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「100日後に死ぬワニ」の最後がもやっとしてしまう経済学的考察:マス・コンテンツのジレンマ

しばしば人気が急上昇してすぐに消え去るトレンドコンテンツというのが世の中に存在する。一発屋芸人や流行語などがこの手の類である。

こうしたコンテンツとは伸びている時期の人々の注目を集めるが、結果1年も経てば忘れ去られる。つまり、消費されるのである。よく消費されるコンテンツに我々は一喜一憂する。半沢直樹やビットコインなどがその例だ。今、昨今そうした話題性のみ集めたコンテンツが「ワニくん」だろう。このワニを巡って炎上が起こっている。(詳しくは下記リンクのDaigoさんの解説動画にて)

https://www.youtube.com/watch?v=a23cz3ywwDo

PRはさておき、ワニくんの最後が微妙であるのはなぜだろうかという作品の構成を今回は探りたい。

さて、この作品は死へのカウントダウンとその死に方のみがインセンティブとなった作品である。内容はB級、いやC級以下のクオリティだ。

しかし、バズってしまったので、こういうもともとB級路線で売り出したものが、A級を目指したときに起こる現象がある。それが尖るべきはずのコンテンツが、結果的に大衆の中の大多数に「嫌われない」意思決定をすることで作品を台無してしまうということだ。

もう一方で、人気から書籍化という「売る」というインセンティブが後からついてしまうと、売れるはずもない凡庸なコンテンツに売る要素として「解けない謎」というものを組み込む。才能がない作家や漫画家がよく行う騙し芸だ。

この結果の産物がワニくんなのだ。

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ただし、責めるべきではない。

というのは当該コンテンツは金融でいうところのバリューではなく、投機のコンテンツであることから、結果中身を空っぽにしなければならない。

投機の内部空洞性は、その対象の価値を大きく水増しするには絶交の要素なのである。

この作品は、空っぽであるがむしろ空っぽだからこそ成立する、作品のギッフェン財なのである。

無料でクチュクチャかむガムのようなコンテンツとしては炎上したり、背景の汚さを指摘はされるかもしれないが、役目は果たしたのかもしれない。

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