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牙か剣か


■まえがき

子どもがサッカーをやっているので、それにちなんだ小説を書いてみました。スポーツ小説は初めてのことなので、どうでしょうか。
先日初めてサッカー観戦をしてきたので、そのときのことも思い出しながら書いてみました。
お楽しみいただければ幸いです。

■本編

 後ろからボールが飛んでくる。剃刀のような鋭い回転の加わったパスだ。
 サッカーコートの中にどよめきが広がる。落胆、とも言えるかもしれない。観客は王者の狩りが見たいに違いない。獣による番狂わせは望んではいない。
 後ろを振り返るまでもなかった。拓馬にボールが渡ったときかわした一瞬のアイコンタクトで、お互いとるべき行動は決まった。
 高校最後の試合になる? そんな弱気という魔物が地の底から無限にわいて足先から這い上がってくるが、雄飛はそんな魔物を踏み潰し、蹂躙してピッチを駆け抜けた。
 雄飛はオフサイドにならないようディフェンスラインぎりぎりに食い込み、拓馬がロングパスを出すのを待った。雄飛の意図に気づいたディフェンダーが二枚張りつくが、そんなことは想定済みで、拓馬のパスはそんな彼らの思惑を打ち貫いてやってくるだろうと思っていた。
 シュートかと見紛うような鋭く早いパス。ディフェンダーが意表を突かれてあっという顔をしたのを雄飛は見逃さず、ピッチを噛んだスパイクに渾身の力を込め、走り出す。気づいたディフェンスも追うが、このコートの中、一瞬の油断、判断の遅れが、一点の失点に繋がることを雄飛は知っている。追いすがるディフェンスの手を肩で払いながら、雄飛は加速する。ディフェンスよりも速く? いいや、ボールよりも速く駆けるために。
 心臓が早鐘を打つ。得点の匂いが濃厚になったことへの高揚と、後半四十分まで走り通しだった疲労とが相まって、雄飛の体の内燃機関を激しく燃やしていた。
 左足でピッチの芝を蹴り、大きく跳躍すると、右足を前に伸ばす。するとボールはその右足のスパイクに吸い込まれるように落ちてくる。雄飛はボールの衝撃を殺そうと、足をボールの軌道に合わせて引き、勢いを相殺するが、それでもなおボールは意思をもっているかのように弾けて、雄飛の前方に跳び上がった。
 懸命に跳んだために、着地が乱れ、前のめりに倒れそうになるのを着地した右足で堪え、顔を上げる。すると自分とゴールの間に割り込んだ人影があった。そこにはなぜか敵フォワードの御巫の姿があった。
(なんで、お前がそこにいる?)
 御巫はさっきまで攻撃に加わっていた。ディフェンス二枚をドリブルで華麗に抜き去ると、ミドルシュートを放ち、ゴールバーに嫌われて弾かれ、そこからカウンターで繋いで拓馬から雄飛にボールが渡ったのだ。カウンターを予見していたとして、追いつけるはずがないと思った。だが実際に御巫は目の前にいる。
 浅く息をし、涼しい顔をした御巫が雄飛は気に入らなかった。自分たちが泥臭く駆けずり回り、ボールを追い回してやっと好機を掴むのに、御巫は立っているだけで好機が転がり込むような、そんな天すら味方しているような雰囲気があった。
(トラップしていたら間に合わない)
 雄飛がそう考えて体勢を立て直し、シュートモーションに入ると、御巫はあたかも雄飛のドッペルであるかのようにその思考を我がものとして、雄飛のシュートコースを潰すように立ち塞がった。
(おれはお前のそういうところが嫌いなんだぜ、御巫!)
 シュートに入っていた足の振りに制動をかけ、つま先に緩やかな弧を描かせると、足の甲を振りぬく代わりに、柔らかくボールにタッチし、右方向にボールが転がるように甲を傾ける。そして左足の踵に力を入れて踏ん張り、右斜め前方へ方向転換する。
 ボールが転がりすぎればキーパーの圏内に転がり込む恐れがあった。だが、雄飛の鍛え抜かれたボールタッチが、シュートを打つのに絶妙な位置にボールを転がしていた。
 雄飛はそのままシュートに入ろうとした。だが、側面から迫る影に殺気を感じて、ボールをキープして立ち止まってしまった。もたもたしていれば、追い抜いたディフェンスたちに囲まれる。けれども、この男が立ち塞がる限り、シュートは打てそうにない、と悟った雄飛は、キープしたボールを右足で弄びながら、体重移動をかけてフェイントを仕掛けるものの、御巫の注意はボールと雄飛とに均等に注がれ、下手なフェイクでは通じそうもなかった。
 時間から考えてこれが攻撃のラストチャンスだと思った方がいい。一対一の同点。その均衡をこの時間帯に破れさえすれば、勝機が見えてくる。全国への切符を手にできる。弱小校と近隣の学校から蔑まれてきた自分たちが、去年の全国の王者を相手に善戦している。いや、善戦で満足してはだめだ。勝たなければ。勝利があってこそ、おれたちの戦いに意味は生まれる。雄飛の目にはもうゴールしかなかった。凶暴なまでの闘争心が心の奥底から鎌首をもたげ、たとえ目の前に立つのがUー18のエース、御巫京志郎だったとしても、粉砕し、食らい尽くして進むだけだと、雄飛は口角を上げ、愉悦に浸りきったかのように笑った。
