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鞠の天蓋

 わたしが生まれたのは、小雪が舞い散り始めた、明け方のことでした。
 生まれた時、母は一人でした。勿論産婦人科医や看護師はいましたけれども、分娩室の外でわたしが生まれるのを待っている人は、一人もいませんでした。
 当時はまだ立ち会い出産、などということは珍しく、また田舎のことでしたから、男が出産に立ち会うとでも言おうものなら、奇異の目で見られたことでしょう。でも、父は生まれる前も、生まれた後も、立ち会うことはおろか、母の病室を見舞うことすらありませんでした。
 そのことを聞かされた時、わたしはただ純粋に母に申し訳ないな、と思いました。わたしが女ではなく、男として生まれてきたのなら、母の出産は祝福に満ちたものになったでしょうし、その後も母子ともども、大切にされて暮らすことができたはずです。そのときは、愚かにもそう信じたのです。
 母は子どもができないだろう。また、もしできたとしても、二人以上産むことはできないと言われていた体でした。そんな中でも、跡継ぎさえ産むことができれば、と頑張った結果がわたしでした。
 いえ、母はわたしをとても愛してくれました。誰からも望まれない女児だったにも関わらず、むしろだからこそ、周りから得られない愛情を埋めるかのように愛情を注いでくれたのです。その過剰とも言える愛情が、後に暴走する悲劇を巻き起こしてしまったのかもしれませんが。
 わたしは父によって名付けられました。出生届の提出期日間際に、昼間から酒を飲んで帰って来て、届に名前を書き殴ったそうです。母は父が熟慮に熟慮を重ねて付けてくれた名前なんだよ、と言い聞かせるように言っていましたが、わたしは意地の悪いお手伝いさんから本当のことを聞かされていました。
 父は、その日飲み歩いていた飲み屋にいた三人の女性の源氏名から一字ずつとり、名前を付けたそうなのです。確かに、言われてみれば納得でした。わたしに関心のなかった父が付けたにしては煌びやかな名前で、かつリアリストだった父に似合わず、ロマンチックなところのある名前でした。
 父が付けた名前は、「舞璃乃(まりの)」。私は天賀谷家に生まれた一人娘でしたから、天賀谷舞璃乃、となります。
 天賀谷家について、わたしは詳しくは知りません。武士の出で、古くはこの町一帯を治めていたけれども、明治の廃刀令を待たずして刀を捨て、商いを始めたということぐらいです。それから、どういうわけか、天賀谷家に生まれたものの中には、異能を授かって生まれてくるものが多い、ということです。
 異能、と一言で言っても、発現するそれは千差万別で、天候すら左右し、巫女として君臨した女傑もあれば、離れたところにある物質を揺り動かすくらいの力しか持たなかった者もいました。天賀谷家の歴史上、最も珍重されたのが『未来を視る』異能でした。かつてこの異能を発現させた子どもは、大名に召し抱えられ、領内に起こる災いや隣国との争いを予見し、領内と、天賀谷家にそれまでにないほどの繁栄をもたらしたと語り継がれています。
 ただ、異能がいつ発現するのか、そもそも発現するのかどうかは起こってみるまで分かりません。乱世の頃や江戸時代にはそれなりに発現した記録が残っていますが、現代においては発現したという事例らしきものはほとんどなく、最早眉唾な伝説になり果てていました。
 その天賀谷家の中で、わたしは暮らしていました。しかし、祖父母や父と会うことはほとんど許されず、母と二人で過ごしました。それには寂しさを感じるほどだだっ広い洋間に押し込まれ、一日のほとんどの時間をそこで費やしました。
 食事こそ三度三度正確な時刻に運ばれてきましたが、この正確な時刻というものが厄介で、運ばれてくるのも正確なら、下膳されるのも正確なのです。子どもだからといってもたもたと食べていると、あっという間にお手伝いさんたちがやってきて、どれだけまだ食べていても、無情にも下げていってしまうのです。そしてそうしたことは生活のあらゆる部分に及びました。
 今だからこそ、それはまるで監獄の中の生活のようだ、と思うこともできますが、子どものわたしにとってはその生活が当たり前でした。窮屈さを感じることはあっても、それから逃れようなどと考えることは、到底幼いわたしの頭には思い浮かびませんでした。
 お手伝いさんたちは、何の権利があってかは知りませんが、母のことを蔑んでいました。汚れた罪人に触れるかのように、母に対しては感じる忌まわしさを隠そうともしないようで、母もなぜかそれを了承して甘んじて受け入れていました。本来なら、天賀谷家の若奥様である母にそんな態度は許されるはずがありません。当時のわたしにはそこまでは分かりませんでしたが、母が侮蔑の対象になっているというだけで悲しく、やるせない憤りを感じ、お手伝いさんたちを嫌悪するようになりました。
 では、母の娘であるわたしはどうなのか、と言うと、陰口を言われはするものの、母のように露骨に嫌な態度を示す者はありませんでした。半分は蔑む母の血でも、もう半分は敬い従う父の血で、相殺してゼロだ、とでも言わんとするようでした。
 お手伝いさんのほとんどが嫌いでしたが、中にはわたしに親切な方もおりました。その方は千佳子さんと言って、父親の借金の肩にこの屋敷で働かされていて、そんな不条理に打ちひしがれていたこともあってか、とても優しく接してくれました。折り紙を教えてくれたり、町の子どもたちが食べている、宝石みたいな色の飴だとか、様々な駄菓子を買って来てくれては一緒に食べたものです。
 その千佳子さんがこっそりと、申し訳なさそうに教えてくれました。わたしはお手伝いさんたちから「忌み子」と呼ばれていると。言葉の意味ができないわたしに、千佳子さんは自分のことのように悲しみ、涙を流しながら、「誰も望まない子どものことよ」と説明してくれました。
 天賀谷家では跡継ぎを期待していて、女のわたしではそれを果たせないから、日陰に追いやられている、それぐらいのことはわたしにも何となく分かっていました。けれど、女に生まれたことがそれほどに罪でしょうか。「忌み子」とあだ名され、影で指をさされるほどのことを、わたしがしたのでしょうか。
