現代の宗教論争(EVかHVか、再エネか原発か、ザイム真理教かMMT・アベノミクスか、とか)について。
例えばTVにジャニタレを出すとごそっと大きな(とはいえ国民全体から考えればごくごく少数の)視聴者を獲得できる。
選挙で創価学会の力を動員するとごそっと大きな(とはいえ国民全体から考えればごくごく少数の)票を獲得できる。
中韓を見下したり、大日本帝国がいかにすばらしかったか的なコンテンツを配信すればとりあえず右寄りの人たちからは支持される。
いかに今の日本が世界の潮流から取り残されているのか系コンテンツを配信すればなぜか左寄りの人たちに喜ばれる。
日本のタコツボ化現象は昔から言われていることだけど、ネットのアルゴリズムなんかがよりその傾向を助長しているように感じます。
例えばEVなんて電気ゴミ、トヨタのハイブリッド車こそが至高と思っている人にはその信念を補強する記事や意見ばかりが表示され、そのパーソナライズされた世界が宇宙のすべてみたいに思える。
その人物が異教徒(EVこそが唯一の最高神!)と出会ったら「現実を理解していないサル並の知性の持ち主」「あっち系の情報に洗脳されて陰謀論者になってしまったんですね」「こんな馬鹿とはどうせ会話が成立しないから放置しとこ」とか思う。
その感想はEV教の人たちが異教徒(EVは日本車に勝てない海外勢が日本に嫉妬した結果、無理にごり押しされてるだけの炎上する鉄のかたまり!)に対して抱く感想とだいたい一緒。
こういった宗教上の対立はけっこうある。
例えばれいわ新選組の支持者からみれば自民党は悪魔の巣窟にみえるし、高市早苗さんの支持者からみれば河野太郎さんや小泉進次郎さんは中国製太陽光パネルでうつくしき国土を侵略したがる中国のスパイ的な人物に見える。
例えばアベノミクス支持者からみれば日本の財政赤字を指摘する人物は「ザイム真理教に洗脳されてしまった残念な人種、高橋洋一先生から本当の経済を学んでくださいよ」とか思われる。
そう思われた人物は「あなたは歴史を知らないんですね、拡大しすぎた財政赤字を抱えて破滅に向かわなかった国家はないんですよ、偏った陰謀論に洗脳されてしまった残念なお人!友だちとかいなさそうだし頭もはげてそう!」とか思ってる。
福沢諭吉さんはこんなことを確か自伝(←名著です)で書いてました。
「いや~アメリカに行ったらびっくりしたよ。だってさ、対立する議員同士がいっしょにご飯を食べてるんだもん。日本でいえば幕府と討幕派がいっしょにご飯を食べてるみたいなもんでしょ。そんなんありえないっしょ」
また、福沢諭吉さんに大きな影響を受けた小泉信三さんはアメリカ紀行(←これも示唆に富んだ面白い本でした)の中でこんなことを書いていました。
「アメリカでタクシーをひろった。その運転手はルーズベルト支持者で、タクシーの窓にもポスターを貼ってルーズベルトの宣伝をしてたからわざと対立候補をほめまくってみた。そうすると運転手にこう言われた。『あなたの言う通りかもしれません。でも私はそうは思いません。あなたはそう思い、私はこう思う。そんなふうに意見の相違があるからこそ投票の必要があるのではありませんか』」
こんなふうに表層的なイデオロギーの対立だけで物事を考えないで、相手を自分と同じようにご飯も食べるしうんこもするし、便秘になったら「さいきん便秘だ・・・」と思ったりするような同じ人間だと考えたいし、相手の人格を尊重したいと私は思います。
また、もののけ姫のアシタカみたいな もののけ姫(森)側にもエボシ(人間)側にも所属しきらない中道で中庸でアンビバレントな感じが私は好きです。「そんなどっちつかずの価値相対主義者的な態度ではなんにも得られない、何にも言っていないのと同じ」と思う人もいるでしょう。そう思う気持ちは私の中にもけっこうあるけど、やっぱり私はそんなふうに考えます。おしまい。
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