「俺の前で笑えるとは、余裕だな」
「余裕なんかあるわけないだろ。ただ、愉しいだけだ」
 言葉を交わしながら、二人の足元では激しいフェイントの攻防が続いている。
「愉しい?」、御巫は怪訝そうに、それでいて不愉快そうに言った。自分を相手に愉しいなどと呑気なことを言われるのは、侮辱だと感じているようだった。
「兎がライオンに勝つようなものだからな。そしてそれをおれがなす。これほど愉しいことはないぜ」
 雄飛は左の軸足に力を込めて、左方向に体をさばくと見せかけて、右方向にボールを蹴り出し、軸足に溜めた力の方向を変えて右方向に跳ぶ。
「なら、その愉しさを抱えたまま、この地の土となれ。勝つのは貴様らじゃない」
 半分フェイントに掛かりながらも、御巫は恐るべき体幹で体を支えて即応すると、ボールに向かって跳んだ。体勢の切り替えとフェイントからの対応。どちらもタイムラグから復帰するのは同時だったが、ボールまでの距離と、体捌きの速さで御巫が勝った。
 御巫はボールを蹴って外に出すのではなく、足元にキープしようと考えたのだろう。足に吸盤でもついているような柔らかなタッチでトラップする。恐らく、逆にカウンターをし返せば、得点に繋げられる公算が高いと踏んだのだろう。その御巫の判断はあながち誤りではない。だが、相手が雄飛であることを計算に入れてはいなかった。所詮有象無象の選手と、十把一絡げに考えた、そこに御巫の精密なサッカー頭脳にも誤算があった。
 御巫がトラップした瞬間、既に雄飛は跳んでいた。御巫が先にボールをタッチするであろうことも、完璧に近いトラップでボールを足元に留めおこうとするだろうということも雄飛には分かっていた。計算ではなく、直感で。それが最も合理的だと、野生の嗅覚は嗅ぎつけていた。
 御巫がトラップし、僅かに足を下ろした瞬間、ほんの刹那の間だけ、ボールが宙に浮かんだ状態になる。雄飛はその瞬間だけを目掛けて、跳んでいた。空中でシュートモーションに入ると、ゴールの狙うべき場所に照準を合わせる。外しはしない。
「愉しいな、御巫。王を弑する、この瞬間は」
 雄飛の足が空中で振りぬかれる。足の甲がボールを捉え、狙いすましたそのコースへとボールを叩きこむ。
 キーパーは御巫に対し絶対的な信頼をもっていた。他のチームメイトもそうだ。だがその信頼は甘えとも言える。事実、キーパーは御巫がボールを奪われるということを想定しておらず、ほとんど雄飛のシュートに対応できていなかった。申し訳程度に跳んだが、ボールにはまったく届かなかった。
 雄飛のシュートはゴールネットに吸い込まれてそれを大きく揺らし、ボールがピッチに転がり落ちるまで、場内は静寂に包まれた。
 無茶な体勢でシュートをしたため、転がり落ちた雄飛がゴールを視認し、立ち上がって右腕を振り上げて雄叫びを上げると、チームメイト、場内の応援団、観客、と伝染するように興奮と叫びとが広がっていった。
 御巫は信じられない、と目を見開いて、尻もちをついたまま天を仰いでいた。その御巫に雄飛は手を差し伸べる。「立とうぜ、キング。まだ試合は終わっちゃいない」
 その雄飛の言葉に御巫は初めて怒りの感情を露わにし、手を叩きのける。
「そのセリフを口にしたこと、後悔するぞ」
「かもな。けど、腑抜けた王の首を獲っても意味がない」
「王を弑する、とお前は言ったな。だが、これは狩りだ。獣の牙が王に届くことはない。覚えておけ、雄飛」
 ふん、と御巫は立ち上がると、自分のポジションへと走って戻って行く。意表を突かれた雄飛はきょとんとした後で声を上げて笑った。
 雄飛は照りつける太陽を見上げ、額の汗を腕で拭うと、再び走り出した。次は王者が死に物狂いで向かってくる。その鋭い剣先をいなして、再び獣が王の首筋に食らいつく、その様を思い描いて不敵に笑った。

■あとがき

スポーツを題材に小説を書いたのは初めてでした。しかもスポーツ漫画もろくに読むわけじゃなくて。子どもが「ブルーロック」にはまっているのですが、それを参考にでもすればよかったかなと後から思ったり。

とんでもサッカーになってしまっていたら申し訳ないです。
今回は一対一を描いたから書けましたが、これを多人数で書こうと思うと相当の苦労が必要だなあと実感しました。サッカーに限らず、スポーツ小説が書ける方はすごいですね。

努力型の主人公が天才型のライバルを打ち破る、というジャンプ的な王道展開ではありますが、短い分量なので、あえて王道的な展開にしてみました。



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