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続職エントリー:ボンクラヲタクの回帰: 息が詰まるようなこの場所で 感想

Twitterバージョンの感想

窓際三等兵さんのリプ(ありがとうございました)

以下感想文という名の回顧録

僕は常に戻ってくる。
代わり映えもない日常に。
本当に変えなければならない地獄の底に。

息の詰まるようなこの場所で、を読んだんだが、そんな普段のつまらないだらだらリーマンな自分を思い出した。

理想から逃げてるふりして、そんなのは無理だと否定してるそのくせ、結局理想に立ち向かう羽目になる自分の、回帰し続ける人生。

思えばそれは、タワマン低層階を買ってしまった、家ではだらだらのくせやたら成績のことで怒鳴り散らしてくる尊敬できないリーマンの親父と同じ道にしか、生き延びられる場所はないと思い込んだ中学生のあたりにあったのかもしれない。

この先を読もうとする全ての人へ


高専二世になることにした自分

大学進学率七割と言われるこの時代において、僕も親父も大学を出てない。工業高専卒、つまり大学二年生程度の学歴で、僕たちはだらだらリーマンになった。

高専は外からの評判はまぁ良い。

実際高専卒の後輩を育ててる時も体感している。プログラミングへの耐久力も事前に鍛えられてるのだ。雑に仕事を振ってしまっても、僕より数倍いいコードを出してくるから大したものだ。むしろ今は教えてもらっている。

もともとプログラミングをしたことのない大学生の場合、片言の英語が羅列されたコードは恐怖の対象だった。実際それは僕も高専時代のほとんどの時間をそう感じながら暮らしてきているし、今もそう思う瞬間がある。

いまでこそ、教える時それぞれの言葉が何を意味してるか図を使って説明するところから始めることを、どのような学歴か関わらずやるようになった。評判は今までの中で一番マシだ。

けれど、その教育スタイルにたどり着くまでえらく回り道をしてきた。参考になる本がほぼなかった。IT技術書のついでで何冊か心理学の本と教育学の本を読むことになった。

高専の代わりを自分が果たさねばならないのだ。それも仕事の合間で。そういう意味で、時間をかけて実習付きで事前に訓練してくれる高専には感謝している。なんか転職エントリーみたいだな。

ただ、中に入ればどんな地獄が待ってるかはあまり説明を受けない。

レポートを出せなければ単位を落とす。まぁそれはいい。
毎週の実習にひとつでも出なければ、そこで留年確定だ。
そして二度留年すれば退学。

つまり自分に合わないと思ったものは結果的にいなくなる仕組みだ。だから何人かは進路変更して消えていく。ふつうの高校だと、なかなかここまではないと思う。大学でもここまで厳しいのはなかなか聞かない。ちなみに僕が最近知ってる事例は「ようこそ実力至上主義の教室へ」だ。

親父も学歴の話があるたび、高専の話をしていた。外からの評判も内側での実態はまぁ二世なりに知ってたと思う。

それで中学生の自分でも考えたが、悪い取引ではないように見えた。どうせ大学に受験して苦しむ、それならいっそ、高専に入ってしまっても変わらんだろう。当時まだあったセンター試験を受ける苦痛の方が、僕には怖かった。

だから決めた。

僕は高専二世になって、親父みたいなだらだらリーマンを目指すんだ。
親父のように、綺麗だけど無個性なタワマンの低層の一室をつかまされ、それでも自分の世はこともなし、そうなるんだ、と思った。

中学生のとき、ちょうどバクマンが流行ってた。
絵を描くようになったから興味を持って読んだ結果、自分は主人公サイコーのように絵も描けないし、主人公シュージンのように文章も書ける気がしなかった。僕はシュージンに殴られたオタクのように、同じ角度の顔の絵しか当時は描けなかった。古き時代のお絵描きAIの描き方となんら違いはない。反復しているだけだ。バックボーンの知識などない。

なので僕は、彼ら二人が選ばなかった道、だらだらリーマンになろうと思ったわけだ。少々オタクチックなルートなのは、絵にしろ文にしろ工業にしろ今更変わりはしない。知識と技術が実習でみにつくぶん、いくらか僕もマシになれるだろう。

