしてしまうのだった。
「アナタ!」と妻の怒気を孕んだ鋭い声がとぶ。私は閉口しながらも「今行くよ」と答えてコバルトブルーのスリッパを履く。
「こら、やめろ。冬馬、夏希」
 取っ組み合いの掴み合いの喧嘩をしている二人を引きはがして、弟の夏希の方を抱き上げる。冬馬の頭に手を置いて、「何が原因なんだ」とまず冬馬に訊く。
 冬馬はむすっと不服そうな顔をしながら、「夏希が僕のガンダムの、ユニコーンの角を折った」と私に向かって角のブレードが折れたガンプラを突きつける。「わざとじゃないもん!」と夏希は叫んで、私の腕の中は安全圏だと考えているのか、冬馬に向かってあっかんべーをした。
「やめなさい、夏希。わざとじゃなくても謝るべきだろ」
 謝ったもん、と今度は夏希がふくれっ面になる。「謝ってもらってない」と冬馬は主張し、涙を目に溜めている。
「夏希、相手に伝わらなきゃ謝ったことにはならないんだよ。夏希が心から壊しちゃってごめんなさいと思っているのなら、もう一度謝ろう」
 夏希はするすると私の腕の中から降りていって、パジャマの裾を握りしめながら口を尖らせて、「ごめんなさい」と頭を下げた。
「冬馬も、後で角は接着剤でつけてやるからな」
 うん、と浮かない顔ながらも納得はしたらしい様子で、だがもう壊されるのは嫌なのか、夏希が届かない棚の上にガンプラを避難させていた。
「今日は予定あるの?」
 妻が子どものお弁当用の玉子焼きを焼きながら、こちらを見ずに訊ねる。私は妻の後ろを通って流しからグラスを取り出すと、水を一杯、喉を鳴らして飲んだ。一晩の睡眠の渇きは、私の体を砂の塊のようにさらさらにする。吹かれれば飛んでしまうような、塵のような砂に。
「面接がある。小さいけれど、出版社の営業の仕事だよ」
 私は三年前に早期の胃がんに罹ったことで体調を崩し、がんは治癒したものの、復帰した職場に馴染むことができずに心を病み、ほどなくして十年勤めた会社を退職し、無職になった。それから一年半ほど、私は治療と就職活動に明け暮れてきたが、復帰の目途が立たない。今回面接まで漕ぎつけたのは半年ぶりくらいだった。
「……そう。うまくいくといいわね」
 妻は疲れ切っていた。私に収入がないから、妻も働きに出ざるを得ない。私の再就職も最初の頃は期待して張り切って送り出してくれたが、こうも失敗続きだと希望ももはや見いだせないのか、惰性な返事になってしまう。だからといって妻を責めることはできない。すべては私が招いたことなのだから。
 本当だったら、そろそろ一軒家を買って、ああいう生活をしてみたり、子どもたちも成長してこんな楽しみがあったり、と順風満帆な人生の設計図を、二人で描いていたはずなのだ。それを私が突然、投げ出してまったく違う設計図を描きだした。それは妻にとってみたら、ひどい裏切りだろう。
 トーストにバターを塗って食べ、子どもたちの通園通学の着替えを済ませると、私もスーツに着替えて、一足先に家を出る。面接の時間まではかなり余裕があるが、これ以上家にいると私は溺れてしまう。家の中に立ち込める空気は水のようで、重たく冷ややかなのだ。暗い水槽の中で飼われている熱帯魚のような気持になってくる。
 駅中のタリーズに入って、たまごサンドとアイスコーヒーを買って席に座る。私と同じようにスーツを着た人間はちらほら見かけるが、彼らと私では根本的に違うのだろうな、と思った。彼らの内の一人は席でパソコンを操作して仕事をしている様子だったし、他の一人は取引先らしき人物と電話していた。
 私だけが、スーツを着た何者でもない何か、なのだ。
 正直羨ましいと思う。何者かであれる彼らが。私もかつては何者かだった。だが、その名札を私は返却してしまったのだ。そしてこの社会では、一度返却した人間には冷淡で、名札はすべて新卒の若い人材に配布されてしまうし、よしんば名札が余っていても再度配布してくれることは滅多にない。
