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仄暗い夜明け

朝起きた時に、まだ少し寂しくて、天気が良い日は海へ行きたくなって、酔っ払って寝る日は、どうしようもなく会いたくなってしまう、仕様のない私を、誰でもいいから救って欲しかった。
昨年の秋は、肌寒い日が続いて、夏の暑さはすっかり忘れてしまっていた。
マスクの中に色を仕込むのを忘れない私に、「どうせマスクに付いて、洗うのが大変になるだけなのに」と彼は眉を顰める。
その顔が大好きだったから、彼が困ることや、仕様もないところをずっと魅せていたかった。1LDK、2人でいるのは少し狭い部屋だった。今思うと、それくらいがちょうどよかった。
1年もたつと、彼は休日に1人で車を走らせることが増えた。並ばない食卓と、要らない溜息が溢れた。
こんなにすれ違うなら、言いたいことがある時は疲れた時でも、起こしてくれてよかった。酔っ払ってしか言えないなら、朝から飲んでも構わなかった。
結果論しか出てこない自分に腹が立った。
「いつからが嘘で、どこまでが本当なの?」と泣いた朝は、私の心の奥に植え付けられていて、でも、昨日のように思い出すことができる位置にあった。
何も答えないあなたに腹が立ったのを、回想するとキリがない。
彼が私を好きだと言ってから、好きかどうか分からないと言われるまで、そう遠くはなかった。
人の心変わりを肌で感じ取ることは、慣れていなかったから、あまりの衝撃で、食事はほとんど喉を通らなくなった。
「俺のせいで人生を変えない方がいいよ」
あなただから変えたかったのよ。あなただから変えてもいいと思ったのよ。その覚悟で隣にいたんじゃない。ずっと隣にいたんじゃない。言いたかったけど言えなかった。だって、あなたが大好きだったから。大好きなあなたには首を振ってほしくなかった。謝ってほしくなかった。項垂れた顔で私を見てほしくなかった。
あんなに好きだった冬が、トラウマのように襲いかかってくる。
寒々した134号線は今でも嫌いだ。人がいない江ノ島も、線路沿いの家々も何もかも凍えていて面白くない。
藤沢駅の近くのカレーうどん屋に初めて連れて行ってもらったときは、はっきり言って楽しくもなんともないデートプランだった。
ドライブだってはしゃいでいたけど、オープンカーのロードスターは私には少し寒かった。
海岸で手を繋いで、貝殻を拾ったりしたけど、ありきたりなあなたに興醒めさえ覚えた。
はじめてキスをしたのは私が車から降りようとした時で、ふいに重なった顔がおやすみなんて言うから、その日の夜は眠れなくなった。キスなんて飽きるほどしてきたのに、こんなに瞬間を切り取りたいと思ったことはなかったかもしれない。
だから、その時から分かってた。寒い夜は抱きしめてほしいと思ってしまった時から、もう遅かった。
人混みの中は逸れないようにいつも手を繋いでくれた。あなたの手はいつも少し冷たかった。大きくてごつごつした手は、私の小さくて柔らかい手を覆っては、優しく引っ張っていく。
街の中はキラキラで、すれ違う人もみんなが幸せそうに歩く。完璧な今日が恐ろしく愛しくて、いつかの別れを助長させてるかのようで、それを私は只管に忘れようと必死だった。
現実味を帯びた冬がやってきたら、空想の秋を一気に食べてしまった。
からんとした部屋の中で、2つの個体が息をしている。そんな生活を送っていた。
どうせ別々なら、1つになんかならない方がマシだなんてセックスをしながら考えてた。
私はあなたが悦ぶならどんなことでもしてあげたかったけど、その度に面倒くさそうに煙草を吸うから、匂いに紛れて消えてった。吹かれて、昇って、消えてく。
だから、手に残った煙草の匂いだけ舐めて、苦いと安心して眠りにつけた。この苦さだけは嘘じゃないから。覚えて、しがみつけるから。
それから彼と知らない女が駅前を歩いてたと聞くまでは一瞬だった。
言うか悩んだ。私はさようならを言われるのか、言えるのか。
いつからとか何でとか、頭をぐるぐるしたけど言いたいことは絞れなかったから、彼に委ねた。
「ごめん」 と「・・・」は気が狂いそうな空気に溶けて、2つを離れさせようとする。
「もう、終わりにしたい」と絞り出したあなたは、いつにもまして疲弊した顔をしていた気がする。
ああ、呆れる。
こんな状況でも私はさようならさえ、言えない。
涙が顎先まで到達したときに、私は頑張るのをやめた。ありがとうなんて思えなかったけど、ありがとうとだけ伝えた。
がらんどうとした、嘘が詰まった、2年間と1LDK、あなたと私の穴だらけの恋愛。


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