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21歳 コーヒーを入れてあげてはいけない

1978年、当時の会社には珍しくコーヒーマシンがあった。

マシンといってもほとんど手動で、粉状のインスタントコーヒー、ココア、ミルク、砂糖がそれぞれ引き出しに入っていて、引き出しの取っ手を一回引くと適量がカップに出るようになっていて、ブラックやミルク多めなど自由に加減することができた。

マシンは保温ポットでもあるから、ボタンを押すと常に熱いお湯がカップに注がれる。カップは茶色いホルダーに白い使い捨てのプラスチックカップをはめて使った。

会社ってこんなに進んだ機械があるんだ、と感心した。

両親にその話をしたら、
「そんなの聞いたこともないし、もちろん見たこともない」と言われた。

会社のマネージャーがアメリカ人だから、置いてあるものも日本のものとは違っていたのだろう。私にとっては初めての会社なので、どこも同じだと思っていた。ただ、日本茶が飲みたい人は急須で入れなければならなかった。

ある時、私が自分のコーヒーを入れるついでに、同僚のコーヒーも入れていたら、ちょうどそこにマネージャーが来た。
私の様子を見て

「それは誰のコーヒーですか?」と聞いた。

「あの営業の人のです」というと マネージャーはその営業マンに向かって

「あなたは飲みたいなら、自分で入れなくてはいけません」と言った。

そして私にも

「あなたもそんなことをする必要はない」ときっぱり言われてしまった。

私は頼まれたわけではなく好意で入れただけなのに、そんな風に言われるなんてびっくりした。それからは自分のだけ入れるようにした。

この話を家族に話したら、やっぱり驚かれて、

「それはいい。日本の会社なら頼まれなくても若い女性がお茶を入れなくてはいけないんだから、いい会社に入ったね」と父に言われた。

会社は夕方6時までだが、いつまでも社内に残っていると、仕事が時間内に出来ない人と見なされてしまうので、みんな慌てて仕事を終えて帰るようになった。

ボーナスの額も人それぞれ割合が違った。

私はその頃、未収金の回収に日々奮闘していた。
初めの頃はどう電話を掛けたらいいのかわからなかったが、上司がお手本をやって見せてくれてからは、芝居のつもりでどんなに大きな会社にも臆することなく電話をかけた。納品書も何もないところから、請求書の再発行や再々発行、時には再々再々発行までして多くの未収金を集めた。

そして、なんと、営業で一番いい成績を取っている人の次に高い倍率でボーナスをもらったのだった。

今も仕事で電話に出ることがあるが、相手が誰であろうがまったく緊張しないで話すことができるのも、この時の経験が役に立っているのかもしれない。

しかし、
「コーヒーは飲みたい人が入れたらいい」という考えを20歳そこそこの若い女性に植え付けてしまったから、変なスイッチが入ってしまった。

でも、そのスイッチ、日本では切らないと生きにくいと分かったのは、ずっと後のことでした。

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