 私の心の中にはカマキリのような黒い虫が住んでいて、こうしたとき、心の中をカマでごりごりと削り取ってしまう。そしてその削りカスが心の中に溜まっていくと、私の精神は不安定になり、夜眠れなくなったり、白昼幻覚を見たりするのだ。元気なとき、虫は小さくなって大人しく息を潜めている。だが、一度私の不安を察知するや大きくなって、カマを振りかぶって飛んでくる。
 私は深呼吸してアイスコーヒーを一口飲むと、鞄の中から文庫本を出して開いた。たった一人の上司を亡くした新米女探偵が事件に立ち向かう海外ミステリだ。文章の密度が濃く、読むのになかなか骨が折れる。家で子どもの喚き声を聞きながらでは読み進められない一冊だ。
 三十分ほど読んだところで集中力が切れ、テーブルに文庫本を置くと、隣の席で電話している若いビジネスマンはまだ電話していた。否が応にも会話の内容が耳に入ってきてしまう。
「ですから、建築家ですよ。城の。一つ作るだけで報酬は十万円です。破格でしょう」
 ふうんと聞き耳をたてながらコーヒーを口にする。
 成功報酬十万円。城一つで。安くないか。そもそも今のご時世どこに城を立てる土地が余っているというのだ。
「砂の城ですよ。大きさは自由。小さいものでも十万。大きいものも十万。どうです? いい話じゃあありませんか」
 砂の城。冬馬や夏希と作った公園の砂場の城が蘇る。冬馬と作ったときは妻も一緒にいて、妻が張り切って砂を掘って山を築いていた。鼻の頭を泥で黒くして、冬馬が揺れる向日葵のような眩しい笑い声を上げて、それにつられて私も妻も笑った。夏希のときは私と夏希、二人だった。妻と冬馬がインフルエンザに罹って、少しでも接触する時間を減らそうと外に出たのだった。夏希はお子様セットについてくる国旗を大事にとっていて、それが三つあったから三つの塔でできた城にしたのだった。完成したとき、夏希は手を叩いて喜んだ。そこへ雪がちらちらと舞い落ちてきたものだから、一層大はしゃぎだった。
「え、そんなうまい話、砂上の楼閣じゃないかって。いやだなあ、お客さん、誰がうまいこと言えって言いました」
 隣の若いビジネスマンは、丸顔でふくよかな体形の、雪だるまのような男だった。汗っかきなのかハンカチを手にしてしきりに汗を拭いている。優しげで、人が好さそうな顔をしている。菩薩顔、というのだろうか、なんだかある種の悟りを開いていそうな顔だ。それがいいにつけ悪いにつけ。
 会話の行方が気になるが、そろそろ時間だと立ち上がって、面接場所の都内の小さな出版社へと向かった。菩薩顔のビジネスマンがこちらに一瞥をくれた気がしたが、気にせずその場を立ち去った。彼は「十万ですよ、十万!」と繰り返していた。
 結果から言えば、面接は散々だった。
 雑居ビルの三階にある会社に到着すると、他に二名ほど受験者がいて、全員小会議室のような場所に連れていかれ、面接の課題として、その出版社の本が一冊用意されていて、それを客が買いたくなるようにプレゼンしろと急に言われた。我々受験者三人は顔を見合わせて戸惑ったものの、専務と自己紹介した、平家蟹のような顔をした男が「早くしたまえ!」と苛々しながら怒鳴り散らすので、当着順にプレゼンすることになった。
 だが、内容も何も知らない本の紹介をしろと言われても、急にできるものではない。前の二人はしどろもどろになってしまった挙句、平家蟹の専務から「もういい」と途中で打ち切られて退出させられてしまった。
 私は何も思いつかなかった。頭の中が真っ白だった。専務の後ろに眩しい太陽の光があって、私は不意に波の音を聞いた気がした。勿論、オフィス街に海などあろうはずもない。けれど、私の耳は追憶を呼び覚ますように、波の音を繰り返した。