 そうした言葉を裏付けるように、父は一度としてわたしたちの部屋にはやってきませんでした。わたしたちから父に接触しようと、お手伝いさんに言伝を頼んでも、父は無視をしました。いえ、ひょっとすると父までわたしたちの言葉は届いていなかったのかもしれません。その途上で、握りつぶされて有耶無耶にされてしまったのでしょう。
 けれど父の動向は、事細かにわたしたちに知らされました。お手伝いさんたちは、わたしたちの目の前で、なんてことない世間話のように父の行動を話して聞かせるのです。そうすることで、いかにわたしたちが天賀谷家から忘れ去られた存在であるのかをその身に刻み付けようとするかのように。
 彼女たちは、口にするのも憚られるような、父の淫奔な行状を、恥ずかしげもなく大声でわめき散らしました。聞きたくなくて耳を塞いでいても、言葉が漏れ聞こえてきてしまうほどに。
 父はいつも飲み屋の女など、商売女にばかり手を出していて、それは自分を主演に恋愛という舞台を演じているのに似ていました。彼女たちという役者は、お金さえ出せばそれなりの役を演じてくれるものです。特にオペラの「こうもり」のような乱痴気騒ぎが父のお気に入りでしたから、粗野で騒々しい彼女たちは、うってつけだったのでしょう。本当なら、母が仮面を被り、父の前に現れて魅了し、父の不行跡を戒めるような、そんな展開があったなら、あるいは父は母をもう少し愛したのかもしれない、と思うのです。
 ところがある日、父が夫のある女に手を出して、その女に身も心も骨抜きにされてしまいました。そして女を自分のものにするために、夫の職場に圧力をかけて、いじめ抜いた末に自殺させてしまった、と聞いたのです。
 父がそこまで何かに執着を見せる、というのをわたしは意外に思っていただけでしたが、母は違ったようです。それまで寡黙に、人生を諦めきった微笑で影のように佇んでいた母が、毎日そわそわとし、お手伝いさんの話に懸命に耳を傾け、何か恐ろしい通告がくるのを怯えながら待っているように見えました。
 そして実際、その通告は来たのです。女の夫の自殺から、半年ほど経った日のことでした。屋敷の中が制動を失ったようにざわつき、浮足立っていました。母は青ざめた顔で、自分からはけっしてお手伝いさんに話しかけることなどなかった母が、その一人を捕まえて震える唇で何が起こったのか訊ねました。お手伝いさんはすがりつく母を見下し、軽蔑を目にいっぱいに湛えながら、女に男の子が生まれたことを告げたのです。父の子でした。
 母は崩れ落ち、さめざめと泣きました。わたしは事態をはっきりとは飲み込めていませんでしたが、何か悪いことが起こったのだ、ということは理解していましたから、懸命に母を慰めました。けれど、母はそれから二、三時間泣きあかし、その後は椅子に腰かけて真っ赤になった目を虚空に彷徨わせ、わたしの言葉にも反応を示さなくなりました。
 それから三日後、父は初めてわたしたちの部屋にやってきました。お手伝いさんが甲斐甲斐しく世話を焼くのを五月蠅そうに追い払い、まるで貧民窟にでも入り込んだように不躾な視線をあちこちに這わせた後で、母に向かって言ったのです。「この家には新しい妻と子が住むから、すぐに出て行くように」と。そしてわたしを一瞥し、そこで初めてわたしがいたことに気付いて少し驚いた顔をしましたが、関心がなさそうなどろんとした目になると母に向き直り、「離縁の必要がないのは、幸いだった。お前とのことは不幸なことだったが」とせせら笑ったのです。
 わたしは激しい怒りを感じました。生まれて初めて抱くほどそれは荒れ狂うものでした。母の様子の変化に気付かなかったら、わたしはきっと父に掴みかかっていったかもしれません。そうしなかったのは、母の纏う気配に、尋常でないものが混じったからでした。
 母は俯いて震えていました。ですが、母から伝わってくるのは悲嘆でもなく、怒りとも異なるものでした。もっとどす黒く、悍ましい原初の感情です。
 憎悪。それも、研ぎ澄まされた刃のような、攻撃的な、殺意と言ってもいいほどの憎しみ。その感情が母の周りを渦巻き、立ち昇っているように見えました。俯いている母の唇が、凄惨に、けれど艶めかしく歪みました。そして、ゆっくりと顔を上げます。
 母の顔を、正確には目を見た父はみっともないほど狼狽し、後ずさりました。「お前、何だ、その目は」とかすれた声で喘ぐようにやっとそう口にしました。
 その時母の瞳は、金色に輝いていました。夕暮れの陽を浴びた麦穂のように、どこか寂しさと妖しさを感じる金色でした。母はにっこりと笑って父に向かって言いました。
「今、あなたの愛する女と息子を殺したわ」
 冗談のような言葉でした。けれど、父には冗談には聞こえなかったことでしょう。それほど、母の様子には鬼気迫るところがありました。
 父は顔面を蒼白にして、わなわなと震え、嗚咽するように口を手で押さえていましたが、お手伝いさんたちを乱暴に押しのけ、半ば転げるようにして部屋を出て行きました。父が去ると、母の瞳も元の色に戻り、母を取り巻いていた禍々しい気配も去り、元のような諦念に浸った哀れな女が残りました。
 その日の夜のことです。再び父がわたしたちの部屋を訪れたのは。
 わたしはもう寝る間際で、母に髪の毛を乾かしてもらい、歯を磨いているところでした。母は髪の毛を上げて頬に化粧水をぴたぴたと塗っているところで、けれど父の来訪を予期していたのか、怒号とともに扉が開けられた時にも、さして驚いた様子はありませんでした。それどころか、待ちかねていたかのようにうっすらと笑みさえ浮かべていたのです。
 父は目を真っ赤に腫らして、いつもは丁寧に撫でつけて整えた髪がもじゃもじゃと無造作に散らばって乱れていました。その取り乱しようにわたしは恐ろしくなりましたが、それ以上にぞっとしたのが、そんな父の姿を喜悦に満ち溢れた目で母が眺めていたことです。蔑むような優越感さえ浮かんでいました。この時、父と母の力関係は間違いなく逆転していたのです。
「どうなさったの」
 母は愉しそうに、声を弾ませて訊ねました。
