私がたどりついた「生きる力」とは。

生きにくいと感じながら生きてきた私だから、子供を出産してからのテーマは、正に「生きる力をつける為の子育て」だった。
妊娠中は、こんなに苦しい世の中に、新しい生命を誕生させて良いものかと本気で悩んだ位だった。

周りのママさん達の話しによく出てくるネタで、
いじめっ子にやられない為に武術を習わせる。揉め事に慣れさせる為に、サッカーや野球チームに入れる。
どうやら、将来のイジメに備えて、もまれながら育てたい。→生きる力をつける!
と言う事らしい。
何故、我が子がイジメられる側前提なのかも、謎なのだが、(まぁ、可愛い我が子がイジメる側になるのを想定するママは無いに等しいのでしょうが)それが私には不思議だった。
そういう考えの人達はきっと、
例えば、子供が部活内でイジメに合って、部活動は好きだけど行きたくない。と訴えて、休んだり辞めてしまったら、その子に対して、イジメに耐えられなかった負けてしまった。と言うイメージをもつかもしれない。
生きる力が付いていないと思うかもしれない。

そもそも「生きる力」って、「嫌な事を耐える力」なのかな?

どこに行っても、嫌な事、嫌な人はいる。それから逃げていたら、大人になっても困難から逃げる癖がつく。なんて言う人がいる。言いたい事は解らなくもないが、
私はそうは思わない。
そこから逃げないのは、心が強いからじゃなくて、生きる力がついている訳ではなくて、何らかの理由でそうせざるを得なくて「我慢」しているだけだと思う。
その我慢が、なんて事ない子ならば良い。
ただ我慢は尾を引く。
心が病気になったり、自ら命を絶ったり、年をとっても我慢の思い出が残るし、大抵は良い事などない。
(イジメでも、解決したイジメは別だ。自分が、
解決したと思えるイジメは、困難を乗り越えたという力になるから。)

行きたくない。と言うまでに、きっとその子なりに考えていると思う。
その過程に目を向け、耳を傾けてあげてほしい。

私が考える「生きる力」とは、
自分の強み弱み、つまりは「自分の個性を受け入れて、しっかりと生きていく」事なのではないかと思う。

親の役割は、小さいうちは、しっかり叱り、しっかり褒める。その後は、個性を理解して見守る。信じる事。いずれにしても「愛」。
そうやって育った子は、何でもかんでも逃げ出すような子にはならないし、誰かや何かのせいにしないと思う。

我が子がそうあってほしいと願いながら、今日も手探りの子育て。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?