 家族で海に行ったのは、いつが最後だろう。夏希はまだほんの赤ちゃんだったな。冬馬も幼稚園に上がったばかりで、押し寄せる波を怖がって私の足にしがみついていたっけ。パラソルの下で妻と夏希がけたけたと笑っていた。小さな蟹を釣ったり、冬馬を抱っこして波に揺られていたり、ゴムボートに乗せてやったり。ああ、楽しかったなあ。なぜあの頃からこんな風に、私は転がり落ちてしまったのだろうと、目が潤んだ。
「この本を買えば、十万円稼げます」
 我に返った私は、自然とそう口にしていた。その口調はあの菩薩顔のビジネスマンそっくりだった。
「一冊買えば十万。十冊買えば百万です。本の定価は千五百円。安い買い物ではありませんか」
 私はそれを繰り返し、専務に「もういいよ」と言われてしまって、自分が失敗したことに気が付いた。
「まあ、前の二人よりはいいね。でもね、嘘はよくないよ、嘘は。今はコンプライアンスだなんだとうるさいからねえ」
 専務は笑っているのか怒っているのか分からない顔で淡々と言うと、「合否は追って連絡します」と突き放すように言った。私も自分に対して腹が立っているのか、ここまで失態続きだとかえっておかしいのか分からない、きっと平家蟹のような顔をしていて、「失礼します」と勢いよく頭を下げて会場を出た。
 とぼとぼと街を歩きながら、不動産屋の窓に映った猫背で情けない顔をした私を見て、これが現実なんだとうんざりした。
 駄目だった今日が昨日になって、でもまた巡ってくる今日も駄目で。駄目な昨日と今日を繰り返していても、私はどこへも行けない。それどころか、砂時計のように人生に必要なリソースが零れ落ちていって、ゲームオーバーになる日が確実にやってくる。ゲームならもう一度やり直せばいい。でも、人生はそういうわけにはいかない。なんだって、ゲームはやり直しができるように作られているんだ? 現実とは大きく乖離するような非現実を搭載したのはどうしてだ。そうか。ゲームは理想の世界だから、むしろ現実がゲームの方に近付くように作り変えられるべきなんじゃないのか。失敗してもやり直しができるように。
 帰り道にゲームセンターを見かけて、ふらっと立ち寄りクレーンゲームをする。アームを操作して、うまくぬいぐるみを掴んでもアームの力が弱いのか、ぬいぐるみは滑り落ちていく。何度やってもうまくいかないものだから、帰りの電車賃までつぎ込んでしまい、手元には何のキャラクターか分からない、大きなぬいぐるみだけが残った。
 とりあえず駅までは入り、切符売り場の前に立ったものの、金がない。乗る手段がないのにこうしているのは間抜けだ、と考えて踵を返そうとすると、後ろから肩を叩かれる。
 振り返ると、面接前、タリーズで売り込みの電話をしていた、丸顔の営業マンが立っていた。
「どうも。お時間少しいただけませんかね」
 彼はにっこりと、スマホの絵文字のにっこりマークのような設計された笑顔を浮かべると、私の返事を待たず先に立って歩き出した。私も糸で引っ張られているかのように彼の後ろをついて歩く。
 再びタリーズに入ると、彼はコーヒーを二つ注文し、奥のソファ席へと私を誘う。私が腰かけたときにはもうテーブルの上には勧誘の書類一式を広げ、男が名刺を差し出していた。
「私、株式会社サンドキャッスルの営業部長をしております、砂川と申します」
 名刺を受け取りながら、「部長さんですか」と若く見える男を見つめると、彼は「親父の会社なもんで。実際は偉くもなんともありません」と恐縮して頭を掻いた。その姿勢は私には好意的に映った。
「それで、なぜ私にお声がけをしていただいたんでしょう」
 訝りながら訊ねると、砂川は「ご不信はごもっとも」と大きく頷いた後で、体をぐいっと前のめりにして、囁くような声で「面接、うまくいきませんでしたね」と言って片方の口角をくっと上げて笑む。
「なぜそれを」
「いやね、私には分かってしまうんです。ああ、この人今日就職面接だな、とか、あ、やっぱり駄目だったか、とかね」
 砂川は次の段取りを整えるように、テーブルの上のクリアファイルから資料を一枚一枚出していき、「あなたの顔は、特に分かりやすかった」と申し訳なさそうに言った。