 父は髪の毛を両手で引き毟るように掻き乱し、喉が引き裂けたようなかすれていながらも湿った声で、「死んだ!」と叫びました。
「誰が亡くなったって言うの」
 母には答えが分かっていました。でも、これまでの意趣返しをするかのように、わざと空とぼけて言いました。父はその母の顔を憎悪に満ちた目で睨むと、懐に手を入れて答えました。
「私の妻と息子が死んだ。貴様が殺したのだ」
「あら、わたしはずっとここに閉じ込められていたじゃありませんか。どうやったらその女と子どもを殺せると言うのです」
 それに、と続けて母は断固とした口調で言い切ります。
「あなたの妻はこのわたしで、子どもは舞璃乃だけです」
 父は獣じみた呻き声を上げました。目が血走っています。
「お前は、妻にはなれんのだ。その娘もお前の娘足り得るが、私の娘であってはならんのだ」
「なら、どうなさいます」
 父は母のその言葉を待っていたかのように、懐から手を引き抜きました。そこには一丁の拳銃が握られていました。父はどこから入手したのか知れませんが、オートマチックの拳銃を握りしめ、銃口を母ではなく、わたしに向けていました。
 わたしは初めて見る、その黒光りする銃口に、既に撃たれたかのように身動きができなくなっていました。父の指先は引き金にあり、それをちょっと動かすだけでわたしの人生は終わりを告げる、その圧倒的な暴力の不条理さに震えあがってしまったのです。
「それがあなたの答えなのね」
 母は冷たく、氷柱のように鋭利な声で言いました。するとまた、昼間のように母を歪な、禍々しい空気が包み、陽炎のように上っていました。瞳は再び金色に輝き、わたしを一瞥するとにっこりと笑み、父へ憎しみを込めた眼差しを向けました。
「わたしは、この子を守るためなら何でもします。例えあなたであっても」
 父が銃を握る手は可哀そうなほど震えていました。母の言葉の一言一言が、父の心を切り裂いていくようです。けれど父は撃ちませんでした。いえ、撃てなかったのだと思います。父は尊大で、傲慢な振舞いの目立つ人でしたが、根幹の部分では小心者だったのです。いくら偉ぶっていても、大事をなせる人ではありませんでした。
「貴様の、その目があれらを殺したのだ。貴様も、やはり天賀谷――」
 母は父の言葉を遮るように、静かに、しかしめらめらと音をたてて燃え上がるような感情を込め、言い放ったのです。
「あなたを殺すわ。今、ここで」
 母のその言葉が放たれた瞬間、父は体を身震いさせ、拳銃を落としました。ごとり、と鉄の塊が床に落ちて、重く響きます。体の中が溶けているかのように、父の喉から泡が溢れてきて、口の端を伝って滴り流れ落ちます。やがて虚ろな目で虚空を見るともなく見ていた目がぐるんと白目を向き、糸の切れた操り人形のように足から崩れ落ちました。
 騒ぎを聞きつけて祖父母がやって来た時にはもう、父は事切れておりました。
 母は異能を発現させたのでした。その時には何が起こったのかはっきりとは掴めませんでしたが、起きたことは詳細に覚えていました。目の前で母の言葉に従って父が死ぬ、そんな異様な体験は、忘れたくとも忘れられないのかもしれませんが。
 それは、恐るべき異能でした。念じるだけで、あるいは口にするだけで、離れたところにいる相手を死に至らしめる。呪わしい使い方しかできない、極めて危険な異能。母のように優しく、大人しい女にそれが発現したのは、どんな運命の皮肉なのでしょうか。
 その異能自体には、使用することによる負荷などはないようでした。けれども、生来が優しく、弱いところのあった母にとっては、異能で人を殺したという事実が、精神を食い荒らすほどに蝕む負荷でした。
 母は三人の人間を、内一人は何の罪もない子どもだったことから、殺したことで瞬く間に精神の平衡を欠いていきました。一日中見えない、自身が殺した死者たちと会話し、懺悔をしていたかと思うと猛烈に怒り出し、父を罵り、殺してやると叫ぶのです。また、しばしば部屋を抜け出すようになり、全裸で往来を歩いていたり、すれ違った男を父だと信じ込んで関係を結んだりするなど、常軌を逸した振舞いが続きました。
 祖父母は外聞を気にしてか、母を精神病院に入院させ、わたしを閉じ込めていた洋間から連れ出し、何の束縛もない、自由な振舞いを許すようになりました。
 祖父母にとっては天賀谷の血を引く子どもは最早わたししかおらず、父も死んで新しい子どもを望めなくなった時点で、わたしを天賀谷の後継者として認めようと考えるに至ったようでした。それまでの無関心が嘘だったかのように甲斐甲斐しく世話を焼き、わたしが望むものを何でも与えようとしました。お手伝いさんたちも、「忌み子」と影で笑っていたにも関わらず、掌を返して「お嬢様、お嬢様」と呼んではついてくるようになったのです。
 けれど、そこに隠れた怯えがあることをわたしは見逃しませんでした。祖父母も、お手伝いさんたちも恐れていたのです。邪悪な異能を発現させた母のように、同じ異能を発現させ、その矛先が自分たちに向かうことを。それは彼らにとって充分ありうることでした。母の血を受け継ぐわたしであれば、どのような恐ろしい異能を発現させても不思議ではない、そう考えたのでしょう。
 母は精神病院に入院して半年後、病院を逃げ出しました。そして村の空き家の一軒で、割れたガラス片で首を切って亡くなっているところを発見されたのです。
 そこは大きな天蓋付きのベッドがある空き家で、かつては引退した大学教授が余生を過ごす場として住んでおり、二回りも年下の若い妻と一緒でした。元大学教授は論文の盗用など、隠していた罪を尽く暴かれ、学問の世界から失脚しただけでなく、若い妻に財産のほとんどを持って男と駆け落ちされ、何もかもをなくして寝室の奥の小部屋で首を吊って死んでいるのが発見された、そんな曰くのある家でした。
 母が自らの命を絶ったのも、その小部屋でした。父への愛情とそれが認められない世間への恨みつらみを書き記した手紙を残し、陽の当たるカウンターに寄りかかり、穏やかな顔でこの世を去ったのでした。
 母はわたしに対しては、ただひたすらに幸せになることを祈っていました。愛するものと結ばれ、平穏な人生を送ること何よりも望むと書き残していました。自分にはその平凡に見えることが何よりも高い障壁に阻まれ、叶えることができなかったからと。
