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作り手、受け手としての文学フリマ東京37


はじめに

 十一月十一日に行われた「文学フリマ東京37」について書いていこうと思う。作り手(出店者)としても、受け手(一般来場者)としても現場に居たので、その両方から思ったことや感じたことをまとめていきたい。

作り手としての文学フリマ東京37

 今回で作り手(出店者)としての参加は三度目となった。とは言え個人での参加というわけではなく、「彩ふ読書会」の文学フリマ出店企画を通じての参加ということになる。初出店時に「読書好きが高じて本作っちゃいました」を合言葉に小説、エッセイ、詩などを集めたアンソロジー『彩宴 -iroutage-』を創刊し、今回の出店で「VOL.3」となった。今回の出店要項はこちらのページから確認してもらいたい。

 これまでの出店参加に共通して言えることは、自分たちが作った本を出来るだけ多くの人に読んでもらいたいということだ。それは出店を重ねるたびに強く思うようになった。初めて本を作ったときは、人に読んでもらいたい云々よりも、本を完成させたことに満足していた部分が大きかったように思う。確かに自分たちの書いたものが製本されてきちんとした形としてあることが初めてだったので大いに感動したのも事実だ。

 だが私自身三度目となった今回は、企画への参加人数も前回より増えたことで内容も充実し、より良いものを作っているという自信もあったし、何より私の書いた小説を読んで欲しいと思った。私は創刊号から「VOL.3」までの三冊に小説を寄稿していて、手前味噌ではあるが、どの小説も面白いと思っている。やはり本として形に残るのであれば、自分でも納得のいく小説を載せたいし、それが展示即売会という場に並ぶのであればなおの事である。

 今回寄稿した小説「躾」は、大正時代に実際にあった「下谷サドマゾ事件」を私なりに小説化したもので、作品の自己PRを求められた際に「情痴の果てへと向かう夫婦を描いた、谷崎イズムを彷彿とさせる野心作」と誇大広告にもなりかねないことを書いたのだが、その自信に嘘はない。過去に『彩宴』に載せた小説は文字通りの創作小説で、自分の中にあるイメージやアイディアをもとにして小説を書いていったのだが、今回は実在する事件を使ったため、いわゆるストーリーラインはほとんど考えていない。そのため今回一番考えたのは、この事件をどうやって語るのが良いのか、ということである。そこで考えたのが、谷崎潤一郎のような語りを意識して書けば良いのではないか、という試みである。事件が起こったのが大正時代であったこと、そしてその内容が男女による加虐と被虐であったことからまさに谷崎潤一郎を連想させ、この方法がピッタリなのではないかと考えた。自己PRに「谷崎イズムを彷彿とさせる」と書いたのもこういったことが要因としてある。

 実際問題、谷崎潤一郎のような語りが出来たのかは分からないが、読んでいて流れるような、テンポの良い文章を心掛けた。書いたものをまずは黙読し、その次は声に出して読み、さらにアドビのPDFアプリに音声読み上げ機能があったので、最後は耳で聞きながら文章にあるバリのようなものを削って私の思う流麗さを出すようにした。センテンスの長さや、てにをは、読点の位置をここまでこだわったことは今までになかったと思う。もちろん頑張って書いたから、苦労したからといって面白いものが出来るとは思っていないが、それなりのものを書けたと思っている。

 こういったこともあって今回の出店では今まで以上により多くの人の手に渡ってもらいたいと思ったのだった。主催者の発案で事前の広報活動にも力を入れることになり、収録作の紹介動画を作りYouTubeで公開するということも行われた。以前も収録作の試し読みを公開することはあったのだが、動画にすることでより具体的にその内容を伝えることが出来るのでとても良いアイディアだと思った。基本的には主催者が紹介動画を作成してくれたのだが、その動画を見て自分の中でアイディアが浮かんだので「躾」の紹介動画は自分で作ってみることにした。少しでも読んでもらいたくなるような惹きのある動画になれば良かったのだが、結果的にあまり再生されなかったというのが現状だった。

 当日は参加メンバーで店番のシフトを組んで、私も少しの時間だったがブースに立っていた。時間帯もあってか読書会を通じての知り合いや、参加メンバーの知り合いが訪れてくれて、新刊を手に取ってもらうことが出来た。他の時間帯の店番の人に聞いても、やはりそう言った経緯で買って行ってくれる人が多かったようだ。もちろんそれでも至極嬉しいことなのだが、あれだけ来場者が溢れかえっているなかで、言うなれば一見さんの目に留まることの難しさを痛感したのも事実である。事前に彩ふ読書会のX(旧Twitter)で紹介動画とそれに併せた著者のインタビュー記事を公開して「VOL.3」がどんな内容になっているかの宣伝は行っていたし、前回から見本誌コーナーも再開され、頒布物の内容を簡単に見てもらうことも可能になったわけだが、それでも無数の出店者の中から見つけてもらうことは至難の業である。

