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誰のための、誰による創造か?


拾い画で失礼します


娘を産んで約1年半。子育て支援センターや保育園見学など、子どもにまつわる施設にたくさん行きました。左のような作品を、たくさんたくさん目の当たりにしてきました。そして、悲しみや怒りを多く感じました。

これは、誰のための、誰による表現でしょうか?
これは、子どもが自らの心や体で作った作品なのでしょうか?

自分自身が長年携わってきた保育・教育の現場では、左のような表現を行なったことが一切なかったので、世に蔓延る左の表現に、あまりにも大きな衝撃を受けました。右の考え方を大切にしてきた私にとっては、左の表現はあまりにも無意味で、あまりにも子どもに失礼だと感じます。いくら娘が作ったものでも、加工されてしまったら手元に置いておきたいと思うことができません。そこに喜びや美しさを見出すことが私には難しいからです。
子どもが自らの手足や頭・心でえがいたものを大人が加工する。それは、子どもの意志や尊厳に泥を塗っているのと同じです。全てが台無しです。子どもの心の底から生まれた表現は、どこへいってしまったのでしょうか。

これは私自身が感じていることなので、左の表現はダメです!と断言はできませんし、他人に強要するつもりは毛頭ありません。
がしかし、保育や教育は変化していく"生き物"です。常に成長し、常にアップデートし続けるものです。昔からあるから、その園の文化だから、ではなく、今目の前で生きる子どものための保育をどう組み立てるか、子どもの表現をどう活かすか、今一度、保育・教育者には考えてもらいたいなと思う次第です。

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