 その障壁とは、わたしには受け入れがたい、信じられないものでした。父と母は、実の兄妹だったのです。そしてわたしは、その忌むべき愛から生まれた落とし子でした。
 母が蔑まれていた理由、わたしの「忌み子」の意味、すべてが母の遺言から繋がったのでした。わたしはその悍ましさに、母の葬儀で涙を流すことすらできませんでした。
 わたしはそうして、長い闘いの同志であり、最大の理解者である母を失ったのでした。

 天賀谷家の一員として認められても、わたしはほとんど孤独でした。母が亡くなり、祖父母との畏怖という薄衣を羽織った偽りの家族関係はわたしの孤独を慰めることなど到底できませんでした。
 学校に通えるようになってからも、わたしに声をかけてくる子はなく、放課後公園に足を運んでみても、わたしの姿を見るだけで、蜘蛛の子を散らしたように立ち去ってしまうのです。わたしは結局一人で本を読むくらいしか、することがありませんでした。
 幸い屋敷には豊富な蔵書がありましたし、欲しいとねだればすぐに買ってもらえました。今となっては子どもの頃に何を読んでいたのかははっきりと覚えていませんが、小説がほとんどだったのだと思います。小学校高学年ぐらいの時には、翻訳された海外文学にばかりかじりつくようにして親しんでいました。父の書斎にはアレクサンドル・デュマやアガサ・クリスティにバルザックなど、様々な作家の本がところ狭しと並べられていました。特に好きだったのが『モンテ・クリスト伯』で、主人公のエドモン・ダンテスに強い親近感を抱いていました。彼は謂れのない罪で投獄され、わたしは生まれながらに選択の余地がないまま天賀谷家という牢獄に囚われました。
 わたしもモンテ・クリスト伯のように牢獄を脱し、様々な冒険を経て自分の人生を取り戻すための復讐という戦いを始めたい、そう願ったものです。一方でわたしはエデのように、美しいモンテ・クリスト伯に救い出され、一生を彼への愛に捧げたい、そうも願うのでした。
 他にも父の書斎には、父が足を運んだ劇場で購入した、オペラのパンフレットなどが数多く収められていました。わたしの町ではオペラの公演などはありませんから、遠出をしなければ見に行けなかったのですが、他のことは何でも許す祖父母でも、わたしがこの町を出ることは断じて許しませんでした。ですので、遠足や修学旅行といった外出する学校行事は、いつも欠席だったのです。
 パンフレットを眺めているだけでも、浮きたつような気持ちになりました。舞台上で堂々とした佇まいで、鳥が嘴を広げて鳴くように口を開けて喉を震わせている、そんなディーヴァたちの写真を見ていると、眼前に舞台が開けていくような心地がしました。
 舞台にこそ足は運べなかったものの、音楽を聴くことはできました。父は膨大な量のコレクションを持っていて、ワーグナーであろうがプッチーニであろうが、リヒャルト・シュトラウスであろうが、聴きたいと思う曲がない、ということはありませんでした。
 オペラで最も好きなのは、『アラベラ』でした。でもわたしは主役のアラベラよりも、澄んで美しい心をもった妹のズデンカになりたいと思いました。男としての振舞いを強要されたズデンカに、わたしは同族意識をもち、彼女が恋の涙に濡れるところでは共に涙し、そのズデンカを理解してくれるアラベラという姉がわたしにはいないことを、何とも心もとなく、羨ましくさえ思うのでした。
 わたしはそうした空想の中に遊ぶ少女時代を過ごしたのでしたが、一人だけ、わたしに声を掛けてくれる友人がいました。わたしの従弟に当たる、崇文という同い年の少年でした。
 彼はわたしが天賀谷の娘だということを恐れもせず、母の異能のことも知りながら、それはわたしの父の悪辣さが招いたことで、親しく付き合う分には何も問題ない、と考えているのでした。年の割に聡い男の子で、また度胸が据わってもいました。同い年ではありましたが、背も高く大人びた彼のことを、わたしはどこか兄のように見ていたのだと思います。わたしは、ズデンカでありたいがために、異性のアラベラを作り出してしまったのでした。勿論、そんなわたしの内面など、彼が知るべくもありません。
 わたしたちの遊び場は、母が死んだ空き家でした。町民には忌むべき地として嫌われ、避けられている場所なのですが、それゆえに人目を避けたいわたしたちにとっては好都合でした。始めは肝試しのようなつもりで恐る恐る入り込んでいたものも、数を経るごとに、無頓着に、大胆になっていきました。残された調度品の配置を変えて遊んだり、食器の類をこっそり持ち帰って洗い、次に来た時にはそれでジュースを飲んだりお菓子を食べたりしてアフタヌーンティー気分を味わったりしました。
 特にわたしのお気に入りだったのは、寝室の天蓋付きのベッドでした。そこは母が亡くなった場所ということもあってか、母と一緒にいるような、そんな懐かしさを抱かせてくれました。崇文も亡くなる前に母に会ってみたかったと言ってくれ、二人で母がそこにいる体でままごとじみた会話劇をしてみたりしました。
 わたしが中学校一年の時でした。いつものように、崇文と空き家で遊んでいると、気付くと崇文がいないのです。わたしは帰ったのかしら、と思いながら寝室をうろうろしていると、いつの間にか高校の制服を着た、痘痕の目立つ少年が入口に立ってにやにやとわたしを見ていました。一目で、この町の人間じゃないと気付きました。彼の着ている制服は離れた市の私立高校の制服で、町からそこに通っている人はいないはずでした。何より、この町の人間であれば、わたしに対して無遠慮な、衣服を一枚一枚剝いでいくような執拗に下卑た視線を向けることは考えられないからです。
 何か用、とわたしは平静を装って言いました。実際には震えた声で、虚勢を張っているのが一目瞭然です。少年は答えず、にやついた低俗な表情のまま近づいてきます。わたしは下がろうとして、ベッドを背にしていたことに、ふくらはぎがベッドの淵に触れたことで気付きました。気付いて振り返り、自分の失敗を悔やんだ後で顔を元に戻した時、少年は目の前にいて、わたしの肩に両手をかけていました。