 新刊に関して言えばさすがに完売までは行かずとも、終わってみればまずまずの売れ行きだったのかもしれない。しかしながらまだ在庫は残っているし、それに新刊を作るとどうしても宣伝がおろそかになってしまう既刊である創刊号と「VOL.2」も捌けきっていない。主催者はまた出店したいとの意思があり、それがいつになるか、どういったものを作るのか(あるいは既刊だけで行くのか)は分からないが、いずれにせよ「私たちが作った本は面白い」と信じて、「だからこそ誰かに読んで欲しい」と思い続けることだろう。そしてこの「私たちが作った本は面白いから読んでくれ」という思いは、当日受け手(一般来場者)としても現場に居た自分にもダイレクトで伝わってきたのだった。

受け手としての文学フリマ東京37

 過去最大規模で行われた文学フリマ東京37であったが、驚かされたのはやはりその出店者の数だった。出店者が一八〇〇を超え、東京流通センターの全展示場を使っての開催となっていた。パンフレットによると出店規模を超える申し込みがあったため、抽選を行った部分もあったそうだ。決して安くはない出店料を払い、手間暇かけて作った本を「面白いから読んで欲しい」という人がこれほどまでにいるとは。そしてその熱意に応えるように通路を埋めるほど多くの来場者でごった返している会場にただただ圧倒されっぱなしだった。それそれのブースには趣向を凝らしたレイアウトがされていて、通行人の目に付きやすいような大きいポスターを掲示しているところも多かった。会場を歩いて回るだけでも至る所から情報が目に飛び込んできて頭がクラクラしてしまいそうになった。

 そんななかでも私が今回購入したのは三冊だった。恐らく他の来場者に比べると少ない購入数となると思うが、私は作り手として「私たちの本は面白いから読んで欲しい」と思いながらも、一方で受け手となると何を買うかというジャッジは結構シビアになる。webカタログでいくつか見て回るブースは検討していて、一つはすぐに買いに行ったのだが、結局購入しなかったブースもある。逆に通りがかったところを偶然出店者に声をかけられて立ち寄ったブースで買ったものもあるし、事前にチェックはしていなかったが、見本誌コーナーで気になって買ったものもある。

 京都ジャンクション(M-30)の『京都ジャンクション第17作品集』は事前に購入を決めていた数少ない本で、芥川賞作家となった高瀬隼子さんが所属している文芸サークルが出している。『第17作品集』には創作「架空同僚日記」を寄稿していて、ぜひ読んでみたいと思って購入した。

 かからいすという朴訥な女の勝手な文学屋(L-22)の『神』(簪なぎさ著)は声をかけてもらって購入した本である。二十代の女性が一人で出店していて、純文学のジャンルであったこともあり購入させてもらった。この本はすでに読了していて、独特の文章世界を体験することが出来た。

 現象(N-40)の『ego』(shiho著)は見本誌コーナーで偶然見つけた本だった。見本誌に張られた紹介文に「ビッチが書いたビッチのお話。酒と音楽と男と女。」と書かれていて、私の興味を惹いた。こちらも純文学のジャンルで、装丁もシンプルながらお洒落だったので購入させてもらった。

 恐らくだがこれら以外にも私が読んで面白いと思う本はたくさんあって、見かけたのに買っていなかったり、そもそも見つけることすら出来なかったものもあるだろう。作り手としても思ったが、一八〇〇を超える出店者のなかから見つけてもらうのも困難だし、受け手としてそれを探し出すのも一苦労なのだと。気になるのものを手当たり次第に買って行けば良いのかもしれないが、お財布事情もあるし、読み切れない数を買っても仕方がないという思いもあるので、どうしてもシビアになってしまうのは致し方無い。

 それにこんな話がある。過去の文学フリマで友人が出店者に気圧されて勢いで買った冊子が、校正等の作りが非常に雑であり内容もつまらなく、しかもそれなりの値段だったことに腹を立てていた。こういったことも手軽に購入するのをためらってしまう要因のひとつでもある。この事例も文学フリマにおけるアマチュアならではと言ってしまえばそれまでだが、こちらもある程度の金銭を出している以上、それなりのものを求めるのは受け手の態度として間違っていないと思うし、逆に作り手として自分たちの本を手に取ってくれた受け手にはそういう思いをしてもらわないように気を付けなければと思うのである。

おわりに

 今回は文学フリマ37において、作り手、受け手の両方から参加して思ったことをまとめてみた。私がこうして作り手側になれるのも文学フリマ出店企画をしてくれている「彩ふ読書会」のおかげなので、深く感謝したい。最後に作り手として悪あがきを少々。

 文学フリマ37は終了したが、ここで言及してきた『彩宴 -iroutage-VOL.3』は今からでも手に取ることが出来る。

 詳しくは上記のページを見てもらいたいが、今後開催される読書会とBOOTHによる通販で手にすることが出来る。この記事を読んで私の小説に興味を示してくれれば嬉しいし、そうで無くても、総勢十四名の執筆陣による小説、エッセイ、詩、短歌、推し紹介コラムを収録したアンソロジーという形態を取っているので、お好みに合うものがきっと見つかると思う。来年一月には「VOL.3」を課題本とした感想を語り合う会が予定されていて、実に出店者が読書会らしい企画となっている。手に取った方にはぜひとも参加を検討して頂きたい。作り手と受け手が交差出来る良い機会だと思う。

長々といろんなことを書いてしまったが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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