そんなわけで、自分から地獄の底へと飛び込んだわけだ。

バブルと世界金融危機と東日本大震災以後の高専の現在の本科卒求人票

少なくとも僕の世代は、数字がおかしくなるバブルの時代は終わりを迎えて久しく、リーマンショックこと世界金融危機からたった3年前後で、東日本大震災があり、どこもかしこも企業は死屍累々だったと思う。

親父から話を聞いてたような大企業の求人票は高専本科卒推薦枠にはほぼなかった。高専一年生にして早速挫折だ。当時はそんな事情をよく分かってなかったせいで、すさまじい絶望だった。

もうこの時点で親父のような本科卒だらだらリーマンルートは潰えた。あるのは大学編入後院卒になって大企業の権力者ルート。

成績が良くなければ、当然進学における推薦枠など不可能だ。

しかし僕は高専に入るまで、個別指導塾に通わなければならないくらいには勉強というものが嫌いだった。

なぜこんなクイズ大会をやらされてるかわけがわからなかったし、正直いまもよくわかってないし、クイズの目的もとてもじゃないが価値の前に成績という数字の方が大切だったように見えてた。

その状況に、なぜと問うことはできなかった。その問いに真剣に悩んでくれそうな大人は見つけられなかったし、自分もその問いに価値がないと諦めてた。僕はつくづく、学問というやつが、それをふりかざして説教してくるやつらが嫌いだった。

だから出来の悪い機械学習のモデルを自分の脳神経を使って組んで、高専の微妙に高い偏差値を達成し、どうにか合格になった。

そんな知性に、高専の滝のような知識を構造化したりする余地はどこにもなかった。信じられないくらい高専の教科書が読めなかった。

けれど、ラノベは楽しく読めた。十二国記にお世話になった。攻略本の構造はちゃんとわかったし、ちゃんと読めた。中学生のときから、キングダムハーツのアルティマニアで末尾にあるイラストを見ながら絵を描いてたのが影響してると思う。

当然キングダムハーツは死ぬほどやった。セフィロスと留まりし思念を倒すために何度も死に戻りしてた。ゲーム内での脊髄反射は早い。筋力が伴わない、見てるべき場所が違う、常時マインドワンダリングの三拍子で現実でもゲームでもほぼ役に立たないが。

いまでこそ、こうして小中学生の頃から馴染み深い攻略本の索引から情報を漁るようにコンピュータのことがぼんやりイメージがつき、その直感でコードを書いてなんとかなる。いまでこそ、数多の天才たちの技術とOSSを束ねていいのなら、一人ゼネコン、フルスタック開発者兼管理者をこなせる。けれどそれは、高専を卒業してITエンジニアになるしかなくなってからのことだ。

僕の高専は、一年目の場合は全ての科をまわることになる。なので一年目は中間の成績を確保しないと、志望している科に入ることはできなくなる。

だから雑な脳の機械学習モデルでなんとか中間の成績で切り抜ける日々を送った。実習に出続け、微妙なレポートを自分なりにがんばって出し続ける日々が続く。それで自分が一体何のためにここにいるのかますますわからなくなっていく。レポートの質が下がっていることにがっかりする先生の話を、ただ聞くことしかできない。書いてることがだらだらリーマンの仕事の話みたいだが、それでもわずかな足掻きとして、情報工学科に行こうとしていた。

情報工学への期待と失望

僕はキングダムハーツシリーズでお世話になったPS2やPSPのようなゲーム機、そしてiPhoneが好きだった。だからそういう身近なマシンに関わることができたらいいなと思ってた。ジョブズのことはぼんやり知ってたし、たぶんすごいんだろうと思ってた。

