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【既知の事実】人間の欲、きりが無い

どうも、性善説マンです。

先日、良い枕を買いました。
西川のなんだかすごいやつです。

買うまでの経緯は省きます。経緯というか、買うか否かを延々と悩んでいただけですし。
ともかく、25,300円もした甲斐は120%有り余っていて、最初に使った翌朝なんて快眠どころか

「今朝こそ、本当の意味で”目覚めた”のかもしれない」

と思ったほどです。


で、まあ、それはいいことなんですよ。毎晩熟睡、元気溌剌、活き活きライフ。これからアラフォーへ向かってゆく、若さを失っていくばかりの僕にとって、健康こそ何よりの資産です。

ところで、この最高な枕は《耐用年数:3~5年》です。
つまりあと3~5年で、もう一度25,300円を支払うべき時が訪れる、ということです。

そんなに律儀に期限を守らなくたって、西川クオリティはそう容易く損なわれないのかもしれません。でも、いつかこのエアー4Dピロー(そういう商品名)は終焉を迎えます。僕はもう良い枕で眠ることを知ってしまったから、それは今後「良い睡眠」と「そうでない睡眠」の二択を毎晩強いられる人生を選んでしまった、と言っても過言ではないでしょう。いや過言か?

たかだか枕で何を大仰な、とお思いでしょうか。僕もそう思います。
ただ、この十余年を社会人として労働階級として生きてきて、どうにも無視し難く実感しまくっていることがありまして、それは

人の欲は、終わらない

ということです。

黒ひげみたいな言い回しになってしまいました。
僕はここから「煩悩を捨てよう」とか「人の弱さを認めよう」とか言いたいわけではなく、欲に抗うって大変だし、とにかく全くおもしろくないよね~という、そういういまさらなことを、他に書くネタも無いからここに書き散らしてやろうという目論見です。終わったらエアー4Dピローします。


新卒当時20万を割っていた僕の月給は、どうにか年功序列の端くれで30万近辺まで上昇してきました。役職も手当も無いけれど、単純計算で毎月10万円くらいは、あのころより自由度が増しているのです。
10万ですよ?
「今月結構シフト入ったな~」て大学生が手にするくらいの金額じゃないですか。
それを毎月って、そんなんお金が120%有り余って然るべきじゃないですか。
たかだか枕を買ったくらいじゃ、びくともしないはずじゃないですか。

でも現実はそうじゃない。

なぜ?

僕が、無限に「お金の使い道」を見つけ続けてしまうから、です。
そう、僕は「あればあるだけ使ってしまう族」です。

以前に僕は投資とその末路について書きましたが、お読みいただければわかるように投資とは名ばかりで「貯蓄」でも「運用」でもなく「博打」のメンタリティで仮想通貨という呪物に手を付けたわけで、つまりお金を殖やそうだなんて殊勝な心掛けは微塵も無かったのです。

まるで自慢にならないながら申し上げますと、僕は根っから陰キャのため、いわゆる豪遊に向いていません。
お金を湯水の如く使う代表例としてキャバクラがありますけれど、僕そもそも知らない人とおしゃべり出来ないんで、文字通り話にならないんですよね。
高級腕時計を買うとかも、まずそういうゴージャスなショップに入店すること自体が非常にストレスで、それに買ったら買ったで「うわ~100万円巻きつけてる」などと小心の極みを露呈しながら手首を守り続けてしまうでしょう。
哀しいかな、金を使う度胸が無い。
私はハングリー精神を秘めて現状に甘んじているのではなく、心の底からビビりなのです。

ただ、それを踏まえるなら、ですよ。
じゃあ僕は今ごろ貯金がドンドコできていなきゃ、おかしくないですか???
どうしてお金が貯まらないのですか???(謎ギレ)

……お察しの通りです。
小さな贅沢が積もり積もっているのです。

子どものころ、ゲームソフトは半年で1本買えればいいほうでした。友達とまだ手に入れていない新作の予想を毎日して、発売したらお店に走ってゲットし、骨の髄までしゃぶり尽くしていたものです。
今や、買ったゲームなんてその日のうちにクリアして、収集要素とかはほとんど無視。なんなら買ってもやらないいわゆる積みゲーが増える一方です。

近所の公園で身一つをフル活用していろんな遊びをしていたのも今は昔、最近は何となくで道具一式を買ってアクティビティをやり、ひどいとその1回きりでおしまい。
部屋の隅でほこりを被っているだけのゴルフクラブ、ボルダリングシューズ、テニスラケット……

