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「小説の最後に置く手紙」

昨日noteを漁っていたら、とても素敵な記事を見つけました。

読んだ瞬間、私も挑戦してみたいと思いました。

コメントを送ると、すぐにお返事をいただきました。

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というわけで!!今日は文学の解説をお休みして、いただいた素敵な言葉をこの私、読書童貞の手によりショートショートに昇華してみたいと思います。

せっかくなんで3日間で3つ全部やります。

今日はこの言葉です↓

「小説の最後に置く手紙」


「小説の最後に置く手紙」

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音楽家Kと小説家Nは昔から友人だった。二人とも成功した芸術家で、すこぶる忙しい日々を送っていた。ただ、文通だけは決して途切れなかった。

彼らは自分の作品が出来上がると、それを世に出す前に友人に送り、その感想やらアドヴァイスやらをいろいろと意見交換する、という習慣があった。

ちょうど小説家Nは小説を一本書き上げたところだった。いつものように音楽家Kのもとへ原稿を送った。

三日後、返事が返ってきた。すると、書き上げた原稿の最後に譜面が置いてあった。その上にはこんなことが書かれてあった。


Nに告ぐ

色もつかず、寝苦しく、噛むと黒いチューインガムのような味がする、そんな感情。ひとたびよどみの中の亀の口から出るあぶくのように浮かび上がり、真夏のつるりとした川面の上をつま先一つで滑っていくような、こんなはかない感情・・・

だめだ!

こんな美しく脆い感情でさえ、我々はことばにする他ないのか。

ことば!!

お前は、なんて罪深い存在なんだろう。

お前は「伝える」ためにこの世に生まれた。ただ、「伝える」ことに徹しすぎたあまり、お前はひどく大切なものを忘れてしまったらしい。

「伝われ」ば、それでよいのか?

ことばよ、お前は冷酷で、気味の悪いほどに白い翼を持った、ただの伝書鳩に成り下がってしまったのだ。


月明かりのもとで青い目をした金髪の青年のことを思い出している紅頬の少女が思わず呟いた「好きです」ということば。葉巻を咥えた紳士が、娼婦の桜色の胸の中で満足げに洩らす「好きです」ということば。

ああ、これらも全く同じものだというのか。まるで違う色を持つ二つの感情が、まったく面白みのない同じことばでしか表現しえないとは。

ことばよ、お前は、お前は、時間を手に入れる代わりに色を失ったのだ。

お前の意味するものに、意味はない。「愛」も「美」も、もともとあるものをお前が表しているのではない。お前が新しいものを作り上げてしまったのだ。「愛」は「愛」ということばの中にしかない。「愛」そのものは、お前の中にも私の心の中にも存在しないのではないか。

言い尽くせないのだ。お前が何かを表現した瞬間、それは出来合いの陳腐なものに成り下がる。

なにが「好きです」だ。その程度の媒体で、我々の心の中にある噴火口を美しく的確に表せるとでも思っているのか。もったいない。


我々は比喩で勝負する。滝のように豊潤に流れる音階こそ、我々の武器である。Nよ、もし我々に追いつきたくば、すべてを分かりやすく退屈なものに仕立て上げてしまうこの「ことば」という罪深き媒体を使って、もっとも微妙で哀切きわまる「イ短調」の音色の表現する心情を表わしてみよ。

もしそれができたならば、私は今すぐピアノを叩き割って、お前の弟子になろう・・・



Nは返事を書いた。

「海水浴の後、砂のついた服を着たまま帰る時の気持ちだ。」



翌日、Kから、黒鍵を真っ二つにへし折ったものが送られてきた。

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今日もお読みいただきありがとうございます。皆様の一日が素敵なものになりますように願って。


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