岩のドーム

わたしたちはどうして言葉を学ぶのだろう

しばらくぶりになりました、ぼんです。

心のすみでnote...と思っていたのですが、忙しさと、寒さに耐えかねて引っ張り出した羽毛布団のあったかさにかまけてサボっておりました。反省反省。

今日のタイトル写真は、中東はエルサレムにある岩のドームです。身バレの可能性があるので詳しくは言えませんが、私は学生の頃にアラビア語を勉強しまして、エルサレムにも行ったことがあります。乾いた空気の中、青空の下できらきらと輝く岩のドームを眺めていると、どこからか風に乗ってキリスト教の教会の鐘の音が聞こえてきたりして、とても贅沢な時間でした。(エルサレムでの思い出は尽きないので、続きはまた追々)

さて、タイトルに戻りますが、私たちはなぜ言葉を勉強するのでしょうか。

中高で必修科目だったから、第2外国語の単位を取らないといけなかったから、なんていう不可抗力に起因する理由もあれば、アーティストが好きで歌詞を理解したいから、旅行で使いたいから、友達がいるからという興味関心からくる理由まで、言葉を学ぶ人の数だけ理由があると思います。

私の場合、アラビア語を選んだ(本当に最初の)理由は、「字が美しくて、音が綺麗だったから」です。

その昔、部活の朝練に行くために早起きしたらNHKで「テレビでアラビア語」をやっていて(早朝と深夜しかやっていません)、その時初めてアラビア語に触れました。その番組の一部でアラビアンナイトの朗読コーナーをやっていたのですが、当時朗読を担当されていた師岡・カリーマ・エルサムニーさんの「ころころころ」と転がるような小気味良い発音と、流れる様な美しい文字にすっかり心を奪われてしまいました。当時は中東と聞くと「なんだか危ないんじゃないか」と思っていましたが、その時はそんなことは全然関係なくて、ただ純粋に「この言葉を勉強したい!」と思ったのを覚えています。

始まりは純粋な好奇心からでしたが、その後ほんとうにアラビア語を勉強して、現地にも足を運んで、現地の人と触れ合ったりした今、改めて「なぜわたしはアラビア語を勉強するのか」について考えてみると、とても一言では言い表せられないくらい、わたしの中で色んな意味を持っていると気付かされます。最近特に強く思うのが、「わたしと出会った人たちが、中東やアラビア語という世界に触れるきっかけになることができるんじゃないか」ということです。

例えば就職してから、「アラビア語なんて勉強して、危なくないの?」という問いかけを幾度となく受けましたが、「いやいや確かに情勢が安定しないところもあるけど、全然そんなことないんですよ、日本人の旅行者も意外と多くて、ご飯もおいしいし、景色も綺麗だし、本当に素敵なところでしたよ」なんて返すと、「え~、そうなんだ知らなかった!どんな料理がおすすめなの?」と話が広がったりすることもしばしばです。そうやって興味を持ってもらえることで、周りの人たちにとっては中東って遠い世界だったかもしれないけど、わたしがアラビア語を勉強したことや現地の様子を話すことによって、今まで関わりがなかった世界を垣間見るお手伝いができているのかもしれない、と感じたりします(かなり自意識過剰だとも思うのですが)。そして例えば、その人が次にニュースを観た時に前よりも興味をもって聞くことが出来るようになったとか、「アラブ」って聞いたら「そういやなんか勉強してた子がいたな」って思いだしてもらうことができたらいいな、と思います。

また、わたしの母は、外国語とは縁のない人でしたが、わたしがアラビア語を勉強してから海外のことに興味を持つようになったみたいで、最近では時々難民キャンプの子どものワクチン代の募金をしたりしているみたいです。母が世界に目を向けるきっかけになれたのであれば、それはそれで言葉を学んだ甲斐があったと言えるのかもしれません。

学生時代、「外国語を勉強してから、その国の名前を聞くと友達の顔が思い浮かぶようになった」と言っていた友人がいたのですが、とても的を得ていると思います。

わたしも前までは中東と聞くと、「テロ、危ない」というイメージを持っていたけれど、今は旅行先で食べたご飯とか、レストランのおじちゃんの顔、市場で桃をサービスしてくれたお兄さんの顔を思い出します。それに、ニュースでシリア内戦の映像を見たりすると、どうしても他人事とは思えなくなりました。そうやって中東のことに興味を持つようになったら、他の国のことにも興味が湧いてきて、結局大学では韓国語やスペイン語まで勉強してしまいました。地理的には遠いのにすごく親近感を覚えたり、逆に隣の国なのに日本と違うところがあって面白いなあと思ったり、そういう発見こそ言葉を学ぶ醍醐味であり、意味じゃないかと思うのですが、自分だけじゃなくて、自分と関わった人たちもまた、わたしという存在を通して世界との距離をほんのちょっとでも縮められていたら、言葉を学んだ意味があったのかなと思います。

思えば、これは外国語学習以外にも当てはまるかもしれませんね。「古着屋さんが好き!」という人の話を聞いたら「ふむふむ、わたしもちょっと行ってみようかな」ってなるかもしれないし、もしかしたら「いやいや、わたしはファストファッションの服で十分」って思う人もいるかもしれないけど、新たな知見に触れるということ自体はマイナスではないはずです。

そんな風に、みんなの「好き!」とか得意分野をシェアできたら、もっといいと思うんだけどなあ。

わたしたちはなぜ言葉を勉強するのでしょう?それは必ずしも自分のためだけではないのかもしれない、と思う今日この頃です。

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