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恩師がいるって話。

恩師。恩がある、師。人生の中で印象的な、師。
思いつくところでは3人。多い方だと思う。どうなんかな。平均人数どれぐらいなんやろ。そんなん調べてるサーチャーいてへんか。

出会った順に並べてみる。
1人目、わたしに演劇を教えてくれた師。
めちゃくちゃ熱血。私は中高の演劇部で演劇と邂逅を果たす訳ですが、その劇部の顧問。ものすごい。パッションという言葉を辞書で引いたら用例としてでてくるんじゃないか?というくらいパッションという言葉が似合う。理不尽に怒られたこともあったけど、それ以上に沢山のことを教えてもらった。字だけのコミュニケーションでは気を遣いまくれ。とか。先生、それわたしの元彼氏にも教えてあげてください。

2人目、中学の時の担任の先生。
私の可能性をすごく信じてくれた。あなたはできるっていってくれた。この人もパッジョナブルな人。行動的な女性で、今は同僚となった。生徒のことはもちろん、保護者のことまで気を配っている。全国レベルで強いクラブの監督をしてはるんだけど、その強さに奢らない。常に勝ちへの執念を燃やしている。しょうもない話だって面白い。密かな憧れ。

3人目、大学の専攻ゼミの先生。
とっても美人。うちの大学で教職を取るには、入るゼミが限られている。4択だった。

①目が座っている日本語学の先生
②一度揉めた日本古典文学の先生
③めちゃくちゃ左寄りの教育学の先生
④美人で声がか細く高い近現代文学の先生。

迷わず④。とっても厳しい。考察が甘いと容赦なくゼミでフルボッコにされる。ゼミの前日は基本的に寝られない。しかし、鋭い考察ができた時にはちゃんと褒めてくれる。それが嬉しくて、作品と向き合う時間が増える。レポートのクオリティがおのずと上がる。ちゃんと褒めてくれる。それがとにかく嬉しかった。
わたしが演劇にかまけすぎてゼミの欠席が続いた時は怒られた。もっと休みがちになって、さすがに申し訳ないと思ってゼミに出たら、わたしはあなたが元気で生きていてくれるだけで嬉しい。と言われてしまった。申し訳なさMAX。以降めちゃくちゃちゃんと出席した。卒論も、先生に鋭いね、いい論文だね、と言われたくて頑張った。頑張らせるのがうまい人だったな。

なぜこんな恩師ならべをやろうと思いたったのかというと、わたしがなりたいわたしを見失ったからなのであった。前回のnoteに書いたとおり、大好きだった人と別れて、自分の輪郭がぼやぼやになった。自分がどんな人間で、何を目的に生きているのかを考えないと、生きるのがしんどい。自分が平均寿命まで生きるのだと仮定すると、残りの人生が果てしない。ゴールの見えないマラソンが辛すぎて消えたくなる。そんな時、人生のガイドラインを探すように、マイルストーンを置く感覚で恩師ならべをやってみる。そうすると、自分の過去がぽつぽつ点で現れて、その点を線でつなげてみると、人生が一続きであることがわかる。この先に、どんな私を描く?ということに意識が向けられるようになる。
先のことなんぞわからんが、意識は先を向かねばならんのだ。生きる限り。人は過去には飛べないから。頑張らないかんのだ。
恩師たちよ、ありがとう。がんばりたいよ、わたしゃ。


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