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2人の君主。カイラ君とクツウさん。従うふりしてコントロールしよう。

少年野球に入れさせられた。これがクツウさんとの出会い。

小学校2年生の時。父親に強制的に。野球は好きでキャッチボールをよくしていた。が、少年野球は考えたことが無かった。良かれと思った父のアイデア。

先日阪神が日本一になり、阪神が大好きだった幼少時代とこの少年野球を思い出す。

週末は朝5時起床、6時には小学校へ。髪は坊主、厳しい上下関係。礼儀を超えたイジメ的な上下関係。ミスをしたら監督からのケツバットは当たり前。「俺の手の皮食べるか?野球上手くなるぞ」。渡された皮、さてどうすべきか。。。こんなことが日常茶飯事。

昼の弁当はおにぎり2つのみ。中身は梅のみ。海苔は無し。たくあんは必要に応じて可。これはもしかしたらお金持ちの家庭、そうでもない家庭もあるから差を付けないため、だったかもしれない。母親は楽だと大喜び。

こんなくだらないことを経てプロ野球選手は活躍しているのか? 疑問に思うが、父の顔を見ると辞めたいと言えず。

上下関係への嫌気、指導者の権力への疑問、指導力とはを思う。将来の人格形成に、良いのか悪いのか、影響する。。。

4年生になると、塾なるものが回って来た。野球をしている場合ではないらしい。ということで少年野球とはおさらば。クツウさんから解放だ!

ただただ、嬉しかった。カイラ君(快楽)がやってきたのだ。

が、そうは問屋が卸さなかった。この塾、毎回テスト。その点数で座る場所が変わる。競争、競争また競争。いつも後ろの方の生徒は知らずに消える。違う新しい生徒に入れ替わる。テストができない生徒は馬鹿呼ばわり。

ここではテスト結果での上下関係。ボクは「ダメなやつ寄り」。よし負けないぞ!という気概は起きず。新たなクツウさんとの日々。

が、神風が吹く。5年生になると親の転勤! やっほー!これで苦痛な塾ともおさらば。嬉しい!カイラ君がやって来てくれた!

引越先での5,6年生は塾から解放。中学で勉強するからお願いします!と母に泣きつき。苦痛無し。カイラ君がいつも一緒。

が、カイラ君とのひとときは2年で終る。中学がクソだったのだ。先生の暴力は当たり前。運動部に入ると学業の成績も良くなる。数学の先生がサッカー部の顧問なら、サッカー部に入ると数学の成績が良い、そんなだ。「指導者ってくだらない」に再度出会う。クソ中学。クツウさんのおでましだ。

この地区の公立はこうなのよ、なんて親達の会話を聞く。そっか、ここらでは公立はやばいんだ。高校はまともな学校に行かねば。今度は自分の心から湧き上がる「受験勉強をしたい!」。

さらに「お前の高校受験を邪魔してやる!」と数学の先生に言われた。じゃましてみろよ!そう思い、学校の成績が関係無い純粋に受験の試験結果だけの私立高校受験へ更に邁進。

苦痛のはずの受験勉強が、塾が快楽になる。クツウさんとカイラ君が入れ替わる。

高校以降は、素敵な指導者にも出会え、勉強、学びの意味も自分なりに定義でき、良い仲間にも出会え、自分で人生を選ぶ価値を理解し、苦痛と快楽も自分の心次第とコントロールできるようになる。

快楽と苦痛。これらはジェレミー・ベンサム(哲学者)の言う2人の君主。人間は、快楽を求め、苦痛を避ける感覚動物、ならば政治的には最大多数の最大幸福をめざそう、と主張する功利主義のご師匠さん。

野球部ではボクが下っ端でイジメられ、小間使い。監督の言うことを野球を超えても何でも従わざるをえない。

先輩達や監督の幸福。でもボクは苦痛、最大多数の最大幸福の犠牲者?

中学受験の塾では、毎日のテストで成績の良い生徒を洗い出し、指導者はその生徒を優先指導し良い中学に受験させ合格させる。

成績良い生徒やその親御さん、指導者は幸福。でもボクは苦痛、最大多数の最大幸福の犠牲者?

が、高校受験の勉強は苦痛のはずが快楽に。苦痛と快楽、なかなか定義が難しいものですね。時と場合で変わりえます。

さて、会社なる場でも注意が必要。最大多数の最大幸福の陰で苦しむ仲間がいるものです。リーダーのやりたい放題と部下の犠牲の上での業績(=リーダーの快楽=部下の苦痛)なんてケースも多々。

リーダーならば、尊敬され愛される指導者になり、仲間の快楽・苦痛に敏感になり、仲間の苦痛を快楽に転換すべく努力して欲しいです。仕事の意義や、スキルの向上、マインドセットの転換、など仲間にほどこして、仲間の幸福を高めましょう。リーダーの幸福は後回し?だってリーダーは1人ですからね、最大多数で負けますから。でも、それでいいのです。結果、リーダーの幸せ、快楽に必ずつながりますから。

職場を良質にするコンセプトv6_30
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。



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