 無理矢理唇を奪われると、わたしは彼の胸を突き飛ばしました。けれど、彼の逞しい胸にはわたしのひ弱な力など所詮蟷螂之斧で、びくともしません。それでも癇には触ったのか、眉をぴくりと吊り上げて、腕を振り上げてわたしの頬を叩きました。
 痛みと衝撃に、ベッドに倒れこむと、少年はそのわたしに跨るようにして覆いかぶさってきました。少年の顔に影が差して、その中に痘痕を隠すと、案外と美少年でした。けれどその美しい顔も野生の獣のような欲情に歪み、見るに堪えない、醜い顔に変貌していました。
 わたしの視線の先には、たゆんで球の底のようになった黒い絹の天蓋がありました。天蓋は透き通りそうなほど薄く、黒い天蓋は夕日を浴びて黒色が発光するようでありながら、繊維の隙間から黄金の雫が滴りそうなほど零れているのでした。
 少年はわたしのシャツに手を伸ばすと、ボタンを外すことすら厭って、力任せに引きちぎりました。ボタンが弾けて転がり、ベッドの淵を回って落ちていきます。露わになった胸に落ちる視線の焦げ付くような熱に、わたしの頭は逆に冷却され、研ぎ澄まされていきました。
 黄ばんだ歯を剥いて笑っている少年の顔を、わたしは冷ややかに見つめ返しました。するとわたしのその顔が気に入らないのか、悲鳴の一つも上げない娘は刺激が足りないのか、苛立った様子で頬をもう一度叩きました。
 呻き声すら、漏れませんでした。わたしの中には母を失ったあの時から、真っ黒な蜘蛛のような虫が巣食っていました。その虫はわたしの憎しみの感情を食らってくれ、わたしにその不快な感情を味わわせないで済ませてくれたのですが、わたしの中には、あまりに多くの憎しみが渦巻き過ぎていたのです。蜘蛛は食いきれなくなった憎しみと、これまでに食らって腹を丸々と膨らませていたそれを吐き出し、糸のようになったそれがわたしの体をぐるぐると取り巻いて、風にそよいで立ち昇るように感じました。
 視界が、ぐにゃりと歪みました。少年の顔が消え、黒い天蓋が消え、コーヒーにミルクが溶けていくように景色が混じり合っていくと、色までが失われていきました。そして景色が完全に溶け合うと、セピア色の、古ぼけた写真のような光景が目の前に広がっているのです。
 少年は苦悶に顔を歪め、その額には幾つもの黒い筋が伝い、まつ毛を濡らしてわたしの頬に零れ落ちます。やがて少年は白目を向き、腕の力が弛緩し、わたしの上に倒れ掛かる――そんな光景が見えました。
 ふと我に返ると、口元は笑みに歪んでこそいましたが、目を見開いて何かに驚愕している少年の顔がありました。
 今の光景は、何だったのだろう。呑気にもそんなことを考えていると、少年が震える声で訊ねました。
「お、お前、何だよ、その目……」
 先ほどのセピア色の光景が再び見えます。現実の光景と、二枚のスライドを重ね合わせたように重なって見えました。血の雫が、涙のように零れます。
「あなた、泣いてるの?」
「何をばかなこと。泣くもんかよ」
 わたしは自然と笑みを浮かべていました。もう、この少年の暴力など恐くありませんでした。
「そうね。赤くて生温いわ。あなたが流すに相応しいものは」
「何をわけの分からんことを」
 少年がそこまで言いかけた時、鈍く、沈むようでありながら砕ける衝突音が鳴りました。
 少年の顔は苦悶に歪み、血の雫が額を伝って流れ落ちました。やがて意識を失った彼はわたしの上に力なく覆いかぶさったのです。その彼の顔があったところには、呆然としながらも、激しく肩で息をしていた崇文の青白い顔がありました。崇文はもう一度少年に打撃を加えようと、大理石の灰皿を振りかぶっていましたので、わたしは「もう充分よ」と崇文を落ち着かせるように殊更穏やかな声で言いました。
 少年は血を流し、絶命していました。崇文は自分が羽織っていたパーカーを、目を逸らしながらわたしに差し出し、わたしは礼を言ってそれを着ました。
 崇文は自分が犯してしまった罪に狼狽し、そして自分を待ち受ける罰に怯えていました。わたしはそんな崇文を宥め、ここには誰も立ち寄らないのだから、死体を埋めて隠してしまおうと提案しました。
 いつか見つかる、と崇文はなおも強張った顔で震えていましたが、死体が見つかったところで、わたしたちがやったのだという証拠が出なければ、捕まることはない。凶器も指紋を拭いてしまえば分からないと説得して、二人で死体をビニールシートにくるみ、裏庭に運んで埋めました。裏庭は丈の高い竹垣で覆われていましたし、その向こうは崖になっていましたから、誰に見咎められる心配もありませんでした。
 わたしは少年を埋め終えた後、その土の盛り上がりを見下ろしながら確信していました。わたしにも母のように異能が目覚め、そしてその異能が、他ならぬ『未来視』の力であることを。
 半年ほど、空き家には近づかなくなりました。崇文が嫌がったからです。それも無理もないことかもしれません。自分が殺して埋めた少年がいる場所に、誰が好き好んで行きたがるでしょう。
 半年の間、崇文を見ているのが辛いほど、彼はいつも何かに怯えて挙動不審になり、後ろばかり気にしていました。わたしとは天賀谷の家で遊ぶことがほとんどになりましたが、部屋で一人になることを特に嫌がりました。少年の幻影に怯えていることは勿論、いつ現れるか分からない断罪者の存在を恐れていたのです。
 遺体は幸いと言っては不謹慎ですが、発見されませんでした。近隣の市で行方不明になった高校生がいて、どうやらこの町に来ていたらしい、というところまでは警察も掴んでいましたが、そこから先は煙のように消えてしまったようです。
 この町での目撃証言が希薄だったこともあって、捜査の主眼は別の、少年がよくたむろしていた地方都市の方へ向きました。とりあえず、虎口は脱したと見ていいのではないか、と崇文にも言って聞かせました。
 その甲斐あってか、だんだんとおどおどとした態度を見せることも減り、以前の快活な彼が戻ってきました。

 ここからは、わたしの初恋の話をしたいと思います。
