古びたコンポでミスチルを聴いていた
Mr.Children(以下ミスチルと表記する)にハマったのは2014年のことだった。当時、わたしはまだ中学生だった。
きっかけは母だったと思う。
母がミスチルのファンで、部活動の試合に行くとき、お出かけをするとき、いつも車の中でミスチルが流れていた。
その頃、よく車の中で流していたミスチルのアルバムが『SUPERMARKET FANTASY』(2008)というアルバムで、わたしはそのアルバムの収録曲の中で「水上バス」「羊、吠える」「終末のコンフィデンスソング」「東京」が特に好きだった。(特にと言いながら結構な数を挙げてしまった。好きすぎる……)
携帯だって、まだガラケーだったし、いつも車の中で聴いていたから曲名など知らなくて、大事そうに棚の箱に仕舞われている初回限定盤の『SUPERMARKET FANTASY』を勝手に拝借しては少し調子の悪いコンポで聴いていた。
※少し話は逸れてしまうが、母はJUDY AND MARYも好きでCDを所有していて、それも勝手に拝借してはコンポで聴いていた。「ジーザス!ジーザス!」と「Hello Orange sunshine」と「くじら12号」とかが好きだった。そう考えると、母の影響をすごく受けている気がする。
GReeeeNとかファンキーモンキーベイビーズとか湘南乃風が流行っていた時代で、わたしたちが生まれる前の年から活動しているミスチルのことを知っていても、同年代で「ミスチルのファンだよ」っていう友達はいなかったけど、唯一ひとりだけ同じクラスの男の子が「俺もミスチル好き」と言っていた。
それから結構な頻度で、ミスチルの曲のここが好き!みたいなことを話すような仲になった。
わたしが「『フェイク』のイントロが不穏でかっこいい」と言えば、その子は「『さよなら2001年』って曲いいよ!」とおすすめの曲を教えてくれた。
当時ガラケーだったから、Eメールで急に「疲れた日が続いて掠れた僕の声がはしゃいでいるきみの気持ちを曇らせた」と送られれば、「別にそれほど疲れてやしない なるだけ優しい言葉慌てて探している」と歌詞を送りあったこともある。
今、思い出すと恥ずかしすぎて死にたい。
ミスチルは親に隠れてこっそり大切にしていた青春の宝物みたいな存在だった。
別に親に隠さなくても良かったけど、あの頃は勝手にこっそりとCDを聴くことになんとなく背徳感を覚えていた。
YouTubeでミスチルがライブ映像を公開してくれたときは母と一緒に鑑賞した。「この日は雨だった」とか「このときはこんな話をMCでしてた」とか、母が過去に行ったライブの思い出話をするとき、日々の生活から離れてキラキラと母が顔を輝かせる瞬間が好きだ。
わたしに、ミスチルの曲に紐づけられた思い出があるように、母にもミスチルの曲で思い出す過去があるのだろう。
22歳になった今でもミスチルは大好きだ。
JUDY AND MARYも相変わらず好きだ。
母が持っていたCDをこっそり聴いていたら、母が好きなアーティストを好きになっていた。
成長するにつれ、コンポ⇒ウォークマン⇒iPhoneで音楽を聞くようになった。
便利な世の中になり、月額1000円(学生だから500円くらいでいい)程度を払えば色んな音楽を聴けるようになった。ジャズ、クラシック、ヒップホップ、J-POP、洋楽、ボカロ……気分に合わせてなんでも聞いている。
また、今の時代はアルバム毎に聴かなくても、入門編とか「はじめての○○」というふうに有名な曲だけを集めたプレイリストがある。
明るくないジャンルの音楽や気になっているアーティストの曲を聴くときに、便利でよく使うけど少し寂しい。
有名な曲を聴くつもりで流したアルバムCDで新たな好みの曲を発見することは限りなく減ったし、シャッフル機能を使ってしまえばアーティストが練りに練ったアルバムの構成を堪能することもない。
便利さが寂しい時代になっている。
かつてのわたしのように、棚の箱に大事そうに保管されている親のCDをこっそり聴いて、うっとりして、それでそこからファンになる_____なんてことはもうなくなっているのかもしれない。
【とりとめもない余談】
久々に中学時代にミスチルの話をしていた男の子と話をしたら「『SUPERMARKET FANTASY』は人にはじめて借りたCDだったし思い出深いよ」って言っていて7年ぶりのエモだった……
普段は文系院生として過ごしているため、学費や資料の購入に回します✩゜*⸜(ू ◜࿁◝ )