見出し画像

選択としての勉強

眠れない夜

こんにちは。前回の投稿が眠れない明け方に書いたものだったように、最近寝れない夜が続きました。理由としてはいろいろ考えられるのですが、一つの理由に固執してしまい、その原因が解決しない限りスッキリしない!という錯覚に陥ってしまいました。しかも、その理由はあくまで他人の行動によって解決するものだったので、自分では待つしかないという意味でも苦しかったです(イメージとしてはYUIの"CHERRY"です)。お姉ちゃんと話してあくまで他人本意の悩みだと気付いてから、頭の中のBGMを"CHERRY"からSpice Girlsの "Wannabe"に変え、あまりにもフォーカスしてしまって苦しかった理由以外に関連する、例えば生活習慣を整えるとか、ブルーライト浴びる時間を減らすとか、適度に運動するとかを意識するようになりました。♪Don't go wasted~ My precious time~です。

本題!

今日のタイトルは、選択としての勉強です。このトピックを考え始めたのは、忙しい学期が終わって夏休みに入ってから調子が出ないことがきっかけでした。なんのモチベーションもなくて気の向くままに生活するのは、幸せそうに見えて実は幸せではない気がします。自分の中でストレスがないほど幸せなんだろうなと思っていたのですが、ストレスはなくなることはなくて、もし少なくても新たにストレスを見つけてしまうような脳の構造をしていて厄介だなぁと考えています。自分の場合は、学期中は半ばグレードのためにタスクをこなし授業に出席していて、良くも悪くも張り詰めた状態から解放されて、やることがねぇ!というのが逆にストレスになっていました。そう考えると、ある程度のストレスは幸せでいるために必要なんじゃないか?とも思い始めました。スイスの法学者ヒルティも『幸福論』の中で「本当の休息は活動のさなかにのみ生じるのである」と言っています。個人的にこのストレスと幸せの関係を勝手にストレス幸福論と名付けてよく考えています笑。それがどう勉強とつながるのか?それは、このちょうど良いストレスが、勉強に置き換えられるからです。はっきり言って、学期中の勉強は強すぎるストレスです。このレポートがポシャっちゃたら(失敗してしまったら)、この試験の点数が低かったら、と考えながらの勉強なので、死ぬほどストレスがかかります。じゃあなんで勉強がいいストレスになるのか?

いいストレスとしての勉強

いいストレスとしての勉強の特徴は、1)自発的で 2)興味のある分野を 3)自分のテンポで進めていくことです。この三つの特徴を詳しく説明すると、

1)自発性に関しては、学期中の勉強との最も大きな違いだと思います。今までの学期で興味が湧いたけど時間がなくて手がつけられなかった分野を勉強してみたり、クラスの参考文献をもう一度読んでみたりすることを指します。

2)もちろん学期中のクラスに興味がなかったわけではなく、自分は楽単(簡単に単位が取れるクラス)よりも興味が湧くかで選ぶのですが(だから毎学期後悔する笑)、休んでいい期間にわざわざ取り組むくらいに興味があるトピックを指します。

3)クラスにはシラバスがあり、その中にある程度の授業のペースが記されています。自分はオプショナルなものも含めて期限以内に読めるほど器用ではないので、深掘りしたいところとスルーするところの強弱をつけた自分のテンポで読めることが長続きのコツなのかな、とも思います。

勉強をわざわざすることの意味

私は研究よりも行動の方が好きなので、ぶっちゃけ勉強ラブなわけではありません。でも、新たなことを知ることは面白いと思うし、自分の殻が音を立てて割れていく感じに鳥肌がたったり口が閉まらなかったりすることは誰しもが経験したことはある気がします。知らなかったことを知ること、または全然知らないと自覚することで、自分が更新されていく感覚になります。ここでいう勉強は、永田和宏さんの『知の体力』という本で高校までの答えが与えられる「勉強」と対比して「学問」と紹介されていましたが、私のはそんな大したものではないので勉強としておきます。このことが、長期休みをメンタル的に生き延びるために非常に役に立つのではないかと思いました。スマホでSNSを見たり、ネトフリをずーっと観たりするのは楽なことで、これらも長期休みの特権です。でも、そうした”楽しみ”を惰性である一定の程度まで続けると、今度は頑張っていた時期の自分や他人と比べてしまったり、目標がないことでモチベーションを失ってしまいメンタルヘルスに影響します。こうしたときに、自分で決めるから相応の目標と、興味の湧く分野と、少しのモチベーションを用意して「選択としての勉強」を始めようというわけです。

最後に

この選択としての勉強は、完璧を求めません。毎日何かを得られたら素敵だけど、予定があって一日できなくても、予備日を大量にとっておけば計画を狂わせることもありません。また資料や本を読破しなくてもいいことにしました。面白い部分を抜き出して読むだけでも、読まないより十分に価値があると思うからです。

では、Billie Eilishの"When the party's over"を聴きながら、今日は人権について浸ってきます。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?