せっかくだらだらリーマンになるんだ。バクマンの彼らほどでないにしても、そういう夢のあるものに、ちょっとでも貢献できる人間にならなきゃ。

少なくとも高専に入学が決まり親父から買い与えられたiPhone 4はまともに動いたし、ガラケーを一切触ってなくても携帯電話として使えた。

空気が読めず、ヘラヘラしていて、僕につっかかってくるクラスメイトの若様は、僕が聞くまでもなくレグザフォンをたびたび、それはもう何度も何度も自慢してきた。

いつもお決まりの流れだった。
iPhoneにできないことをたくさん教えてくれた。
お財布ケータイとか。

画質の良さも解いてくれた。
iPhoneより画質映えしてるとは思えなかったが。

バッテリーを交換できないなんて論外だよ。
そうして自慢してる若様についていけないレクザフォンは、画面を微動だにしなくなる。

電源ボタンすらも効かなくなったのか、何度も若様は自慢の最中、レクザフォンからバッテリーを外すことで再起動させながら、立ち去っていく。

当時は今以上に気の利いたことも言えなかったし、慰める言葉も見つけられなかった。けれど思った。
バッテリーは取り外せたほうがよさそうだ。

かくして世界はiPhoneという化け物マシンに、ゲーム機以外追いつけていないようだった。

僕の高専在学中、カタログスペックばかりのマシンを自慢し、善意の開発者の与えてくれた専門用語と横文字を楯に無意識ファシストを発動する陰湿な人間すべてのアイデンティティクライシスが、iPhoneとiPadのせいで起き続けていた。

まだPCはHDDをカリカリとさせていた。巨大な図書館にして遅々として本を引き出せないシステムの上にしか、ウィンドウシステムを筆頭とするグラフィックユーザーインターフェースシステムを載せる場所は当時なかった。そうしてマシンの起動から5~10分かかるのは当然の世界に、iPhoneはその生を受けた。早さと使いやすさは、何にも勝る。デザインの、究極の勝利だった。

どこか祝祭的ではあったけれど、それが情報工学科に入った僕に、コンピュータやソフトウェアを、つまり情報工学をとことんまで失望させる要因となった。

iPhoneはすぐTwitterが開くのに、レポートを書くために親父から買い与えられたWindows7ノートPCはWordを立ち上げるだけで15分以上待たされた。iTunesはもってのほかだったし、学校で見たiMacやMacBookも当時は起動が遅すぎたし、高すぎたから親父には頼めなかった。

高専卒業したいまでこそ、MacBookを買ってXcodeでiPhone用アプリでもフレームワークに従って書き始めれば、他の高専生のように成績を確保することも達観もできると気付けるが、当時はそこまで知識がなかった。

Windows上Word以上に使い物にならない上に起動の遅く、何を意味しているかさっぱりわからないLinuxターミナル上でEmacsを使い、C言語を書かされた。

極め付けは、HDDのPCでメモリ4GBのWindowsで、Androidアプリ開発でEclipseを使わされ、そこでJavaと悲惨な出会い方をし、レクザフォンの名残たちと再会した。その時はずいぶんAndroidスマホは動くようになってたけれど、アローズとかはだめでXperiaやGALAXYあたりしか生き延びられなかったと思う。そのへんは今も変わりない。

あんなに若様に揶揄されていたiPhoneよりも、若様が大好きな、使い物にならないハードウェアとソフトウェアを覚える。それが、IT版3K: 「きつい」「帰れない」「給料が安い」と呼ばれていた情報通信業界を学ぶ情報工学科の状況だった。先生たちにも業界人にも罪はない。本当に、今以上に激動の時代だったのだ。

そんなハードウェアに縛り付けられたソフトウェアは、社会を統合することができない故に恐怖政治をすることしかできない、無能な為政者のようにすら見えた。教育用のプログラムはそれぞれの意味はぼんやりと理解できたとしても、役に立ちそうもない。

けれど、これらで金融アプリケーションが動いているのだという。社会のインフラになっているのだという。だから本科卒になれば、そういうアプリの保守運用が待ってるはずさ、と先生のひとりが教えてくれた。

金融屋の理不尽な暴言とそのせいでの残業三昧な話は、ネット上ではもはや定説に近かった。お金を得られても、死んでいく人生。半沢直樹がドラマをやる前後だったからかもしれないが。

僕のクラスメイトから、続々と辞めていく人が増えていく。留年で落ちてきた人も、やめていく。希望を持って授業を受けているやつを見つけることは、できなかった。GAFAだのDXだの言われてる今の時代からすれば奇妙な話だ。


