留学日記 学生運動の歴史的な瞬間にたちあう/アメリカ社会学留学
アメリカ全体での学生運動の渦中で
アメリカでの学生運動の歴史は長い。私が留学しているマサチューセッツ大学アマースト校(UMass Amherst)は、1863年に設立され、ベトナム反戦運動、アパルトヘイト反対運動など、数々の運動が巻き起こってきた。そして今起きているのは、パレスチナでの虐殺に対する、アメリカと全米の大学の関与への抗議だ。コロンビア大学、アリゾナ州立大学などの例に続き、私が通うマサチューセッツ大学でも、大規模なプロテストと、それに伴う130人を超える逮捕者が出た。
何に抗議しているのか?
その抗議の内容は多岐にわたるが、私が理解している上では、イスラエルに武器を提供している民間軍事会社Raytheon(世界第二位の軍事会社)とUMassが連携して、企業を学内のキャリアフェアに呼んだり、企業に学生を送り出していることへの批判。アメリカの政府がイスラエルに協力していることへの批判。そして、戦争や植民支配、構造的暴力への反対の姿勢を示すことだ。(正直に言うと、植民支配や他国の土地を奪うことについて批判するなら、アメリカの建国がネイティブアメリカンの土地の奪取に基づいていることも忘れてはいけないとも思う。)
こうした理由はあれど、今パレスチナ、特にラファで起きている人道危機と理不尽さに対して、学生たちは遠く離れたアメリカで感じる圧倒的な怒りや悲しみのやり場を探しているようにも感じる。それは当然なことで、その方法として、今自分達にできること、つまり自分達が学費を払う大学が虐殺に関与することを止めることや、自分達の国を止めることを求めることを不安ながらも続けている。
警察、圧倒的な力の差、そしてトラウマ
約20年間日本に住んでいて、警察に不信感を抱いたことはほとんどなかった。それは、自分が日本人の見た目をした日本語話者だという特権を持っていたからだろう。そして、プロテストに参加したことはあるが、逮捕されたこともなければ、逮捕するぞという脅しを受けたこともなかった。
その警察への安心感は、一夜にしてひっくり返った。
学期末の火曜日、隣のアマースト大学で授業を受け終え、友達とおしゃべりしたり、卒業セレブレーションのイベントに参加したりして、自分の大学に戻ってみると、キャンパスを埋め尽くすほどの警察官たち。時刻は夜の10時くらい。ペインティングの授業の課題の締め切りが近いので、スタジオにでも行こうかと思っていたんだけど、物騒とした雰囲気に息を呑んだ。スマホで、学内新聞が発信するライブタイムのレポートを見る。数十人単位で逮捕者が増えていく。数百人にわたる警察が学内の至る所にいて、プロテストの中心部である図書館裏の芝生にはなかなか近づけない。
大量の学生たちは、逮捕者が増えるたびに、そして警察が彼らをときに暴力を伴って鎮圧していくたびに、抗議の声をあげた。
”The people, united, we'll never be defeated!”(人々よ、団結せよ、そうすれば決して負けることはない)
”45,000 dead, you're arresting kids instead!”((パレスチナでは)4.5万人の死者が出ている、でもあなたたちは学生を逮捕している)
警察のユニフォームの胸元には、ボディカメラらしきものも見えた。防弾チョッキと、腰には銃と警棒。道端で警察に対してカメラを向けた学生を、警察が群衆の中からひきづり出して五人がかりで逮捕している様子も見た。ただ声を上げているだけの群衆に警察が突然飛び込み、無作為に逮捕する映像も。そして、これは定かじゃないんだけど、野営地の中で、あまりにもぐったりした人が警察に運ばれて地面に置かれていて、隣にいた人が「テーザーガンが使われた」と叫んでいた。車椅子から引き摺り下ろされて逮捕された人も。
力で屈服させられることの屈辱。無力感。その場はまさしく、ディストピアだった。
そんな中、「自分の身は自分で守らないといけない」と直感で感じた。少しでも警察にとって不審な行動を取れば、警察が逮捕したり暴行を加える理由を与えてしまう、と。顔を隠すために、友達がくれたマスクをした。野営地から逃げてきた人たちの腕には、プロテスターたちが逮捕者を管理するための番号や、逮捕された場合のための電話番号が書かれていた。すごく怖かった。力を奪われたような気がした。そして、これはこうしてプロテストすることで権利を求めてきたマイノリティの人たちが、ずっと感じてきた感覚のなのではないかと思った。
そして、その時まちがいなく、警察は自分達を守ってくれる人たちではなく、自分達をひねりつぶす権力を持った人たちだった。
私は、この大学で、目の前で起こったことを忘れることはないし、同じ大学の学生たちが投げ飛ばされ、息ができないくらいに首を押さえつけられたキャンパスの芝生を、前と同じように見ることはできないだろう。学生たちの怒りの声や、そして逮捕された人たちの"I'm not resisting!"という必死な叫びも、耳から離れることはない。警察という組織を、同じように見ることもできないだろう。そこにいた警察たちは、良心的な人々の集まりではなく、学長などの権力を持った人々の命令を粛々と遂行する、魂のない武装集団だった。ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」という言葉が浮かぶ。
どうして逮捕されるのか?
