考える前に飛んだあと、どうなるか考える。
退職を前に休みをとって、平日に鶴見に行った。鶴見線が好きでたまに乗りに行くのだが、久しぶりの再訪。懐かしの沖縄料理屋ではなく、初めてのペルー料理屋に入ってみた。
平日昼間、ランチ時間もギリギリということもあり、客はわれわれのみ。豆の煮込みや牛肉とポテトフライの炒めものの定食を美味しくいただいた。いやびっくりするほど美味しい。ペルーと中華の店とのこと、まったく飽きない味だった。
中年の男性が調理をして、若い娘が配膳と会計。親子かな、と思う程度に似ている。ペルーの文化を紹介するようなインテリア、毛織物でできたランチョンマット。自分の価値観で作られたお店と商品。仕事を見つめなおしているときには、憧れしかない状況だった。こうやって自分の好きなものを提供して、食べていける生活ができれば幸せなんじゃなかろうか。
しかしわかってはいるのだ、飲食店は難しい。客入りに波があり常連をつかむのもたいへん。衛生管理も気が抜けないし、材料費が高騰している。他との差別化もある。バランスを考えると、長期で続けるのは相当難しいんだろうなと想像ができる。このペルー料理店のように、ユニークで、(たぶん)家族経営で、など条件が整わなければ。
しかし、不思議な店もある。地元にあるのだが、人通りがあまりないところで、地の利が悪く駐車場もなく、それでもずーっと続いているこじゃれカフェ。常連客がいるんだろうか。会員制の会合でも定期的に開いているのか。
ひそかにあこがれている商店街の金物屋は、店が開いていても蛍光灯もつけないありさまだが、店をたたむことなくずっと営業している。これはどういうことなのか? 友人で金物屋の娘がいるので聞いてみたら、収入の多くは包丁とぎだと言っていた。それだけではないだろうよ…。企業や学校などに納品しているのだろうか。
街道沿いのお米屋さんは羽振りがよさそうだった。いろいろなところに納品しているんだろうなあ。でもある日突然店をたたんでしまった。まあ、確かに実店舗はいらないかもしれない。倉庫と事務所があれば。
知らない世界、知らない経済循環。確かに、自分のいまいる会社の業界のことすらわかっている風でわかっていやしなかった。いくつかの部署を異動するうちに、少しずつビジネスモデルと業界のルールを理解したのだ。でも、仕事を知らないとその会社にも入る判断ができないしなあ。それともみなさん、知らなくても飛び込んで行っているのだろうか。結局そういうことなのか。
頭でっかちで理屈っぽいのは行動力のブレーキになる可能性も、ある。さて、なんの仕事をしたいのかな、自分。考える前に飛んで失敗してきたからなあ、と大人ぶってみる。