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今、名前も知らず、意識は手元の文庫本に深く潜っている女性との距離は、こんなにも近い。

こんにちは,ぼんじーです.
#小説
です.

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 ハンバーガーを包んでいた紙を、僕はクシャクシャと丸め、ポテトフライをつかみ、口に運ぶ。

 東南アジア辺りだろうか、外国人の家族が向かいの席で、何やら話をしている。
 言葉はわからない。

 12:05。東京、御徒町のハンバーガーチェーン。

 平日のこの時間は、多種多様な人でごった返す。

 サラリーマンだろうか、スーツを着てパソコンをみつめる人。仕事をしている人もいれば、会員制の動画配信サイトで、ドラマや映画を見ている人もいる。

 ホットコーヒー一杯と、競馬新聞を手に、どこか遠くを眺める人。

 
 大学生だろうか、何かの専門書のような本を机の上に出し、けれどもずっと、スマートフォンを横に持ち、画面を連打している。

 僕はというと、テリヤキチキンバーガーの割安ランチセット。ハンバーガーを食べ終わり、サイドメニューのポテトフライに手を付けたところだった。

 片手にスマートフォン。
 縦に親指をスライドし、誰かの呟きを、次から次へと画面に表示させる。

 アルバイトまでの数十分、僕はいつもここで時間を潰す。

 『いつもここで』というのは、いつもこの店舗でといつ意味であって、この、他人と向き合うように座る、カウンター席でということではない。

 いつもは、『2名様専用席』というところに一人で座っているが、今日はたまたま混んでいたので、このカウンター席を選んだ。

 大きな機械、ロボットに人間が乗り込み、それを操作している動画が、画面に流れる。CGだろうか。
 以前、これはすごい技術だ!と感動したロボット動画が、フェイクだったと知ったとき、とても落ち込んだ。最近は、すごい動画をみても、「CGかも」もという疑問が常に頭に浮かぶ。

 子犬が、ただ、誰かの家の床の上を、ごろごろと転がって行くだけの動画を、僕の友達が、そして多くの人がリツイートをしている。

 高校生だろう。誰かに頼まれたから仕方なくという前振りで、制服姿の女の子が、なんともあざとい仕草、ポーズを画面に向ける。

 流れてくる世間への主張を見ると、彼の言い分は果たして正しいのかどうか、考えなくてはならなくなる。
 ある立場からすれば正しい。ある場合では正しい。それとも全く間違っている。
 そんなことをいちいち考えるのは面倒なので、たいていは文字で埋まった呟きは読み飛ばすのだが、今日はたまたま目に止まった。

『転売で資本主義を子供に学ばせる。その賛否について』 

 ううん。僕はどっちだろう。
と、少し考えようと、スマートフォンの画面から目を話した。

 僕の目の前、向かいの席に、一人の若い女性が座っていた。
襟足が外側に跳ねたボブカットの黒髪に、縁の細い丸眼鏡。

 ブルーグリーンのニットプルオーバーの手で文庫本を開き、もう一方の手の指先で丁寧にポテトフライを摘むと、ゆっくりと口元に運んでいる。

 美人だな。と思った。しかしエッジの聞いた綺麗さではなく、丸みを持った繊細さ。

 何を読んでいるのかと気になって、彼女の手元を盗み見たが、題名はわからなかった。

 僕と、その女性の間には、数十センチのついたてが立っている。

 けれども、狭いカウンターテーブルに向かい合う、二人の距離は近い。

 耳をすませば、その吐息の音が聞こえるかもしれない。

 何ヶ月も前、付き合っていた彼女と食事をしたときは、大きなテーブルに阻まれ、僕と彼女の距離はもっと遠かった。

 今、名前も知らず、意識は手元の文庫本に深く潜っている女性との距離は、こんなにも近い。

 すると彼女がホットコーヒーに手を伸ばし、顔を上げて口をつける。

 僕は慌てて、顔を伏せる。スマートフォンの画面を凝視し、何もないかのように振る舞った。

『転売で資本主義を子供に学ばせる。その賛否について』

 いや、そんなのどっちでもいい。他人の教育方針に口を出す方が良くない。

 僕は平静を装い、もう一度、画面を、スクロールする作業に戻った。

 少しいかがわしい、アニメ風のタッチのイラスト。

 胸元を大きく開けた衣装を身に纏う、コスプレイヤーの写真。その背後には、高そうなカメラを構えたおじさんたちが群がっている。 

 人気ユーチューバーの、ゲーム実況動画のハイライト。ゲーム制作会社にとって、ゲームの購買意欲を促進するものなのか、単なるネタバレに過ぎないのか。議論がされている。

 昨晩の飲み会の帰り道で、猫を見かけたという、友人の報告。
 別の友人は、誰でもいいから彼女が欲しいと呟く。

 誰でもは良くないだろ。やっぱり美人じゃないと。と、僕は思い出したように顔を上げた。

 僕の向かいの席には、中学生の男女のグループが、トレーを並べてハンバーガーを頬張っている。
 修学旅行生だろうか。

 そこに、あの女性の姿は無かった。

 僕が壁にかかった時計の針を見ると、12:40を示していた。
 そろそろアルバイトに向かわないと行けない。

 バイトが終わったら、本屋によって帰ろうと思った。

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最後までお読みいただき,ありがとうございました.

画像は『フリー写真素材ぱくたそ』より,”カフェでコーヒーを飲みながら読書女子”.

noteを最後までお読みいただき,ありがとうございます. 博士後期課程で学生をしています. 頂いたスキやコメントを励みに,研究,稽古に打ち込んでいきたいと思います. よろしくお願いします.