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ふるさとへのセレナーデ

何一つない青空が寂しいと雲を作るために焚火をする人がいた。天気は快晴であり風は北東、隣の湖からはさざ波が流木にあたるぽちゃん、という音が焚火の中で竹が爆ぜるぱちんという音と重なって一つのセレナーデ、ぎゅっと絞られた雑巾の泣き声が聞こえてくる。そんな片田舎の風景であった。

彼はひたすらに焚火の中へ竹の枝を放り込む。雪の下で死に絶えていたクリーム色の竹をぽきりと折る手つきの中には熟練を感じさせる滑らかさがあった。水没した湖の底からおいでおいでしてくる鯉は寒くないのであろうか、自分の半纏を捧げてあげてもいい。ただし300円なり。

焚火はぐんぐん燃え上がりすんでのところで彼の半纏に燃え移りそうになったが別にそれでも構わないし燃えてほしいとは思っていないけれども。御年還暦を過ぎてついに誰もいなくなった過疎地の湖、たった一人残った男がヘリコプターの到着を持っている。息子が街で待っているのだ。あたたかなコーヒー、IH調理器具、オール電化のマンション、そんな生活が自分にも訪れるなんて夢にも思わなかった。生まれてから死ぬまでずっと自分を見守ってくれていたこの湖に照り映える青空が憎らしくて仕方がない。どうしてそんなに澄んでいるのか、どうしてそんなに無邪気なのか。濁りのない湖に生き物は住めない。土の濁りのない空間に人間は育たない。育つのはテクノロジーとアイロニー。煙が空の中に消えてゆく。

入れ歯を忘れるところだった。爺さん焦って母屋へ向かう。

焚火は燃えている。じゃらじゃらと北東の風が吹く。ムササビの泣き声が響いてくる。セミの幼虫がよじよじしている。嘘つけまだ桜も咲いてない春であろう。だがこれは春に鳴くハルゼミという種類の昆虫である。これが鳴くころには爺さんはいなくなる。給湯温度が微妙な白いバスタブの中で爺さんは窓から見えるギラギラした太陽を眺めているのだろうか。嘴の青いキツツキが幼虫を屠って飛び去って行った。

真っ白な入れ歯をして男前になった爺さんは、家から持ってきた一万円札を焚火の中へつっ込んだ。これでもかと燃え広がる。じゃらじゃらじゃら。大当たり~。爺さんにはたしかに聞こえたのである。

ヘリコプターはまだ夢の中にいる。

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