あとは生活の便利グッズとか、話題の多機能雑貨とか、おしゃれな食器とか、とにかくちょっとした雑多なプレミアムを小出しに享受していて、そういう塵が積もって10万になっているのです。

この惨状を踏まえたうえで敢えて主張させていただくと、僕はたぶん金融リテラシーがそんなに低いわけではないと思っていて、まあろくに貯金もせずのらりくらり生きている30代の金銭感覚がしっかりしているとはとても言い難いんですけど、唯一胸を張れるのは「借金をしたことが無い」ということです。
(これは、奨学金など必要で致し方ない借入は指していません。あくまで娯楽のための資金を他所から用立てる意味での借金です)
自分の欲望のために分不相応なほど注ぎ込むまではしないけれど、使える分のお金はついつい使ってしまう。そういうしょうもない人間です、僕は。

困っているのは、そうやって格上げしてきた生活の質は大変下げにくい、というところです。家賃とか食事とかをグレードアップしてしまうとなかなか引き下がれないとはよく聞きますが、今にして僕はそれをひしひしと実感しています。衣食住だけでなく、一度”良さ”を知ってしまうと後戻りできないことが多いですね、世の中。

皆様は「宝くじが当たって人生が崩壊する」というストーリーを、見聞きしたことがあるかと思います。
僕はそういう小話を、あまり現実味を持って受け止めていませんでした。
数千万とか数億を手に入れたらどうしよう、というのはまさに杞憂であって、そういった幸運を掴んだ人たちが一生分、金額によっては二生三生分にもなるほどのお金をわずかな期間で溶かし切ってしまっている事実について、しっかり考えていなかったのです。

僕は月給制で生きているので、一ヶ月というなかなか短いスパンで人生をやりくりしています。貯金だって多少はしているけれど「○年後に◇◇を買うんだ!」みたいなビジョンを以て取り組んではいなくて、結局は毎月の支出項目の一部として貯金があるだけです。
短期的に生きていると、「一生」とか「老後」とか、そういう長い目でものを見る機会が少なくなります。
老後は2000万必要と言われたときに、どうやって現役のうちにそれだけ貯め込むかは言わずもがな困難な課題ですけれども、さらにその先、その2000万をどう取り崩していくかを考えておかなければ、わりと簡単に人生は行き詰まってしまうと思うんですよね。
良いものを手に入れたら満足するのは当然で、お金に頼らない気持ちの満たし方を工夫しないと、どれだけお金があっても足りません。
僕はさきほど「『煩悩を捨てよう』などとここでは言わない」と申しましたが、やはりそういう人生の真理みたいなものって、自分で腹落ちしないと意味無いんですよね。「足るを知る」と他人や自分に唱えるのは簡単だけど、じゃああなたは結局足るを知ったんですか?となると、なかなか難しい。
こういうのって、会得したからといって報酬は得られません。がんばって理解して実感したとして、それがそのあと生きていく足がかりになる可能性もある、というだけなのです。
しかし、それが無いばかりに踏み外す人って世の中には意外と沢山いて、大金はそうやって人の一生を弄ぶだけで終わってしまうことが、ままある。

と、なると。
もし僕が宝くじを当てたら、だいぶ危ない気はします。
使えるだけ使う族にとって、使える幅が広いという状況は非常に不得手です。
経験がないのですけど、もし僕の職場が年俸制だったら年度末に貧窮している自分が容易に想像できます。
(実際の年俸制は12分割して支給してくれるのが大半みたいですが、まあそこはご愛嬌で)
おそらく、言い古されているとおり、大金には人を変えてしまう魔力があるのでしょう。
ただ、たぶん、もともとの弱さを暴かれてしまっているに過ぎない場合もあるのだと思います。
そういう弱さをどうにか克服したいんですが、でもそのためには日々の健康が第一、そうなるとやっぱり質の良い睡眠が不可欠で、だったら枕にもこだわりたくなりますし……

お金と違って欲というものは……
捨てるのは難しいし、いとも簡単にいくらでも湧いて出ますね。
身分の上では一人前の大人、自己責任でなんでもやったりやらなかったりする歳になってから、実感しております。

こんな調子で生きていたら、どうなってしまうんでしょう?

そういうのも結局は杞憂ですね。いまのところ。



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