2町目のマリちゃんのエッセイ

昭和33年生まれの60代、週2日の仕事をしている。 娘と息子は家を出て今は夫と二人暮ら…

2町目のマリちゃんのエッセイ

昭和33年生まれの60代、週2日の仕事をしている。 娘と息子は家を出て今は夫と二人暮らし。 趣味は大人になって始めたバイオリンと水泳、なんちゃってDIYとなんちゃって裁縫、フランス語とスペイン語。 このエッセイは幼少期から学生時代、現在へと続き、場所も世界あちこちが出てきます。

最近の記事

へそまがりの薬屋

四歳のころ、私は「へそまがり」という言葉をよく使っていた。 言葉の意味もよく分からないのに、やたらとその言葉を気に入って連発していた。 母に頼まれて薬屋さんに行ったとき、なぜか帰り際に薬屋のおじさんに向かって、 「へそまがり!」と言った。おじさんはびっくりした後、 「そっちこそ、へそまがり!」と言い返した。 その言葉は決していい言葉ではなく、言われた方もいやな気分になる言葉だということは分かった。 別の日に薬屋の前を通ろうとしていたら、店の奥におじさんの顔が見えた。 私

    • 4歳、私だけ入れない見世物小屋

      四歳の頃、お祭りの時期になると、家の前の道に山車が置かれた。 山車がそこにある間は、小さい子どもはいつでも上に乗って太鼓を叩くことができた。 誰も怒る人はいなかった。私は大人のマネをして、ドーンドーンドンカタカッタ、ドーンドーンドンカタカッタと叩いてよく遊んだ。 お祭り本番には大人が大勢で山車を引っ張り、子どもは親と一緒に山車につながっている縄を持って歩き、町内を一周まわる。最後までついていくと、子供はお菓子とビニール袋に入ったジュースがもらえた。 私も姉にくっついて歩き

      • うまく履かせられなかった白い足袋

        私が三歳の時、母方の祖母が五十三歳で亡くなった。 小柄でかなり太っていたから心臓に大きな負担がかかっていた。 祖母の家の土間には、いつもたくさんの酸素ボンベが並んでいて、祖母が発作で苦しくなった時に使っていたそうだ。症状が悪化して病院に入院したが、残念ながら回復しなかった。 母は三歳の私を連れて毎日病院に通っていた。母が何日も風呂に入っていないので、昼の間に銭湯へ行こうと、ちょっと病院を出たその間に亡くなった。 母はいつまでもそのことを悔しそうに話した。 祖母の遺体

        • 自己紹介|はじめてのnote(始めたきっかけ)

          エッセイを書く 私は子供のころから文章を書くのが苦手だ。 子供の頃の読書感想文は、あらすじを書くのか、それとも感想を書くのか、何をどう書いたらいいのかわからなかった。60歳になっても語彙をあまり知らず、文にすると表現に深みがない。 そんな一番苦手なことを今こうしてやっている。 今まで、時々タブレットに日記を書いていたが、口に出せないことを吐き出すみたいに愚痴ばかりになってしまってちっとも楽しくなかった。 それよりも私のそこそこ長い人生の一コマを書いた方が楽しいのではない