マイルストーンは親父の説教

上記のせい、ということにしておきたいが、とにかく信じられないほど成績は下がった。定期テストのテスト勉強に身が入るわけもなく、ノートの端にはオタクの落描きがびっしりだった。僕より絵がずっとうまくて、成績がいいやつは同じクラスにすらふたりいた。同じ学校では、何人も僕より絵が上手い人がいる。僕は彼らのようにはなれなかったし、バクマンの彼らにも、遠く及ばない。

中学生のときからそうだったが、定期テストのたび、こぎれいで無個性なマンションのリビングで、親父に説教を喰らう。高専に入ってからは悪化の一途だった。

そこに座れ。なんだこの成績は。遊んでばっかりだったんじゃないのか。やる気あるのか。勉強時間は何時間だ。いい企業に行く気があるのか。進学する気があるって前言っていたよな。約束と違うじゃないか。

はい、いいえ、はい。それぞれの文脈に従って、適切な選択肢を選んでいく。暴言の前に、人はやり過ごすために適度に従ってるふりをするしかない。僕のように怯える人間が恐怖政治を切り抜ける秘訣は、暴力を振るわれきることだ。他の家族も、母も、妹たちも、みんなその場は凍りつけてしまうけれど。無能な子供で、無能な兄ですまない。みんなはこうならないでくれ。叱られてる間、そう本気で思っていた。

叱られるので、そのマイルストーンごとに反省をするしかない。実際してはいた。けれど、だからといってどうすることもできなかった。

進学、と言ったのは、単に理不尽な本科卒の世界から逃げたいからという理由だ。だから別に勉強したいわけでもない。いい企業に入りたいのも同じだ。そもそも習っている程度のもので世に貢献できる自信が、とっくの昔に失われていた。がんばらない言い訳ばかりが募っていく。

僕は社会に出て、役に立たないだろう。だから使い潰されるような仕事しかさせられず、あの高圧的だった高専の先輩のように、もっと高圧的なひとに使い潰されて、時折Twitterで呪詛を吐き、やがて仕事をやめていくことになってしまう。そんな人生が、とにかく怖かったのだ。

別に多くを望んだつもりじゃない。ただ、奪われない暮らしがほしかった。

そんな心境をいまほど笑い話のように書けなかった。けれど自分には、個人的な野望があった。ギルティクラウンを作り直す権力の座にどうにか画力によって辿り着くというプランだ。そのために、絵を描き続けていたのだ。

(ここから先以下の記事を読むと解像度がより上がります)

最終的に美術系専門学校だの美大だのの話を繰り返して、高専4年生のときについに、学校の成績は維持して進級する、とかいう空約束を取り付けた。そんな状態で、お茶の水の予備校に通い出した。

当然、状況は悪化するばかりだった。

美大予備校という新たな檻の中で

僕より絵の上手い人は、予備校に行けば全員だった。何十人もいる。

僕みたいな半年間だけ現れ、唯一関東では公立の芸大に行こうとするやつなんか、記念受験の扱いだったはずだ。高専四年生で一個上か同い年ばかり。なのにデッサン含めて画力は中学生前後。だから来たばかりの僕に誰も話しかけてくれるはずがない。オタク絵を描けばみんな笑ってくれたんだろうけど、先生を怒らせちゃだめだからと我慢した。

おかげで来て早々、僕のデッサンをみたふたりが、鼻で笑って通り過ぎる。

予備校の先生も初めて来た僕に呆れ返り、僕の灰色で何も出来上がっていないデッサンを練り消しでほとんど消して描き方を教えてくれようとしたけど、どうにも良くならない。僕はためいきをついてしまったんだろう。先生も僕の反応に気づいたのか、苛立っているのもよくわかった。

結局はじまりかたがダメなら、絵は常にダメになるものだ。僕の人生を無理矢理手直ししようとしてもどうにもならないのと、皮肉にも一致していた。

幸運にも、これが僕が絵と共に蔑まれた唯一の思い出だ。けれど、ここにいる高圧的な第一印象の人たちを全員嫌いになるには、十分すぎる思い出ではあった。

この予備校は、みんな浪人しながらデッサンとかを覚えて芸大とかに入っていくような、そういう芸術の狭き世界だ。美大卒という学歴がすべて。それ以外は何もいらない。そんなすべてを捨てた故の、野放図な強欲さこそが、僕を鼻で笑ったり、のけものにすることこそが肯定される世界だと思ってしまった。近所にあった駿台の科目が、ただデッサンとアクリル画と粘土とかになっただけなんだろう。僕はここで、学歴の積み木《Building Blocks》の世界の一端を知った。