図書館前に立っていた警察に、今の状況を少しだけ聞いてみた。カジュアルに。そしたら彼らは、「学長の声明に基づいて、学生たちの集まりを”平和的に”解散させるように命令を受けている」と言っていた。(学長の声明は下のリンクから見れる。)
これを聞いて、どこが平和的だ、と思わざるを得なかった。警察の逮捕のやり方は、戦争で実際に使われる方法だった。輪を作って、プロテスターたちをじわじわと追い詰めてゆく。彼らは銃、ペッパースプレー、防弾チョッキに警棒を持っている。学生は見る限り丸腰だった。
逮捕の法律的な理由は、不法侵入なのか。学長の声明を引用する。
まず、大学側が言う「市民的な話し合い」なんてものがあてにならないことを私たちは知っている。プロテストのオーガナイザーたちは、学長の言葉に行動とスピードが伴っていないことに気づき、プロテストを実行した。生命を見る感じ、大学はこの野営(encampment)を違法と見なし、その解体に抵抗した人たちを逮捕すると言っている。そして、さらに全米での大学のプロテストに関する記事を見てみると、その野営地の中にいなくとも、周りにいた人たちを「外部の煽動者(outside agitators)」として逮捕するケースもあるようだ。プロテストでの逮捕は、起訴につながる場合は少なく、多くがその後釈放される。しかし、学生は学生行動規範への違反という理由で大学側からその後罰が加えられたり、社会人の場合は仕事をクビになったりするので、無傷ではいられない。そしてなんでこんなことをしてでもこのプロテストをとめたかったかを考えると、おそらく卒業式までになんとか収めたかったんだろうという意見もあった。
「構造的暴力 < 不法侵入」
次の日の朝、歴史学/黒人研究の教授と、ダウンタウンのカフェでおしゃべりした。その時、その教授が言っていたことは、国(アメリカ)が行う暴力(虐殺)への関与は法律的制裁を受けないが、大学での座り込みという不法侵入は、法律的制裁を受けるという、力の不均衡。法律は客観的に見えるけど、実際には力のある方に有利に働く。アメリカで刑務所に入れられる人たちの割合は、不均衡に黒人とラテン系、そして性的マイノリティに多く、その背景には、彼らが違法とされる行為(窃盗やセックスワーク、不法侵入など)に至らざるを得ない状況を作り出している経済的・社会的不平等や、マイノリティは、特権階級の人に比べて逮捕されたときに保釈金が支払えない場合が多いことも関係している。
政治学者たちの冷笑
次の日、今学期所属していた政治学のラボの持ち寄りパーティー(potluck)があり、このプロテストの話が出た。政治学者たちは、どちらかの立場によらない、マクロでの議論が得意だ。今学期指導してくれた教授や、政治学のPhDの学生は、このプロテストに対して、やや冷笑的な発言をしていた。たとえば、
「警察に向かっていったら暴行されるのは当然でしょ、なんて無責任な行動なんだ。」
「市民不服従運動(※)をするなら、ある程度の犠牲(逮捕)は予想していたはずだ。」(※市民不服従運動:みずからの良心が不正とみなす国家・政府の行為に対しては,法律をあえて破っても抵抗するという思想と行動)
大学の民間軍事会社へのダイベスト(divest/投資を取りやめること)を求める動きに対しても、一段階上のレイヤーを示していた。渦中のRaytheonの第一の強みは防衛武器やテクノロジーであること。大学が投資を取りやめたとしても、他の誰かがその株を買うだろう、という予測も。
わたしなりの抵抗、アートと、学びと
私の課題は、政治学者の人たちがいうようなこうしたマクロな批判を冷静に受け止めて、学ぶことや考えることをやめないこと、同時に、抑圧を受けている人たちへの共感を抱き続けることだと思う。
このプロテストの場合だと、まず前提として、虐殺には反対で、それに関与している国も非難されるべきだというスタンス。その上で、現在のアメリカの法律からして、市民的不服従を行えば逮捕されるのは予想していたとしても、数百人の警察が平和的な学生のプロテストを散らばすために動員されたことのおかしさと、逮捕の過程での不必要な暴力には怒りを抱いてもいいのではないか?というスタンスだ。
その過程で、私はアートというツールを使って人とつながっていきたいし、世界にまだあるはずの「人間性」を信じていたいという、若干ナイーブに映るかもしれない姿勢を持ち続けたいと思っている。
先日、多言語雑誌に自分が投稿した詩とアートが載り、そのパブリケーションイベントがあった。投稿した詩の一つは、去年のクリスマスの夜、大学の寮で一人、パレスチナについて思いを寄せていた時のもの。そのイベントでは、投稿者は自由に詩について話す時間を一人3分与えられる。私はその3分を、先日のプロテストについて話す機会にした。プロテストでの出来事や、そこで受けた感情を伝え、詩を朗読した後、マイクを通してきてくれた人達にこう伝えた。
パレスチナへの祈りを込めて。
2024年5月9日
大学の図書館にて、紗里
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