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親のせいにできる幸せ

以前、こんなnoteを書いた。親のせいにできるって、親からのギフトだな。そう思えた。

この時は、母のことを書いたのだけど、最近は、父に対して思う。

年をとったせいなのか、ずいぶん頑固になって怒りっぽい。まわりにも迷惑をかけることもある。その度に私は呼び出されるわけだけど、最近はなんだか少し腹落ちしてきたような気もする。

親のために頭を下げる事が、最初はかなり苦しかった。

自分の子どもだったらどんなにか楽だろうと思ったけど、そんな訳なくて、子どもならなおさら辛い。

みんないつかは年をとり、思うように行かないことが増える。優しさだけの世界は来ない。だってそれはとてもつまらない世界になってしまうだろうし、変化の起こらない世界を維持する事はとても無謀だ。

辛い事も苦しい事もあって、楽しい事も嬉しい事もある、優しい時も厳しい時もあるし、助け合える時も対立する時もある。それでも生きていく。

誰かのせいにする事は、とても楽だ。

逃げ道が用意されていた方が逃げやすい。当たり前。

誰かのせいにする対象が他人だと具合が悪くなりやすい。家族のせいにできるってとっても都合がいいし、楽だし、立ち直りもできるし、腹もくくれるし、腹落ちもしやすい。


生まれる場所は選べないし、そもそも生まれる事すら選べない。家族を選べるのは新しく作る時のパートナーくらいなもので、後は生まれた以上は生きていくしか無いのだから。

誰でも間違いを起すし、誰でも失敗をする。私も、親でも、子でも、立派な肩書きの人でも、信じている人でも誰でも。

誰かのせいにして、自分が楽になる。そう言う時も必要だけど、自分が楽になる為に必要だったんだなと気がついてからは、本当に色々なことが許せるようになった。

親は私に贈り物をくれている。そう思えればかなりの事が流ていく。もちろん観音菩薩のように広い心で微動だにせず。何てことは無くて、腹も立つし、落ち込むし、虚しくなったりもする。それでも、というか、だからこその贈り物。マイナス要素みたいなものは、贈り物には不向きと思っていると、闇から抜け出せないんだよね。不向きだし、嬉しいものではないのだけれど、でも大切な贈り物。隠れ蓑にさせてくれたり、逃げ道になってくれたりする。そして、結局は、私を成長させてくれたり、変化させてくれる。そう言う意味でも親っていうのはすごいな。


今は、ニャロナという有事がずっと続いていて、許すというのが難しい時期なのだろう。誰かのせいにでもしていないと自分を維持するのが難しい。そう言う時代なんだと感じる。いろいろな場所が「許せない」に満ちている。

余裕が無い時に「許す」は難しい。

だから自分を整える事が最優先。

問題が目の前にあったり、過ぎ去ってからでも、心をえぐったりするけれど、それも私の具合のいい逃げ道でもある。それは、氷山の一角ではあるけど、間違いなく私を救っている時がある。だから、やっぱり「ありがたい」事なんだと思う。

そして、やっぱり私は幸せ者だ。

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