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いつも何かが足りない私へ。

「はやく、服を脱ぎなさい!」


この言葉だけを聞くと、かなりキツい言葉だと感じる人がいると思う。

しかし、私の日常では当たり前の言葉。
普通に飛び交う言葉なのだ。

この言葉が飛んできたのは、22時。

私がお風呂に入ったあとだった。

いつも私の後に母親がお風呂に入るのが決まりなのだが
それにはちゃんとした理由がある。

それは

私が穢れていないかを確かめるためだ。

母親は、よく分からない宗教を信仰している。

その宗教の教祖様が言うには

「身体が穢れているのをひと目で分かる方法は、湯船を見ればわかる」
というものだった。

湯船から邪悪な雰囲気がしたり、汚れが浮いていたりすると
その人の体が穢れているそうだ。

だから、母は私の後にお風呂に入る。

そして、今日、この日は湯船から嫌な雰囲気がしたそうで
『はやく、服を脱ぎない』と、玄関先で怒鳴ってきたのだった。


こんなタイミングで言うのは、おかしいのだが
私は全身脱毛をさせられている。

正直、私は興味がなかったが、母親が「湯船に汚れが浮く」との理由で脱毛に通い始めた。

母親が宗教を信仰し始めたのは、5年前。
私が小学3年生のときだった。

父親の不倫によって離婚した母は、最初は明るく頑張っていたものの
疲れがきたようだった。

家にいる日が無くなっていき、机には現金だけが置かれるような日常だった。


しかし、2年後のある日。


母親の様子が明らかに変わったのだ。

父と離婚する前のような明るさに戻り、家事もテキパキこなすようになった。

私はそんな母を見て「戻ってきてくれたんだ」「元気になってくれた」と
喜んだのを覚えている。

ところが、それが不幸の始まりだったのだ。

次第に「これは母だけど、母じゃない」と思ったのは
小学6年生の卒業式だった。

ウキウキで正装に袖を通し、母親に見せに行くと
ため息をつき「あんたに悪魔が取り付いているから、そんな顔になって可愛そう」と言われたのだ。

言われたときは、意味が分からず呆然とした。

そんな私の様子を気にしない母は、自分のポーチから口紅を出し
私に寄ってきてチョンと付けてくれた。

不安げに母親の顔を見ると

母は「市松人形みたいで気持ち悪い」と呟いて
私の口に付けた口紅を指で擦って消した。

その後「やっぱり悪魔払いに…」など、ブツブツ言いながら
母は卒業式に出なかった。

しばらくすると「服を脱ぎなさい」と、母親が狂い始めた。

中学生になった私は、本当に嫌だった。

身体をザッと見るのではなく
体型のことにも口を出してくるようになったからだ。

その頃、私は少し太っていた。

その姿を見て母親は「そんな贅沢な体型をしていると、悪魔が取り付く」
「悪魔は、幸せな人の生気を好物にしている」と意味の分からないことを言われる。

私は、そんな母が嫌いだった。

いや、母なのに母ではなくなってきたことに嫌気が差したのだ。

だから、私は高校生になるとバイトを毎日のように入れ
母親との距離を取ってきた。

しかし、今日。

母親が玄関で仁王立ちをしていたのだ。

私の顔をみるなり「服を脱げ」と要求しきた母。


その声を背後に受けながら2階に上がっていく私は

きっとこの世の終わりのような顔をしているだろう。


部屋の扉を閉めると、母親の声が遠のく。

私はヘッドフォンで自分だけの世界へのめり込む。

いつも聞いている音楽。
いつも私を癒してくれる声。

私は、それだけで充分だった。
癒しをくれる人も、くつろげる場所もいらない。

この世界が。
このひとときを私から奪わないでほしい。

それなのに

いつも

何かが足りない


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