個人的には西洋美術館の宗教画とか、ルネサンスのコーナー、ギリギリ印象派やキュビズムでおかしくなってるあたりのコーナーが好きだ。そのあとはもう、バウハウスじみた、グラフィックUIの起源のようにしか捉えられない。

芸大のことを理解するためだったとは思う。村上隆の本を買って読んだら、なんだかいまのWeb3.0なるもののの界隈のようだった。記号でしか評価できないパトロンを騙して大量の金を獲得するような、あまりに貧弱な経済活動を前提としてしまってるの世界。素人の自分にはそうとしかわからなかった。

あまりにも居場所がなかった。自分も、そして自分の知る周りの誰も、いっさい。もしかすると、芸大に通うであろう彼らにも、関係することはない世界だ。そんなひどい読後感で、気に入らなくて時期を見つけてブックオフにいらない本とともに買い取らせてしまったからもう、400冊以上を貯蔵可能にしたいまの本棚にはない。おまけに買い戻して読み返す気力すら出ない。

現代アートという芸術はいつから、どうにか母集団のうちの誰かに刺さるようにがんばって表現を普遍化しようとする努力を忘れたのだろう?いつから、みんなを楽しませるものをくみあわせつつ狂気じみた矛盾をつくりあげて芸術と成すことをやめたのだろう?いつから、ファンをつかみとるような職人じみたやりかたを忘れてしまったんだろう?バウハウスをコンピュータで模倣してみせたジョブズと同じ世界線で戦う気が、彼らにはないんだろうか?彼らの近くには、いつもiMacやMacBook、iPhoneがあるというのに。

いろんな友達と、あさっての方向に向かう僕

とはいえ、こんな絵が下手くそなボンクラヲタクでも話しかけてくれる優しい人たちは何人もいた。友達になって、サボったり一緒にオタク絵を描いたりして笑ったりとかしていた。そういう時間は、高専でも同じだった。みんな昼ごはんを早々に済ませて絵をずっと描き続ける僕に話しかけてくれた。僕は絵を描きながらみんなとたくさん話をした。

けれど、自分の進路のことも、そうして絵を描き始めてしまったそのはじまりであるギルクラを描き直して解決することも、あくまで僕が自ら背負った義務だった。自分で決定した運命だった。誰かにこの義務の苦しみを納得してもらえることはさすがに無理だった。

常に使命感に駆られ、絵を描き続けて空想と現実をさまよう僕に、時折みんなは困惑しているようだった。ボンクラヲタクの発作だったと、彼らが思ってくれていればそれでいいのだが。

やがて、あるタイミングで受験する唯一の美大、芸大の文化祭があって見にいくことにした。武蔵美の文化祭は楽しかったし、上手だと思った。そういうのを期待して向かった。

そこで純粋にすごいと思う絵に会えたのは、ある三枚の巨大な絵だけだった。描いたのは、たったひとり。

技術が桁違いだったのを覚えている。どんな絵だったのかはもう思い出せない。狼のイメージが頭をよぎるが、別の人の良かった絵かもしれない。こういう人たちがたくさんいる世界なんだ、と思えていたら、僕はそのとき芸大を再度挑戦しようと思えたのかもしれない。

けれどそんなことはない。ほかで並んでいる絵たちは、見た目は整っていてもそれだけだった。絵を使って対象を深く理解しようとしていく、あのダヴィンチのような気迫すらも見当たらない。そのくせ素人だろうが誰だろうが楽しませようという強いコンセプトに基づいたコミケのようなお祭りじみた楽しそうな絵も、みつけられなかった。

まるで僕が迷うように描いている絵が、整って置かれているだけのようだ。そんな未来しか、今の僕には果たせないと気がついた。

無個性な家に戻る。そして息の詰まるようなこの場所に、僕の居場所はない。
未来はない。そうすると、どうすればいいのか。
自殺未遂を二、三回しつつ、絵を描く手を止めた。

