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セルフコントロールとアンガーマネジメント『怒り』の生まれるところ[再掲載]

過去記事を編集して、再掲載しています。続き物ですので、しばらくお付き合い下さいませ。

(ΦωΦ)猫写真は最新ですので、過去記事ですが写真だけでもお楽しみ下さい。

前回の記事はこちら↓

『怒り』の生まれるところ

発達障害児を育てていると、『怒り』と言う感情にしばしば、出会います。

それは、息子が放つ『怒り』のこともあれば、私や他の家族の『怒り』にももちろん出会います。

この、『怒り』と言う感情をどう捉えていくのかで、日々の生活は変わるのでは無いでしょうか。

私の持論として、感情を『抑えよう』『無くそう』『殺そう』などと思えば思うほど、大きくなるものだと思っています。なので、私は怒ります!



『怒り』は、なかなかコントロールが難しい感情です。簡単に手放せるのならば、苦労はしないはずです。怒りを持つことは、悪いことではありません。とても自然な事だと思います。だから、不自然な方法では消えません。

じゃあ、どうするんだよ!って話しです。

怒りを消去するための方法をたくさん組み合わせていく必要があります。

まず、誤学習や勘違いしてしまっている可能性を探します。発達障害児には、誤学習から『怒り』を起こしてしまうケースが多々あります。間違った学びから、ボタンを掛け違い、そこから『怒り』が生まれてしまう。これは、発達障害児特有の現象ではなく、誰にでも起こりうることです。例えば、

勘違いしたままで、確認を取ってない。

勝手に思い込んでいるだけ。

あの人がそう言ってたから、きっとそうなんだ。


そうやって、妄想から作り出した『怒り』は、

勘違いと分かれば、無くなります。

思い込みだと気がつけば、無くなります。

あの人が言っていた事は、あの人の考えだと区別できれば、無くなります。


自分がいかに、偏った見方をしているのか。と言うことを自分で認識していかないといけないわけです。


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私は変態です。とても変態であることを気に入っています。なぜなのか。それは私が偏った人間であると自分で確認することができるから。仮に、私は普通の人間です。私くらいの凡人は何処にでもごろごろいます。と思っていたとします。(書いてて吐き気がしますけどね…)

私は普通。だから回りがおかしい。

私は凡人。だから回りは非凡。

私はどこにでもいるような人。
だからあなたは変な人。

私にとって変態であることは、そこに思い込みが必ずあるよ。と自分でいつも確認するための、大切なおまじないのような、戒めのようなものです。

人間関係が上手くいかない時、私の視点が、いかにずれているのか?そのずれが摩擦を生んでいないか。

私のずれた視点が、何かの役に立つことは無いのか?一人一人の違いから学ぶことは無いのか?そうして自問自答するためのツールでもあります。

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発達障害児の息子は、とても偏った見方をしています。自他の区別が付き辛い発達障害の特性から、自分なりの見方にこだわってしまうこともあります。けれど、それは何も発達障害児特有の現象ではありません。誰だって、独自の視点で世界をを見ていますし、バイアスも掛かっています。

偏った見方をしていることそのものが、善悪や正解、不正解などの評価に繋がっていると考えてしまうと、もうその時点で『怒り』の種は蒔かれ水を与えられる事を、今か今かと待っている状態です。

そうなると、種に水を与えるように、『怒り』がいかに正当であるのか。と言う根拠やデータを集めるようになります。ここまでくると、もはや『怒り』たくて怒っている。簡単には止まりません。

同時に、偏った自分であることを責めることにも繋がっていくでしょう。自己卑下とは、そうした基準と評価の中から生まれるものだと思います。

『怒り』が生まれてしまうシステムを、もっとよく観察し、システムを変えていく必要があります。

『偏った自分』を受け止め、受け入れ、認め、信頼していく。そうすることができたなら、自然と『怒り』は少なくなります。

『怒り』は大切な感情です。けれど、とても扱いの難しい感情でもあります。まずは、『怒り』を生まないためのシステムをつくる。『怒り』を生まないための関わりを持つ。そうした事をコツコツとしていく。

システムを見直したい。どこをどうやって変えていけばいいのか。そうした試みをいくつもしてきました。

例えばこちらの↓記事。見方や受け止め方が、ほんの少しスライドしただけで感じ方や印象が変わります。



この、ここが好きだよ発達障害シリーズの記事を書いたのは、『怒り』の生まれないシステムに変えたかった当時の私の試みを、皆さんにお伝えできないものか?と考えて書いたものでした。

お陰様で、あれから8ヶ月ほど経ちましたが、これらの記事が私のnoteの中で最も多くの方にお越しいただき、最も多くの方にスキをいただいております。この先も、ここが好きだよ発達障害シリーズが、皆様に愛される存在であるといいなと思います。

それぞれの違いが、私たち家族を豊かにしてくれています。それぞれの違いが、私たちの生活や取り巻く社会、この国を、そして世界を、地球を、宇宙を幸せで包んでくれていると感じています。もしも、私たちが皆、同じような似たような考えや見た目、内面や、環境などであったなら、この世は終わりを迎えることでしょう。

違うからこその今であり、違うからこそ未来であること。それを常に子どもたちへ伝え、家族で共有する。それが未来を変える第一歩であると信じています。声高に批判を唱える事よりも、目の前の大切な人と、確実に一歩一歩、共に歩み、共に成長していく。いつしかそれが、社会に影響を与えるかもしれない。それはわからない。未来がより良いものになるために、私ができることを一つ一つ。

誰かを攻撃したり、非難したりすることは、とても単純で簡単な行為です。けれど、自分を愛し、自分を認め、他者と共に歩み、学ぶことは決して単純なことではありません。私はこの道をただひたすらに、一人の変態として歩んで行きたいのです。

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息子が学校へ行けなった一年生のころから、間もなく3年が経とうとしています。息子の『怒り』は、あの頃と比べ物にならないほど格段に減りました。アンガーマネジメントの本を一緒に読みながら学び、実践に役立ててきました。起きてしまった感情を上手にいなすことはとても大切です。心で起こっている感情と自分が対話できるように、子どもたちと一緒に考え、寄り添いながら共に歩く日々は今も続いています。


名越康文先生の本はどれも心を支えてくれる良書ばかりです。





以前に比べ、発達障害児(ASD/ADHD)次男の『怒り』が減ったことは、副産物のようなもので、一番の収穫は、本人が自分の事を卑下しなくなってきた。と言うことです。

自己卑下は全てを狂わせます。自己卑下から生まれる感情に扱いやすい感情は一つもありません。その、扱いにくい『取扱注意』の感情達が、息子の生活そのものを脅かしていましたし、自閉的な考え方の悪い面を加速させていました。

自己卑下から、自己受容へと変わりつつある現在の息子は、『怒り』の扱いにずいぶんと慣れて来ました。

自分で『怒り』と向き合い、どうすれば良いのか、自分と対話する姿がみてとれます。その姿勢を見逃さず、必ずアメの刺激として、

『自分で考え、コントロールしようとしている。とても大切な事だね。ぜひお母さんにも話を聞かせて』

と注目すること。

そして、様々な人間関係の摩擦に対して、『今後』どうしていくのか?を共に考え、明日への勇気と、未来への希望に変えていく。

『まだまだできることがある』
『僕にもきっとできる』


そんな思いで、今日を終え、眠りに着くこと。それが我が家の目標です。

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次回は、自己受容に向けて確実に歩んでいる息子のエピソードをご紹介したいと思います。



~To be continued~

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