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【エッセイ】猫とアイスコーヒー

僕は冬でもアイスコーヒーを飲む。

猫舌なのである。

猫舌ゆえに熱い食べ物、飲み物は苦手。

この季節になるとみんな、おでんや鍋が食べたいというが、それらを食べるぐらいなら、冷麺や、ざるそばでいい。

それぐらい猫舌なのである。

だから冬だろうが何だろうが、お茶も氷をカチカチに入れる。

それは職場でも浸透しており、僕のコーヒーには氷がカチカチに入れてくれてある。

ありがたい話だ。

ちなみにコーヒーはミルクも砂糖も入れない。

ブラックで飲む。

味覚がお子さまなので、実のところ昔々はカフェオレを飲んでいたのだが、ある日、50'sファッションをキメ込んだ後輩に。

「ぼんじりさん、ロックンロールとか言う割にはカフェオレなんですね(笑)」

と、笑われた事があった。

確かに言われてみればと、ちょっと恥ずかしくなった。

だから今はもっぱらブラックしか飲まない。

おかげでコーヒーの味が少し分かるようになった。

§

猫といえば、最近。

自分の周りでは、猫派の人が多い。

リアルにおいても、Twitterやnoteといったオンラインにおいても、猫派の人との縁の方が多い気がするのだ。

ちなみに現在のぼんじり家は、爬虫類派である。

この話は置いとくとして、実家は犬派だった。

猟犬の雑種を飼っていた事がある。

黒い毛並みにスマートな彼の名前はロビン。

THE YELLOW MONKEYの吉井さんの愛称『ロビン』からあやかり、僕が名付けた。

ロビンは猟犬系統にあり賢かったが、たまにアホだった。

散歩中、リードを手放してしまうとアホのように駆けて行く。

呼べばまた帰ってくるのだが、ある日を境に彼はいなくなってしまった。

僕が高校の修学旅行から帰ってきた日の朝。

母親が散歩していると、ついリードを手放してしまい、ロビンはまた駆けて行った。

いつものように呼び戻したらしいが、彼が帰ってくる事はなかった。

犬には帰巣本能があるので、もしかしたら家に帰ってきていたかもしれないが、ロビンは探しても探しても見つからず、彼とはそれっきり突如の別れとなってしまった。

悲しくて胸がしめつけられた。

どこかで気のいい人が飼ってくれてたらと、彼の無事や幸せを願うしかなく、とても悔やんだ。

§

話を戻すと、最近はもっぱら猫派の人に囲まれている。

でも、何となくその理由に心あたりがある。

僕は「いつか猫に守られるんじゃないか?」と思って生きてきた。

その理由は、おそらく僕は普通の人のそれより、何倍も、交通事故で亡くなってしまった道路の猫を埋葬してきたからである。

「何を言うてはるんや?」と思うかもしれないが、よく道路で亡くなってしもてる猫ちゃん。

僕は昔から彼らをよく埋葬してあげてきた。

もしこの世界に道路が無かったなら、車が無かったなら。

偏屈かもしれないが、彼らが亡くなってしまった理由が人間にあるとするならば、人間としてケジメをつけたかったのである。

もちろん運転手も後戻りはできないだろうし、はねた事すら気付いていない場合も多いだろう。

そんなことを言い出したら蚊すら殺せなくなってしまうし、キリがないのだが、ある日からふと僕はそれをやり始めた。

§

僕のそれは手馴れたもので、まずは一旦は家に帰る。

そして大きいビニール袋とスコップを持ってくる。

もちろんシャベルなど持っていない。

園芸用のあの小さなスコップである。

現場につくとビニール袋のまま掴み、クルっと裏返して中に収める。

そして公園かどこかの土をそのスコップで掘り、埋葬しては手を合わせて帰ってくる。

車が無かった学生時代は、ビニール袋に入った猫をリュックサックに入れて背負っては、原チャリで走った。

ある日の早朝には、ワーク系のつなぎを着たままフルフェイスで公園の土を掘り起こしていた。

早朝だから良かったものの、傍から見れば不審者である。

自分では、つなぎにフルフェイスって、まるでDaft PunkかPOLYSICSみたいやなと思って笑ってはいたが。

もう何十匹を埋めてきただろうか?

そんなこんなで、「僕は交通事故に合わない気がする」とか、「猫が守ってくれるんじゃないか」と勝手に思っている。

§

こんなことをわざわざエッセイに書くと、「偽善者」みたいに思われるかもしれないが、そんなことはもう消化済みである。

というのも。

大学生の頃、ひどく自分でそれに悩んだことがあった。

こんなことして、「自己満足なんじゃないか?」とか「オレいいやつだろ?」的な、偽善行為のような気がしていたのだ。

それでも、生田 斗馬さん似の先輩が言ってくれた言葉に救われたのである。

いや、生田 斗馬に似とるとかはどうでもいいけど(笑)。

「君のやってるそれがもし偽善であっても、なかなかできることちゃうで。それに偽善やったとしても、やらへんよりは全然にいいやろ」

生田 斗馬は僕にそう言ってくれた。

僕はこの言葉に救われ、それ以降はその行為を続けることにした。

もちろん生命に差は無いと、実は大きいカエルや亀も埋葬してきている。

だからいつか猫やカエルのように身を軽く、亀のように身を固くし、交通事故から守られるんじゃないだろうか?

ジブリみたいに。

いや、知らんけど。

§

ともあれ。

誰かの言葉に救われる事もある。

誰かの存在に救われる事もある。

人間とは時に愚かで、残酷で、有害な生物かもしれない。

それでも、他の生物と同じように、か弱く、儚く、美しいのも人間である。

だからこそ僕は優しくありたい。

たとえそれが偽善であっても。

誰かを支え、守り、優しくあれる自分でいたい。

これは僕が僕である為のルールである。

だって、今日もほら。

きっと猫派の人達が、もちろんそれ以外の人達も、僕を支えてくれている。

だから。

アイスコーヒー飲んだら今日も頑張るわ。

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