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【ショートショート】まるで中身のない物語

「こらッ!」

船べりに浮かぶ真っ赤な太陽の光がファンデーションを突き抜けて、私の頬に射しこんでくる。ありとあらゆる生命の源を浴びた私の肌は、仲間意識を持ったのだろうか、小さな歓声を浴びていた。男たちの、無骨で熱い手に触れられているときよりも、もっとほっこりしたやさしい気分になれた。

どこかで声が聞こえた気がした。ああ、思い出した。これはうちの近所に住んでいたバクじいさんの怒鳴り声だ。

バクじいさんの家の庭にはブルーベリーがあった。それはカラスたちの猛攻を避けるために何重ものネットに包まれていた。カラス除けのCDを吊るすために地面に着きたてられた木の棒が、年々乾いて朽ちていくのを横目に、じいさんのブルーベリーはぐんぐん伸び、青々しい葉を茂らせていった。

だが、そんな旺盛なブルーベリーの木さえも、私の背はあっという間に追い越してしまった。それはそうだろう。そのブルーベリーの木が生み出した紫色の実を誰よりも食べていたのは、何を隠そう私だったのだから。

「こらッ!」

ああ聞こえる。あの大きくて、太くて、そして優しい声。

「身をもいで食うな。食うならこれにせい。」

そう言ってじいさんはいつもメロンを私にくれた。でも、どこぞの甘ったるい草を食べた甘ったるい牛のふんをふんだんに撒いた農園で育ったメロンよりも、じいさんのブルーベリーを私は食べたかった。

「だって、おじいちゃん、ブルーベリー食べないじゃない。あたしがたべたっていいでしょ。」

「ダメなもんはダメじゃ。それを食うのはお前でもわしでもないんじゃ。」

ならば誰が食べるのだろう?私は思った。そして甘ったるいメロンの皮をしゃぶりながら、ブルーベリーの実よりもいくらか赤っぽい太陽を一緒に眺めていた。「鬼平犯科帳」という文字が印刷されたCDがきらきら光った。

「この木はな、神様にたてまつるんじゃ。」

バクじいさんは言った。

「実がなるとな、こうひゅううういと風が吹いて、ぼろぼろぼろと実がこぼれおちてな、地面からミミズ様やらモグラやらがにょきにょきにょき、と出て来てな。スズメはちゅんちゅんあつまって、アゲハチョウやモンシロチョウもたくさん来てな。ほいで、カラス様の登場や。カラス様は、ニイトコ山の山頂の祠に住んでるホノメルカ様に、わしの作ったブルーベリーを持って行ってくれるんじゃ。」

つばを飲み込む音がした。

「わしの、わしの息子がな。あの山に住んどるんや。昔、おった、わしの息子がな・・・」

ならばなんでカラス除けのCDなんて掲げているのだろう?カラスに運んでもらうのに。いつか聞いてみようと思っていたが、いつのまにか私は高校生になり、ブルーベリーの木にもバクじいさんにも興味がなくなってしまった。

こうして私は都会に出てきた。紫色の水を湛えた川のほとりには、コンクリートでできた階段が並んでおり、その上を子どもたちが元気にグリコなんかしている、とある都会の郊外の町へ出てきた。だがこうして、都会の空気にやられた頬を、あたたかくて優しい夕日の光に包んであげると、どうしてもバクじいさんのことを思い出す。じいさん、今はもうこの世にはいないだろう。ニイトコ山にでも住んでいるのだろうか。ひゅううういと吹く風に乗って、私の耳元に寂しさを残していくのは、あなたですか。たしかに、バクじいさんはいつも寂しそうだった。そして、ブルーベリーは、いつもこれでもかというほど酸っぱかった。





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