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アメリカでは列を作らないし、マナーモードにもしない/許容できない社会の話

こんにちは、おかゆです。ラスベガスのアパートで生活を始めて、10日以上が経ちました。近所のスーパーで買い物をしたりバスで出掛けたりして毎日過ごしていると、日本とは決定的に違うアメリカの文化を肌で感じることができますね。ほんのちょっとした行動の違いではあるのですが、そこに暮らす人々の意識の違いまで感じられて、とても興味深いです。

列を作る必要がなければ、並ばなくてもいいじゃない

まず日本と大きく異なる点として、アメリカの人たちはバスに乗るときなどに列を作りません。バス停の周囲の好きな場所で待ち、バスが来たらなんとなく近い順に乗っていきます。お見合いになってしまったときはお互いに「どうぞどうぞ」と譲り合って乗り込みますので、トラブルにはなりません。

日本ではバス停に着いた順に列を作り、順番を守らない人がいれば「なんだこの非常識なヤツは」という目で見ますよね。でも、それって本当に意味があるのでしょうか?

私たち日本人2人はラスベガスの暑さに慣れていないので、日中バスを待つときはなるべく日陰のあるスペースにいます。太陽の位置によっては、バス停の裏に隠れていることも…。立っているのがしんどいときは、バス停内のベンチに座りたいときもあります。電動カートや車椅子に乗っている人、ベビーカーを押している人もよく見かけますし、様々な人がバスを待つ中で「一列に並んで順番通りに乗り込む」なんてルールを守っていたら大変ですよね。

にこやかに「お先にどうぞ」と譲り合う人たちを見ていると、列を作る必要なんて全くないな、と感じます。むしろ「前の人に続いて並ぶ」という型にはまった文化・習慣があるからこそ、今の日本は「イレギュラーを許さない、他人を許せない社会」になってしまっているのではないかと感じました。

みんな、お店やバスの中でも普通に電話してる

同様に、日本のような「厳しいマナー」を気にする人はいません。公共施設や交通機関の中でも携帯の着信音が鳴り響き、電話も普通にします。もちろん大人も子供もごく普通の声量でガンガン会話しています。

日本の電車は、お子さんの泣き声がすごく目立ってしまうほどシーンとしていますよね。色んな事情を抱えたたくさんの人が一つの乗物に乗り合わせるのに、そんな静まりかえった環境であること自体おかしいのかも?とこちらに来てから考えるようになりました。

日本では、小さい子が電車で大声を出すとにらみつけるオッサンや「うるさい!」と言ってくるオッサンがいますよね(友人の体験談やSNSでの目撃談でしかないのですが)。「子供に対してここまで不寛容な国は日本くらいだ。少子化が進むのも当たり前だ」なんて意見を耳にしたことがあるのですが、そもそも電車やバスがシーンと静まりかえっている国も日本くらいなんでしょうね。

最初から「自分も電話がかかってきたら出るし、友達と一緒にいたら大声で話す。無理に静かにする必要なんてない」とみんなが思っていたら、「泣き声がうるせーぞ!」なんて気持ちも起こらなくなるはずなんですよね。

余裕のない社会で生きてるから、みんな心に余裕がない

日本という国は、いま本当に余裕がありません。
この30年のあいだ平均賃金は上がらないのに税金ばかり上がり、年金はもらえるかどうか分からないし、長時間労働&低賃金が当たり前で時間もお金もない…。
不安に包まれた不景気しか知らない世代があまりに増えすぎました。
「だからみんな心に余裕がないんだ。それが原因だ」と言ってしまうと身も蓋もない話ですが…。

アメリカに来て細かいことを気にしなさそうな大らかな人たちを見ていると、やっぱり日本の社会の息苦しさを感じてしまいますね。
アメリカでは小さい子がバスではしゃいでも気にする人はいませんし、ベビーカーをステップから下ろすお母さんがいれば見ず知らずの人が手伝ってくれます。

「お互いに迷惑をかけあっても気にしない(許容する)」ことをみんながもう少し意識できたら、日本も大らかな国になれるんじゃないかなと思います。

※ただし、アメリカでは逆に「ルールを守る」という意識が低すぎる場合もありますので、難しいところですね。国民の遵法意識が低いがゆえの治安問題もありますし…。

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