 わたしの初恋は、十六歳の春でした。高校は地元の県立高に進み、そのために、友だちらしい友だちもいないことは変わらず、日々を過ごしていました。その頃崇文はテレビで見たマジシャンの影響でしょうか、手品にどっぷりとのめり込み、練習に明け暮れていたせいで、わたしとは疎遠になっていました。ですが、それでよかったのだと思います。高校生の男女がいつも一緒にいては目立ちますし、その相手がわたしだ、ということになれば、崇文にどんな不利益があるか分かりません。
 わたしは学校帰りに図書館に立ち寄ることが習慣になっていました。家にいることは何となく気詰まりでしたし、祖母が嬉々として見合い写真を持ってきて見せるのも鬱陶しかったのです。異能が目覚めていたことは秘密でしたから、それを元に脅しつけるということもできないため、逃げ回るしか手段がありませんでした。
 その図書館には、A・Sさんという若い職員が勤めていました。ええ、そうです。そのA・Sさんがわたしの初恋の相手でした。
 彼はわたしよりも七歳年上で、大学を出たばかりの新米職員でした。出身は東京の方で、今はこの町の隣の市にアパートを借りて、そこから通勤しているとのことでした。ジャズが好きで、特にチャーリー・パーカーを好んでよく聴いていました。父のコレクションの中にはジャズはあまりなかったのですが、チャーリー・パーカーの「Now’s the time」はありましたから、彼に少しでも近付きたくて、繰り返し聴きました。なぜかあのサックスの音を聴いていると、薄暗い、人のざわめきが包むような店の中で、彼と手を取り合ってステップを踏んでいるような、そんな想像が頭の中で遊びました。
 彼のことに詳しくなったのは、残念ながら彼とお近づきになって親しくしていたからではありません。A・Sさんの同僚に、Oさんという女性がいて、この方からあれこれと彼のことを訊き出したのです。
 わたしは恋心を恥ずかしく思う少女らしい初々しさと、その一方で彼のことを考えずにはおれない、空を焦がすまで燃え盛る火柱のような、御しかねる熱情の間に挟まれ、そのいづれもの思いの奴隷となって枕を濡らし、煩悶していました。
 そのわたしにできた精一杯のことが、Oさんを通じて彼を知り、心を慰めることだったのです。
 けれどすぐに、わたしは彼の心がどこにあるかをはっきりと悟ったのです。彼のことばかり考え、見つめていたからこそ知りえた、その残酷な現実はわたしを無情にも貫いたのです。
 わたしはA・SさんとOさんとの間に、曰く言い難いお互いを求めながらも距離を測りかねているような、喜びと戸惑いを内包した親密さが漂っているのを見て取りました。
 OさんはA・Sさんの三つ先輩で、ショートカットの似合う、瘦身で手足がすらりと長い、ボーイッシュなところのある女性でした。けれどもその仕草にはたおやかなところもあり、少し吊り上がった目は凛々しさを窺わせるのに、眼差しはとても優しいのでした。
 年齢から言っても、関係の距離の遠近で考えても、わたしには万に一つも勝ち目はありませんでした。しかもわたしは天賀谷の娘です。それを知った途端、彼はわたしを敬遠するでしょう。そんな薄情な人じゃない、そう思いたくとも、これまでの自分の人生を考えれば、天賀谷という名を踏み越えてわたしの手を取ってくれる人などいはしない。そう思うしかありませんでした。
 では、初恋は破れたものとして、すっぱりと諦められたか、と言うとそうではありませんでした。心の中ではどこかで、まだ逆転の目はあるんじゃないかと思う自分がいました。その浅ましさを自分で見たくなくて、図書館へ向かう足が遠のくのですが、三日ともたずまた通い始めるのです。行っても、二人の甘酸っぱくもどかしい恋の鞘当てを見せられるばかりとは知りながら、それでも彼の顔を見ずにはいられませんでした。
 わたしはある日、二人が仕事中、手が触れてしまったのを恥じらい合っている姿を見て、感情が高ぶってしまい、未来視の異能を発現させてしまいました。
 その時見たものは、Oさんの前に見知らぬ男が現れ、彼はOさんを殺すことなく、どこかへと連れ去ってしまう光景でした。彼女は男の言葉に唯々諾々として従い、何ら抵抗することなく消えたのです。
 見た未来のことを婉曲的に二人に伝え、警告を与えれば、その未来は回避できるかもしれない。そう思う一方で、Oさんがいなくなれば、わたしにもチャンスがあるのではないか、その邪な考えが鎌首をもたげるのを、抑えておくことはできませんでした。
 未来はどうあっても変わらないんじゃないか。そんなわたしに都合のいい理屈が、もっともらしく頭に浮かんでは囁くのです。このまま、見なかった振りをしろと。
 一週間、善悪の天秤はバランスを失ったように双方に揺れ動き続けました。そして悩みに答えが出ないまま、Oさんは仕事帰りに消息を絶ち、行方不明となったのです。A・Sさんの憔悴ぶりは見ているこちらが辛いものでした。しかもわたしは、それを止めることができたかもしれない唯一の人間なのです。わたしは、とんでもない失敗を犯したことをそこで漸く気付いたのでした。
 わたしはA・Sさんに接近しました。Oさんを失った痛手を慰めたい、それも偽らざるわたしの気持ちでした。けれど、心のどこかで狡猾に期待していたのです。彼が、わたしに振り向いてくれることを。
 わたしの肌には、天賀谷の血がはちきれそうなほど満ちているのです。浅ましく、身勝手な血が。わたしはそれをすすぎ流してほしいのでした。けれどそれは、恋に震える彼の唇によってしか、できないことでした。
 わたしは名字を、素性を隠して彼に近づき、本の話をしたり、学校の他愛もない話――それは級友の体験を自分にすり替えた話でしたが、そんな会話を交わす仲になるには、そう時間はかかりませんでした。
 彼もまた、わたしに一人の女としての興味を抱いているのは、わたしの肌に時折投げる暗い眼差しから分かりました。けれど、まだわたしが高校生である、という動かしようのない事実が、堅牢な石壁のように聳え立っているのでした。
 どうしたら眼前に聳える障壁を乗り越えられるか、いえ、彼に乗り越えさせることができるかと考えた時、答えは一つしかありませんでした。
 わたしは悩みを相談したいと持ちかけ、仕事終わりに彼と待ち合わせ、あの空き家へ向かいました。彼はその空き家で幾度も人死にが出ていることを知りませんでした。知らずとも、足を踏み入れた瞬間異様な雰囲気を察したのか、怯えた目で忙しなく視線を巡らせていましたが。