美大嫌いが美大卒のボンクラオタク(自称)の小説に救われて

皮肉にもそういう状況を救ったのは、武蔵美を出ていた伊藤計劃おじさんの虐殺器官やハーモニーだった。読んだらすぐ感動して人生変わった、となったわけでもないし、そんなに人生は簡単ではなかったけれど、自分が高専時代に見ていた作品をつくりなおすために、僕はこの作家じみた道に入り込んでいった。君も書いてみなよ、と自称ボンクラオタクのおじさんに言われたかのような気持ちになっていたのだ。

逃げるように絵を描くかわりに、本を読む時間が突如として訪れた。高専の図書館に時たま入り浸り、自分の歩く場所で気づいた本屋の小説コーナーで伊藤計劃おじさんが参考にしていたという小説を探す日々。

ちょうどサイコパスで引用された本のキャンペーンがやっていて、たしか1984年とかニューロマンサーとかアンドロイドは電気羊の夢を見るか?とかを買ってどうにか読んでた。高専の実習と予備校のカリキュラムをサボれば、いくらでも時間は確保できた。

そして冬休みに入ったことを契機に、ギルティクラウンを文字で書き直しはじめた。書けば書くほど、よくわからなくて小説をもう一度参考にして読むことになる。セカイ系にならざるを得ない世界観だったから、自分なりに世界を空想の世界でモデル化していかなければならないのだ。

そうして僕は、勉強というものを物語をつくるなかで学び直していった。

その間に、デッサンのやりかたをiPhoneの画像加工でモノクロにして自分の絵と比較することで、影のシステムをようやく体感で理解できるようになり始めた。ほとんど誰もいなくなりつつあった美大予備校で暇してる先生は、首をかしげていたけれど。

そうしてギルティクラウンを書き直し、何話か書いた頃に、春が訪れようとしていた。センターも当然ほぼ当てずっぽう同然で出して帰り、デッサンも今までのなかで一番マシなものを描いたけれど、当然一次試験で落ちた。僕よりも絵の上手い人たちはたくさんいる。彼らが僕の代わりに、学校に入ってくれればそれでいいと思った。

自分の運命への回帰

高専でも実習と見切りをつけた科目以外は参加していたので社会性は保てていたけれど、留年は確定させた。

そうして親父から、人生一生分怒鳴られた。おふくろもどうして、と言っていた。けれど僕はもう、学歴とかそういうものはどうでもよくなっていた。高専に留年して、もう一度人生をやり直しながらギルクラを改変できるのなら、それ以上の望みはもうなかったからだ。

僕はそこで、本当にやらなければならないと思った使命を見つけ、取り組んでいる真っ最中だったのだから。

そうして親父とおふくろが諦めた頃、この作品に表紙絵が必要だと気づいていた。だから手がいったんとまった小説を傍において、絵を描き始める。

迷い続けていた絵に、確信が宿っていた。美大予備校で覚えてきた技術が、果たすべきコンセプトに向かって適切につながっていくのを理解した。この日のために、僕はずっと苦しんできたんだと思えた。

高専では実験実習と、苦手だったり嫌いだった科目だけ受け直した。

単位が取れたわずかな共通学科の時間は空いていた。だからその間は図書館に入り浸って絵を描いたり、本を読んだりしはじめた。

どうせ中身はすべてわからないので、冒頭だけ楽しく読んで飽きてきたら本棚に戻すような読み方しかできなかったけれど、今の読書方法と実はそんな変わりはない。本当に必要な時、また手に取って読み直すものだからだ。

これら全てのおかげか、二度目の高専四年生の時にいろんな科目の意味がようやく自分なりに納得いくようになり始めた。劣化機械学習モデルを脳内につくるまでもないことに気づいた。

学校の先生たちは深く僕の事情を聞くことなく、僕のレポートを受け取ってくれたし、実習もさせてくれた。成績が悪いことに関しては苦言を言われこそしたけれど、ちゃんと赤点は取らなかった。ノー勉なのが良くなかったんだろう。

インターンを通して、たった二週間でも山ほどhtmlとcssとjQueryと格闘した。それが僕の仕事につながるかはわからなかった。当時はもう誰かのWebサイトをつくって金を稼ぐ時代ではなくなりつつあったからだ。

