【ショートショート】吊り橋効果
一緒にこんなところまで来てしまった。
「ねえ、死ぬのよ。あたしたち。」
隣にいる女がぼそりとつぶやいた。その眼はビー玉のように無機質だった。得体の知らぬ方向を向いていた。私はなんとなくうれしい気がしてきて、女の手をぎゅっと握りしめた。
「そうか、とうとう死ぬのか。」
お互いに不安なのだろう。すべての感情には賞味期限があるのだから。今ここで死んでおかないと、どんなに美しい恋愛でも酢えた匂いがし始める。
「そう、死ぬのよ。わたしたち。」女は言った。
押し問答ばかりでは始まらない。下を見てみると、渓谷の溝を流れる冷たい水が周りの岩を容赦なく削りながらどうどうと流れている様子が確認できた。ここは吊り橋の上である。
「見てごらん。あの川の中に一緒に飛び込むんだ。僕たちの愛も、あの川のようにずっとずっと流れ続ける。死とは源だ。死とは無限に生み出す母なんだ。死ぬことで、僕らは無限になれるんだ。」
歯の浮くようなセリフ。さっさと飛び込んでしまえばいいものを。
「あなたと死ねるのなら、わたし、どこへでも飛んでいけそう。」女が言った。
妙にこの女が憎たらしくなってきた。死ぬ寸前まで自分のことしか考えていない。
「きみは、死んだらどこへ行くつもりなんだ。」
「どこでしょうね。でも、まずは空をずっとずっと飛んでいくの。雲を抜けて、星を抜けて、海に行きたいわ。そこには一本の川が流れていて、その川が滝になって空に青を満たしているのよ。わたし、滝になりたい。だってずっと落ちていられるもの。溶けていられるもの。」
女は渓谷をじっと見つめていた。
「赤ちゃんがいるのよ。」だしぬけに女は言った。
俺は何も返事をしなかった。
「あたしたちの子。きっとこの子は生まれてきたかったのよ。」
俺はやはり返事をしなかった。
「ねえ。」女は言った。
「今ここで死んだら、私はあなたのものよ。でも、この子は私のものにはならない。きっとこのまま落ちたら、私はお腹を岩にぶつけて、この子は私から逃げていくの。もっといいお母さんいないのーって言って。そうしてどこかの女の腹の中にまた入るのよ。そうすることで自分がどれだけ不幸になるのかも知らずにね・・・。」
俺はなぜか女を絞め殺したい衝動にかられた。
「ねえ。」女は言った。
ふわりと体が浮く感覚がした。となりに女はいなかった。
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