 彼が空き家に疑問を抱く前に、中に入るやいなや彼の唇を奪いました。彼の目の奥に、ひっそりと燻っている真紅の炎があるのをわたしは知っていました。それを刺激して炎をたたせてやれば、自分の欲望の奴隷となって、目の前の女に吐き出さずにはいられないだろう、そう計算していました。
 わたしたちはワルツでも踊るように、互いの腰に手を回し、ステップを踏んでもつれあい、回りながら床板を踏み、階段を上がって、天蓋付きのベッドに倒れこみました。
 彼の指は、わたしという少女を覆う薄衣のような肌を引き裂いて、その中にいる彼が渇望する女の姿を曝け出そうとして、薄暗い葡萄色の闇の中を走りました。
 白いシーツと、黒い影が砂浜に寄せる波のようにうねり、目に耳に押し寄せます。彼の顔は顔の起伏も分からないほど影に埋め尽くされていましたが、その両目だけはぼうっと燐光が宿ったかのように揺れ、わたしを責めるように見ているのです。
 彼が欺瞞と自己愛に満ちた欲望の雫の最後の一滴まで吐き出した時、わたしの胸に涙が落ちました。わたしは彼の悲しみを受け止めなければなりませんでした。この涙は、わたしが流させたものだったからです。
 裸の胸にそっと抱き寄せると、七歳下のほんの小娘に過ぎないわたしの胸の中で、彼は幼児が母に縋り付いてするように、声を上げて泣きじゃくりました。その彼の頭を抱いて撫でてやりながら、わたしは鞠のように丸く垂れ下がった黒い天蓋を、波間に漂っているような気だるさに浸りながら、ただ見つめていたのでした。
 それから彼とはしばしばその空き家で逢うようになり、わたしは進んで彼の行き場のない悲しみを、男の欲望という形をとって現れるそれを、受け止めました。
 そうすることで、彼は楽になるどころか、より深い罪悪感をその心身に刻み込んでいきましたが、自身でもどうしたらいいか分からないのか、刹那でもそれを忘れられる快楽に身を任せる姿は、まるで破滅に進むことを望んでいるかのようでした。
 しかしそうした関係は、二か月も続きませんでした。いえ、わたしたちは互いに求め合っていました。けれど、周囲の人間がそれを引き裂いたのです。
 A・Sさんとの関係が祖父に発覚してしまったのでした。
 祖父は直接A・Sさんの勤める図書館に乗り込み、わたしという少女と関係をもった罪を突きつけ、館長には即刻A・Sさんを解雇するよう求めたのです。祖父がこの町において保持している影響力は絶大であり、たとえ町長であっても、祖父の機嫌を損ねることを恐れて従わざるをえなかったのですから、一図書館の館長としては、A・Sさんに重大な過失のあったことでもあり、逆らうことはできなかったのです。
 A・Sさんはただ解雇されただけでなく、図書館の運営資金に手をつけた、として横領の嫌疑まで着せられて、追放されました。一介の女子高生に過ぎなかったわたしにはそれを止める手立てもなく、祖父に厳しく監視されて彼と別れの挨拶をすることもできないまま、別れることになったのです。
 けれども、A・Sさんが追放されて一か月が経った頃、館長がわたしにこっそりとA・Sさんから預かっていたという手紙を渡してくれました。館長は申し訳なさそうに、自分にできるのはここまでだ、と疲れた笑みを浮かべていました。
 手紙には、わたしと別れることが辛く悲しいこと。けれど、いつか必ず迎えに戻ってくるから、待っていてほしい、という旨のことが書かれていました。
 わたしは屋敷の裏庭で、赤茶けた枯葉で包み、手紙を焼きました。火が爆ぜる音に、空中を薄墨でするすると線を引いたような煙が立ち昇ります。煤けた臭いを嗅ぎながら、黒く染まり、飲み込まれていく彼の文字を見つめていたのです。炎は文字を塗り潰します。わたしという女への情欲の炎は彼の悲しみを塗り潰し、そしてきっと、別な女への情欲が、わたしの喪失という些事を、彼の心の中から消し去ることでしょう。

 それから四年、彼からは何の音沙汰もありませんでした。
 わたしは高校を卒業し、進学も就職も許されず、結婚することばかりを求められ、町の目ぼしい男との縁談話に明け暮れていました。
 わたしと同じ年の頃の男は、やはり進学していたりして、まだ所帯をもつような段階には至っていないものですから、祖父母がもってくる縁談は、ほとんどが年上でした。中には四十も半ばを過ぎた、肥えて脂ぎった嫌らしい笑みの男なんかもいて、祖父母の見る目のなさにはうんざりしました。
 祖父母は、家柄がよくて、子どもをつくる精力的なところのある男ならば誰でもいいのでした。わたしが幸福な結婚生活をおくることよりも、天賀谷家を継ぐ男児を産ませることだけが目的だったのです。二人は巧妙に隠しているふりをしていましたが、わたしにはそんな意図など見え透いたものでした。
 祖父母は焦ってもいました。二年前から、わたしが原因不明の心臓の病に罹ったからです。医者は原因を知りませんでしたが、わたしは知っていました。未来視の、異能を行使した代償です。人智を超えた力に、何の代償もない、そんなことがありうるでしょうか。母は心を破壊されて命を落としました。わたしは、その破壊が心臓に現れたのでしょう。
 そんな腐敗した、死臭さえ漂いそうな毎日をおくっていたある日、東京でプロの奇術師に師事していた崇文が慌ただしく帰ってきたのです。
 崇文はわたしの部屋で、一通の封筒を差し出すと、息を切らせ、目を怒りに赤く染めて吊り上げ、唇を震わせて言いました。
「上野で、ある男に会ったよ」
「ある男……そう」
 わたしは聞くまでもありませんでした。ですが、崇文はそんなわたしの反応を歯牙にもかけず、続けます。
「四年前、君と付き合って追放された、あの男だ」
「A・Sさんね。お元気だった?」
「元気も元気さ。あの男、女を連れてバーにいたんだ」
 そう、とさも関心がないと見えるわたしの態度に業を煮やした崇文は、テーブルを叩いて立ち上がりました。
「あの男を捕まえて問い質したら、結婚したと言うんだ。舞璃乃とのことはどうするんだ、って詰ったらどうしたと思う。バーテンダーにメモとペンを借りて何かを書き殴った後で、使い古したらしいよれよれの封筒を鞄から取り出してその中にメモを入れて、君に渡してくれとおれに頼むんだ。おれは我慢がならなくて、頬を殴り飛ばしたよ。それでもあいつはにやにやと壊れたように笑っていやがった」