そうしてやがて執筆を始めて1年後、12月24日にギルクラ改変は完了した。人生で一番穏やかなクリスマスだった。

使命を終えたあとも人生が続いて

もう人生に未練はなかった。登校したサイトから流れてくる感想を見て、ほっとする日々が続く。絵も過去と比べれば信じられないくらい簡単に描けるようになった。高専の内容もぜんぶ自然に頭に入る。僕はいったいどこをほっつき歩いていたんだろうと笑ってしまうほどだ。

まぁそんなふうにつきものが取れてしまったせいもあって、高専の推薦枠で企業を受けてみてもなんだかしっくりこなくなってしまった。

高専を留年した、理由は美大受験、けれどその美術の狭き世界にも興味はない。どこをどう表現しようとしてもアウトサイダーとしての自分が出てしまい、それをうまく隠せそうになかった。おかしな点は聞いてしまう。僕が納得しない様子は、相手を不快にさせるには十分すぎた。僕がもう少しうまくやりくりできれば良かったんだろうけど、当時はそういうの全部、どうでも良くなってしまってた。

低すぎる給料、やりがい搾取、奇妙な階級社会。そういうものがどの業界だろうと見つかる。そういう場所に、僕は、そしてそこで働く人たち自身の居場所を見つけられないのは変えられなかった。

就職先が決まらず、親父から多少の苦言は言われど、もうかつてほどじゃなかった。ただ、そろそろ自立する時だった。

僕は割り切ることにした。とりあえず入ってから、仕事を始めてからどうにかしていこう。まずは期待に応えられないかもしれないことを素直に伝えることからだ。

ITだらだらリーマンの世界で

そんなおりに今の会社に雇われた。恥とバグの多い人生を送った。なんでこんなやつを雇ってしまったんだろう、とこの会社の人たちには何度も思われたはずだ。けれど今もなぜか働けている。

苦手だったコンピュータのことは、ある程度イメージをつけてなんとかできてる。学校一成績が悪くても留年していても、外でも常にそんな成績なわけじゃない。当たり前だけど、自分が一番気づけないものだ。山ほど厄介な問題を解き直してきた。建て直してきた。今はもっぱら、要件を整理したりコンサルみたいな資料を書いたり、プログラミングのことを教えつつ建て直しをして日々が過ぎていく。

またギルクラを書き直したり、絵を描いたりする日々。変わり映えのない、穏やかな日々。

ボンクラヲタクは回帰し続ける。自分が選んだのかもわからなくなりつつある、厄介な問題へと。

そうして時間が経った頃、気づけば自分が中学生の頃思い描いていたダラダラリーマンになっていたことに気がついた。

まだ作家デビューの気配もなく、バズる気配もなく、結婚まで考えてた相手と同棲もやめていまは一人暮らし。いろいろ人生まずいかなぁ、と思ってた頃、なんと中学生のときの夢が叶っていたのだ。

それに気がついたのは、タワマン文学を読んでいるその最中だった。いろいろ大変そうな人たちを見て、自分の過去を思い出していたら案外なんとかなっていた。人生とはそんなものなのだろうか。

タワマンの子だったが、タワマンを買う気にはなれない。親父ほど給料はもらってないし、頭金になる貯金もないし、ローンと別に山積みになるだろう修繕費を考えたら気が引ける。

親父があんなにカンカンに怒ってた理由も今ならちょっとだけわかる。もう少し、お金が必要だったのだろう。それで自分のように苦しんだりなんなりしてほしくなかったんだろう。あまりにもアレすぎて、飲むことすらもできていないが。

世界的な少子化の時代において、土地は安くなるばかりか、便利なところはますます値上がってる気がする。あの無個性なうさぎ小屋すらも高すぎるとは、いったいこのさき世界はどうなってしまうのか。

おまけに明日レイオフされるかもしれない。永遠に孤独かもしれない。そんな漠然とした不安を感じながら、まず僕は、会社で果たすべきことへと回帰していく。

それが、低層タワマンの子にして、いまはそれすらも買えないサラリーマンの、果たすべき価値なのだろう。


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