 私も観念して、「おっしゃる通りです。また、駄目でした」と白状する。
「仕事とは縁でしてね。いくらいい学歴があっても、縁がなきゃいい仕事には就けません。この縁って奴は、人と人との繋がりが多ければ多いほど結びやすくなるもんです」
 自分とは真逆だ、と思う。繋がりがあるのは家族だけで、その家族の繋がりも希薄だ。私なんかいてもいなくても変わらない。むしろいなければ、今はシングルマザーへの支援も手厚くなってきている。お荷物の私がいるより――限りあるリソースを食い潰すだけの寄生虫である私がいるより、暮らし向きは楽になるだろう。
 私は、縁とやらを軽んじてきたから、この窮地に追いやられているというのだろうか。
 でもね、と砂川は唇をちょっと舐めて一枚のカラー刷りの資料を差し出した。ターコイズのような青い海と白い砂浜が広がった美しい写真だった。
「縁を断って断って孤独になった人、縁に恵まれず、そもそも結べなくて孤独な人を救おうというのがウチの会社の経営理念でしてね。お客様はその点、ぴったりだと、勝手ながら判断して声をかけさせていただいたんです」
 砂川はハンカチを取り出し、汗を拭きながら言った。
「具体的にどんな事業なんです」
「簡単です。砂の城を作るんです」
 え、と訊き返すと、砂川は慣れたように別の白黒版の資料を取り出した。
「とある海の砂浜で、城を作っていただくだけでいいんです。どんな城かは問いません。あなたが城だと主張されるなら、それで構いません。報酬は城一個につき十万円。報酬の上限はなし。いくら作っていただいても結構です」
 ちょ、ちょっと待ってください、と私は砂川が説明を続けようとするのを遮る。
「そんな荒唐無稽な話、信じられません」
 なぜです、と砂川はきょとんとして私の顔を眺めた。
「だって、砂の城を作って何になるんです。それに報酬も破格だ」
 うんうん、と砂川は頷いて、「ごもっともです。ですが、『城を築く目的には触れないこと』これが契約の条件なので、それにはお答えしかねます」と契約約款と書かれた書類の第六条を示した。あらかじめマーカーが引いてあるということは、みな確認するところなのだろう。
「報酬については、まあ、正当ですよ。仕事を引き受けていただく上でもう一つ条件がありますから」
 条件、と首を捻る。
「ええ、孤独な人を救うのが私たちの仕事です。ですから、あなたには孤独になってもらわなくちゃならない」
「つまり」
「仕事の期間中ご家族との接触は一切できません。した時点で違反と見なし、罰則が適用されます。まあ、電気も通っていないし、電波も届かないので、通信手段がありませんが」
 罰則と書かれた項目を見ると、城の報酬権利の剥奪と、任地からの帰国手段の剥奪と書いてあった。つまり『帰国』が必要な海外の砂浜で仕事をさせられるということだ。
「報酬は現金払いか振り込みか」
 砂川はにっと笑って「指定の口座に振り込ませていただきます。それに奥様には私どもから事情を説明させていただきますので」
 そうですか、と言ってため息を吐き、ソファに包まれるようにもたれる。
 城を作り続ければ、当座の生活費はおろか、子どもたちの進学資金や老後の蓄えまでできるかもしれない。一個で十万。十個で百万。百個作れば一千万だ。八時間勤務と考えて、一時間に一個城を作れば、一日八十万。二十日働いて、月収千六百万。年収一億九千二百万。二年も城を作れば、悠々自適な生活が送れる。日本であくせく働くのが馬鹿らしい数字だ。
 胡散臭い話だと思わないでもない。だが、藁にも縋る思いだった。何か仕事をしたい。働きたい。家族の役に立ちたい。それが満たせるのなら、悪魔の囁きだったとしても、構うものかという気持ちだった。
「働く期間は?」
 砂川は首を振って、「定めはありません。お好きなだけどうぞ」と答える。
「他にこの仕事を受けている人は」
