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お笑いが大好きだからこそ「女芸人No.1決定戦THE W」が苦手である。

昨日、「女芸人No.1決定戦THE W」が放送された。お笑いの賞レースは何かと物議を醸すものだが、この番組はその筆頭と言えるだろう。

どの賞レースでも芸人に対して、「つまらない」と野次を飛ばす人間はいて、お笑い好きであり自分自身もちょこっとアマチュアお笑いしていた身からすると、「あなたに何が分かるのさ」と思ってしまうこともある。

そもそも、お笑いという芸術に点数をつけること自体、レベルが高ければ高いほど、価値観やセンスの違いが大きくなるわけで、審査すること自体ナンセンスなのだ。

ゴッホとピカソどっちが好き?なんて、完全に好みであるし、ゴッホの絵の中でも好みの違いが分かれるだろう。

しかし、賞レースは、世間に名を知ってもらう場、スター誕生の場として必要であり、メジャーで輝くために用意された夢の舞台でもある。

野次が飛ぶのは悲しいし点数をつけるのはモヤモヤするが、お笑いにとって必要なものであると理解している。そんな相反する感情を抱えながら、毎年賞レースを楽しみにしている。私の中では甲子園みたいなものだ。

しかしながら、このTHE Wについては、お笑いファンとして認めたくない感情であるが非常に苦手である。

他の賞レースで感じるモヤモヤとは別のモヤモヤを感じるからだ。


▶「女」という条件は逆効果

「女」であることを条件にして大会を開く必要性は一体何なのだろうか。

女芸人から大会を熱望する声があったという話も聞いたが、多くの視聴者は「通常の賞レースでは女芸人は勝てないから」という印象を持っているようだ。女芸人は面白くない、男の中では勝てないから女の大会を作った。そう感じている人は多いだろうし、制作サイドにもそんな考えがあったのかもしれない。

冒頭で述べたように、賞レースは、スターを誕生させることができるという大きな利点がある。しかし、条件に「女」をつけたことはかえって逆効果だったと感じる。

女だけにしないと勝てない=女芸人は面白くないと、「女」というくくりで面白さが評価されなくなってしまうような環境を生み出してしまったように思う。これは、性別で芸術を判断するという行為を助長している。

THE Wを観ているときの私の正直な感想を言うと、面白い以前に非常に不安になる。

これは女芸人が面白くないからではない。心からお笑いを愛しているからこそ、性別という”ものさし”で笑い測る環境が苦しいのだ。「女」芸人を一緒くたに否定できるような環境が辛いのだ。

素晴らしい芸人が沢山いらっしゃるのに、「女」というだけでつまらないと思われるのがお笑いファンとして本当に悔しい。


▶女芸人に求められるものは何か

そして、この性別という条件のせいで、お笑いの評価のポイントが偏る。女限定の大会なのだから「女」だからこそできるお笑いかどうか、が求められてしまう。

例えば、甲乙つけがたいネタであったときに、女芸人No.1決定戦なのだから、”女芸人らしい”発想や内容だった方の評価を高くしようなんてことが起きる。もちろん、逆に”女芸人らしくない”ことをやってのけたから、評価を上げようという場合も然り。

だからこそ、「女である自虐」「恋愛」といったネタが目立つように感じてしまう。お笑いのテーマとしてフラットに見れないのだ。

いつもの私を思い出してみると、この芸人だからこそ作ることができたネタなんだなと思ってネタを見ている。女性の芸人さんを見ても「女」芸人としては見ていない。

(例えば、友近を見る時は「さすが、友近さんは人間観察力が高くて器用だな~」と思うし、相席スタートだったら「ケイさんと山添さんの互いのキャラクターイメージが的確でバランスが丁度良いよな~、二人とも自分自身を活かしているな~」と思うみたいな。)

でも、「女芸人No.1」と銘打ったこの大会を見ているとき、私は自然と「女だから」「女なのに」を基準にネタを見てしまっていた。そんな自分を見つけてしまって、ひどく落胆した。

女芸人に求められているものを探している自分が情けない。


▶人を笑顔にするために輝く人

性別とお笑いについてとやかく言ったが、最近では、性差別・過度な自虐やいじり・暴力といったお笑いは避けられるようになってきた。お笑い界でも多様化が進んできているように思う。

私は、性別は一つの個性だと思っている。お笑いに限ったことではないが、性別という概念に囚われずに、個性として受け入れていきたい。

性別で人を判断し、ましてや馬鹿にするようなお笑いは、それはもう人を笑顔にするものではなくなってしまう。

だからこそ、性別を前提とした評価をする大会は、やはり好きなれない。もっと言えば、セクシュアルマイノリティの芸人はノーカウントで作られているのも問題である。


実際問題、この賞レースに限らず、性別は足枷になっている。

「そもそも彼氏がいない子もたくさんいます。彼氏がいても芸人だと打ち明けていない子、彼氏にはライブを絶対に見に来させない子もいます。面白さは女性にとってモテる要素にはならないのかな。男性は女性に対して、面白いボケや突っ込みを入れてほしいって思ってない、というか。女性は面白い男性を好む傾向があるんですけどね」

この、「面白さは女性にとってモテる要素にはならないのかな。」という言葉が非常にリアルだと思った。

私がお笑いに首を突っ込んでいた時も、「お笑いが好きな女の子は好きだけど、お笑いをやっている女の子はだめ」というような事を言う人が沢山いた。

こんなにも人を笑顔にするために輝いているのに、性別が入ってくると、モテる/魅力的な要素にならないという。

芸人は、人を笑顔にさせよう、楽しませようとしてくれる。こんなにも直接的に人を笑顔にする仕事はない。性別にとらわれずに、本人の持つ輝きを見てほしい、きっとまぶしくて堪らないから。


▶まとめ

私がTHE Wが苦手な理由は、

◎女性という条件をつけることによって、「性別」という前提を与えてしまい、フラットにお笑いを見ることができなくなってしまう。

◎これはお笑い界に残る性差別を助長してしまうことになりかねない。性別ではなく、一人の芸人による人間の個性を楽しむべきだ。

と思っているからだ。

どんな芸人でも輝けるような場が設けられることを切に願う。


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