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根拠は無いけれど、息子の笑顔が最高の証し[再掲載]

かつての私は勉強嫌いの子どもでした。それが、子育てをするようになって勉強の面白さや様々な知的好奇心が湧いてくるようになってきたのです。それはひとえに、子どもたちのおかげ。子育てを通してたくさんの学びに直面しては、たくさんの本を読んだり、ネットで調べたり、専門家の指導を仰いだり。とても充実した日々を送らせてもらっています。子ども達はいつだって私の先生です。私が子どもを育てているわけではないという事を、いつも確認させてくれます。子どもに育ててもらっている子育ての毎日です。流行りのアクティブラーニングの先生は子ども達。子ども先生は、いつだって面白い。子ども先生は、大切なことに気が付かせてくれます。



私のnoteには根拠のある話は出てきません。私が読んだ本には立派な論文を用いた話や、数々の実験データが載っていましたし、専門家の方の考察やアドバイスがたくさんありました。けれど、それらがそのままうちの息子たちに適応するのか?私にできることなのか?それはまた別の話。

根拠なんて全くもってないけれど、うちの息子にはこれが効いたよ!こうしてたらなんか良かったよ。今、いい感じだよ。最近成長したよ。成長の前にこんなことがあったよ。その時私はこうしてたよ。そんなお話し。

あるのはたった一つ。うちの息子たちという人物が、今日、笑っていたよってことだけです。笑ってくれる日が増えたから、ようやく書けるようになったnoteです。

はじめは書こうかどうしようかとても悩みました。ネットを開くと、一方では、何者かになったお子さんを育てたお母さんのお話でなくてはいけないような気がしてしまうほど、どれも輝いていました。もう一方は、上手くいってないSOSや、やるせない気持ちがあふれていました。

これの中間のどっちつかずなヤツが私なのかもしれない。うちの息子は、何者かにはなっていないし、何者かにしたいとも思わない。立派になってほしいとか、将来はこうあってほしいなどと考えたこともない。もしかしたら、このどっちつかずな宙ぶらりんの話でも、見てやろうかと思ってくれる人がいるんじゃないか。そんな思いもあって、私の新たなる挑戦として始めたnote。たくさんの方々がスキしてくださり、たくさんの優しいコメントをいただけて本当に幸せです。ありがとうございます。これからもまだまだ、更新がんばります。応援よろしくお願いします。



人間の脳には、顕在意識(意識)では理解できても潜在意識(無意識)では判別つかないモノがあります。それが、時間、主語、否定です。

この脳の働きで、かなり苦しんでいた自分がいたのだと気が付きましたし、ならば、と家族へのかかわり方、子育てのやり方を見直すきっかけになりました。

時間 

脳の潜在意識ではいつでも『今』なんだそうです。自分では過去の話のつもりでも、未来のことを想像していても、実は『今』として判定されている。昔の悪い記憶や、未来への不安も全部『今』が引き受けてしまう。それはやめよう。そう思いました。

発達障害特性に忘れられないという特性があります。些細な事でも記憶から消去できないでいる。悪いことが何度も思い出されてしまう。うちの息子にもこのような特性があります。『今』が何度もつらい経験を引き受けてしまうことになります。何かのきっかけでフラッシュバックをおこしパニックに陥ることもあるかもしれません。(今の所フラッシュバックの経験はありません)せめて、忘れられない記憶の中に、温かい記憶を残してあげたい。

主語

誰に、という主語の部分も区別できないそうです。ひどい罵詈雑言を相手に放って、スッキリしたような発散できたような気になったのに、後にとてつもなくずっしりとした重みを感じてしまう。直接言われた人だけでなく、その場に居合わせた人もまた同じように感じてしまう。

発達障害児にはかんしゃくやパニックがつきものです。本人も辛い。だけど、まわりも同じように辛い。辛いからと言って親は子どもを放って逃げられない。小さければ小さいほど、どうしても一緒にいなくては、死んでしまう。代わりがいないお母さんはたくさんいます。代わりが効かない時期があります。児童相談所に通報されるんじゃないかと怯えているのです。

あの時を振り返って思うことがあります。通報されることを怯えて、何とか子どもを静かにさせようとしなくていい。児童相談所は相談するところ。そう書いてあるんです。相談するところはたくさんあります。先手を打てばいいんです。私が発達障害についての検査を病院にお願いしたのは、先手を打ちたかったから。学校に、先生に、何かを言われてから動き出していては、私は怯えないといけなくなってしまう。まわりが見えなくなってしまう前に自分から動きたかった。

否定

発達障害児には『~ではない』『~してはいけない』という表現が理解できないことが多々あります。『~だ』『~しよう』という切り口ならば理解してくれます。しかし、人間の脳も同じように『~ではない』を『~だ』と受け取っていると知り。そうだったのか。私も同じか。であれば、誰にでも通じやすい言葉は、肯定形だったり、言い切ってしまえるほうがより伝わる。気持ちの中にあるもやもやや、うしろめたさはあるけれど、発達障害特性に学んだストレートな表現を心がけよう。

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