 わたしは嘆息して首を振りました。「そんなことしなくてもいいのに」
「読んでみろよ。これがあの男の正体だ。だからおれはあんな男やめておけと言ったのに」
 わたしはきっぱりと、
「読む必要ないわ。それに、わたしが誰を選ぶのかはわたしが決めることよ」
 そう言葉を崇文の鼻先に叩きつけます。
「舞璃乃。おれは君を守りたい。だが、君が守られることを望まないなら、おれも勝手にさせてもらう。君を守るために、君に害をなす者たちを排除してやる」
「誰も守ってなんて頼んでないわ。わたしはそんなに弱くないし、それにあなたの人生はあなただけのものよ、崇文。わたしのために犠牲にするのはやめなさい」
「おれは神に願うよ。君が無事であることだけを」
「神様が願いを叶えてくれると言うの」とわたしは半ば嘲るように笑みました。
「神でだめなら悪魔に祈るまでさ」
「滅多なことを言わないで」
 彼はわたしの言葉には応えず、背筋が寒くなるような、刃のように鋭い笑みを口元に浮かべているだけでした。
 崇文は、話は済んだと立ち上がり、部屋から出て行こうとしました。ですが、ドアノブに手をかけたところで振り返って訊ねました。
「この曲、なんて曲なんだ」
 部屋にはずっと音楽が流れていました。崇文が来るまで、ドイツ語と日本語の対訳に目を落としながら、オペラを聴いていたのです。
「『ばらの騎士』よ。リヒャルト・シュトラウスの」
 曲はちょうど、花嫁となるゾフィーの元にばらの騎士であるオクターヴィアンが銀のばらを捧げ持ち現れるところでした。
 ばらの騎士は夫となるオックス男爵の下劣さに憤慨し、彼を奸計にかけ、ゾフィーを救い出して彼女と結ばれるのですが、まだ二人は出会ったばかりで、それでも惹かれ合う、そんな場面です。
 わたしはゾフィーに共感する一方で、オクターヴィアンを元帥夫人から奪ってしまう彼女を許せないとも感じるのでした。彼女は若さという、元帥夫人が持ちえない絶対的な武器をもっていました。女の肌に現れる、時が刻みつけた印は生々しく残酷なものです。元帥夫人はそれを恐れながら、ささやかな時への反逆を試みてはみるのですが、結局は若さという時の権力の前に粉砕されるのです。その元帥夫人の自暴自棄な優しさ、諦めを目にすると、ゾフィーを祝福する気にはなれませんでした。
「そうか。いい曲だな」
 崇文はふっと自嘲的な笑みを浮かべると、部屋を去って行きました。
 わたしはゾフィーでしょうか。元帥夫人でしょうか。天賀谷という家に囚われ、望まない嫌な結婚相手を押し付けられようとしているところは、なるほどゾフィーらしくあります。けれど、わたしはわたしのばらの騎士と思っていた男を、見たことも、名前すら知らない影のようなゾフィーに掠め取られた元帥夫人でもあるのです。
 A・Sさんの変心は、それほどわたしの心を打ちませんでした。四年前の、彼の手紙を受け取った日から、それは未来視の異能を用いるまでもなく、分かっていたことでした。
 わたしの心を黒いどぶ川のように淀ませ、波立たせたのは、四年という時の烙印が確かにわたしには刻みつけられたことです。心臓の病は、確実にわたしの命を蝕んでいました。二年の間にあっという間に進行し、少し動いて負荷をかけるだけで、心臓が悲鳴を上げるようになっていました。
 夜中、自分の心臓が止まる夢を見て跳ね起きることがしばしばありました。一日一日、一分一秒、わたしの命は摩耗し、擦り切れようとしている。そう思うと、元帥夫人がしたように、部屋中の時計を止めて、無駄と知りつつも時に反逆し、自分に襲い来る運命に抗いたくなるのです。
 わたしはA・Sさんの手紙を手に取ると、窓辺に立ち、それを引き裂いて投げ捨てました。細かく裂かれた封筒と手紙の残骸は、水仙の花のようで、風の中を閃きながら飛び去っていきました。
 それから二週間ほど経った頃でしょうか、A・Sさんが殺されたことを祖父の口から聞かされました。わたしは即座に理解しました。崇文がやったのだと。わたしを守るため、という大義名分を傘にして、己の憎しみを叩きつけたのだと。
 崇文は忽然と消えてしまいました。まるで消失のマジックを披露したように、世界からその痕跡を消して見せたのです。それは彼にとってきっと一世一代の大魔術だったのでしょう。彼を探して部屋に入り込んだ彼の両親は、部屋で繰り返し流れていたのであろう、『ばらの騎士』を聴いたそうです。机には書置きがあり、「男爵は死んだ」とだけ書かれていたそうです。十中八九、男爵とはA・Sさんを示した暗喩でしょう。
 崇文が消えて一か月後、わたしは猛烈な心臓の発作に襲われて倒れました。すぐに病院に運ばれて集中治療室で処置を受け、一命はとりとめましたが、わたしの体にはもう歩く力も残っておりませんでした。
 倒れる直前、わたしは未来を見ました。
 小さな赤子、女の子を抱いて、微笑んでいるわたしがそこにいました。
 ありえないことです。わたしの命はもう風前の灯火でした。出産などという巨大な負荷に体が耐えきれるわけがありません。それに、今から子を宿して産むまでの長い期間命がもつとも思えませんでした。
 その未来視はひょっとしたらわたしの、別にあり得た可能性の未来を見せているに過ぎないのではないか、と思いました。けれどその一方で、これまでに未来視の力が見せた未来はすべて現実になっていることも事実でした。
 わたしは一晩眠らずに考えを繰り返し、自分の中で消化して、翌日病室を訪れた祖母に、以前もちかけられていた見合い話を承諾する旨を伝えました。祖母の驚きと喜びようといったら、見ているこちらが恥ずかしくなりそうなほど大仰なものでした。
 既に諦めていた命ですが、もうしばらく、醜くしがみついてみたいと思います。わたしが視た未来は存在するのかしないのか、それを確かめてから死んでも、きっと遅いということはないでしょうから。

〈了〉

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