 砂川はやはり首を振って、契約約款の七条を指さして「他の契約者に関することを詮索しないこと」と読み上げる。「ただ、任地では一人です。誰かと一緒になることはありません」
 孤独。孤独が私には合っているのかもしれない。誰かと働くということが、できないのではないか、と遅まきながらに薄々分かってきたことだ。私は誰とも一緒にいたくないし、誰かに一緒にいたいと求めてほしくもないのだ。社会性をもった動物である人間として欠陥品である者、それが私だ。
 私が「受けるよ、その話」と顔を上げると、砂川は待ち構えていたかのような、目じりや口角の角度まで設計されたような整然とした笑みを浮かべて手を差し出した。「商談成立ですな。あなたは今日から砂城建築家です」
 私は一瞬躊躇ったがその手を取り、契約は成立した。

 砂の城を作る。繰り返し、何度も何度も。楼閣や天守などいらない。山のような砂に入り口の穴と、明り取りの窓がついていれば、それはもう城だ。
 砂浜には無数の城が並んでいる。城主のいない、空っぽの城。私の手で築いた城。
 私は砂浜から離れたヤシの木陰にある東屋の水道を捻って喉の渇きを潤し、石鹸を泡立たせてカミソリで髭を剃る。髭など伸ばしておいても構わないのだが、月に一回の物資の定期便で人に会うこともあるし、日常動作に組み込んでおかないと、自分という人間がどんどん怠惰な方に向かっていき、そのうち野生に還ってしまうのではないか、と危惧しないではないので、髭や湯浴み、洗髪には気を遣っていた。
 ここが何という国で、どこの島なのか、私には分からない。定期便で物資を届けにくる男は絶対に口を利かなかったし、それ以外の訪問者はない。島のほとんどが広大な原生林で覆われていて、完璧な生態系を築き上げていたので、私は海岸からそのジャングルの方に入って行って生態系を乱そうとは思わなかった。不思議なことに、鳥や蛇やその他の獣も、海岸にはまったく近づかなかったので、私としては身の危険を感じる必要がないことは助かった。
 砂浜には誰もいない。私だけだ。空にはそんな孤独な私を見下ろす灼熱の目がある。動かない太陽。永遠の陽。
 機械式の腕時計は午後二時を指したところで止まり、その後いくら巻き直そうとも二時以外を指さないので、どこかにうっちゃってしまった。そして太陽もまた、二時の位置でその姿を留めたまま一日が過ぎる。いや、もはや昼夜の概念がなく、時間すら測れない以上、日という概念は無価値なのだろう。
 私にとっては二時という時間に留まり、永遠に揺蕩っているのであり、それはまた、二時という刹那を途切れることのないパラパラ漫画のように繰り返しているとも言えるのだった。砂の城だけが、そうした時間の檻から逃れ出ているように思えてならなかった。
 私は「砂城建築家」だから、砂浜に城を築く。もう幾つ築いたか分からない。千までは数えていた。だが、そこから先はどうでもよくなった。金を得るために始めたことだが、城を築く度、金や現世への執着は薄らいでいった。ただひたすらに城を作る、そのことに没頭した。
 私は私から世界を捨てたのだと思っていた。だが、城を作り続け、そうではないことを知った。ここは、世界から捨てられた者が最後に辿り着く廃園なのだ。ここに足を踏み入れたものは、二度と世界には帰れない。そのことを、入った瞬間初めて知るのだ。砂川も、そのことは説明しなかった。恐らく意図的だろう。
 私はまだ幸福であったかもしれない。城を築いた行為は無駄になることなく、家族の生活に資するのだから。だが、いつの日にか帰ってこないことを訝しがり、帰りを期待しなくなり、家族は新しい暮らしへと漕ぎ出だすことになるだろう。それでいい。
 砂の城を作る。繰り返し、何度も何度も。やがて私が入ることになるであろう墓標を、今日もせっせと作り続けている。

〈了〉

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