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文明の基礎で、ありがたい「雨」。しかし暴れるこの頃。落ち着かせるには?



1.
「雨」が豊かな国。文明は発達し、生活が豊かになる。雨には感謝


今日は大雨。お客様のオフィスに着いた頃にはヒザから下はびちょびちょ。でも、しょうがないですね。雨なんだもの。そもそも、びちょびちょは悪いことなのか。イヤなことなのか。気にしなければ良い。PCや携帯が濡れると困るけど、服やら頭ぐらいなら。風邪はひかないように。

会議が終り、カフェに入る。都心のお昼時ながらガラガラ。暴風雨だとお客様は激減。売上的には困った話。だけど、これもどうしようもないですね。想定内のリスク。

雨は土壌をつくり、木々を育て、植物を育て、歴史的にも、農業、漁業、畜産業、製造、物流などを支え、文明発展に直結。雨があるから食が豊かになる、人口増を支えられる、役割分担でき、技術が進歩し、生活が豊かになる。

雨は文明の基礎。感謝の対象。それ以外の何物でもない。

2.
過去、文明を崩壊させた原因は、森林伐採という人間の自業自得と「雨」の少なさ


地球上で過去に文明が崩壊した原因は、木々の伐採を中心とした自然破壊、と雨の少なさ。つまり再生が遅くなる。

例えば、どうやってピラミッドが造れたの? イースター島のモアイ像はどこから来たの? 今は不思議。でも、昔を知れば不思議ではない。森林があって、多数の人口があった。だから大きな石だって運べた。今、不毛な土地で草木がないから不思議に思うだけ。昔は緑多き土地だった。

人間が無知で、将来を予測できず、目の前のことのみに対応し、ある意味、一生懸命に努力しながら森林を伐採し続けた。雨が少ない土地なのに。で、森が消え、食がなくなり、文明放棄か、最後の1人が途絶えるか。

3.
だから「雨」の多い日本はとてもラッキー


だから、日本に雨が多いことは、原則として、とてもありがたい話なのだ。この国で文明が発展し、現代が豊かであれる、その基礎として雨がある。

雨が少ない地域では、自然の再生スピードが遅く、森林伐採など自然資源を利用し過ぎると破滅が止まらない。雨が多く降る地域は人口を支えられる。森林、農業、家畜、自然の豊かさが織り成す果物や野菜のアレコレ。漁業も雨に依存。木がないと船は造れません。雨のお陰で自然豊か。人々は生きられる。人口が増える。役割分担が進み、技術が発展する。「雨」のお陰。

4.
でも、最近の気候変動・暴風雨は悩ましい


が、最近の雨、気候変動による暴風雨・線状降水帯などは、逆に、農業、漁業、畜産業、製造、物流など、自分の生活を含む社会に悪影響。

しかし、これは「雨」に支えられて発展させて来た文明・工業化の行き過ぎが原因、と言える。

人間の自業自得。

ただし誰も責められない。1人1人が地道に「努力」し、発明・発見し、その結果が工業社会であり科学の進歩。生活を便利に豊かにする。が、同時に温暖化・気候変動を生み出し、知らずに自分達の首を絞めて来た。単に目の前のことに努力して来ただけ、なのに。。。

人間は、無知で、将来を予測できず、身近なことしか見ないし、自分の生活で精一杯だったし、そして、対策は実害を受けてから(現実化してから)やっと実施するのが常。時すでに遅し、になりがち。

5.
今後はどうなる?「節度」を持てるのかな


昔の文明を崩壊させて来た人々は無知で、将来予測ができなかった。結果として無謀・無策が続く。

一方、現代には知恵・知識や技術がある。でも、その知識を信じるかどうかの知性はバラつくし、技術があっても費用も時間もかかる。世界的に一蓮托生で気候変動へ取り組むのはかなり困難。

すでに豊かな国が、全世界で節度を持とうと言っても、成長過程の国々ではそういう訳にはいかない。皆、豊かさを目指したいのだもの。一方で、被害が大きくなりがちなのは先進国以外の自分達という切実な問題も。

なんだか損しているだけ、そんな気分。だから、現在の気候変動問題を引き起こした先進国・豊かな国に、節度なんて言葉を謳われても、ふざけるな、となりがち。。。

小田原評定。会議は踊る。約束すれど実行されず。みたいな感じなのかな。

6.
「節度」のためには、「将来世代への想像力と優しさ」 VS 「今の豊かさ」。どっちが勝つか

人間いつか死ぬから将来のことなんてどうでもいい、のが性分かしら。だから、心の底から将来世代への想いを馳せられない。自分が死ぬまで豊かに楽しく過ごしたい。自分より豊かな人々を羨み、目指してしまう。。。

ところで、人間には偶然にも脳に認知革命が起き「想像力」を得た。将来世代の生活を「想像」できる。それに、親子・家族だけから社会(他人)とのつながりをつむぎ「優しさ力」を得て来た。自分には子供がいなくても、他人の子供や将来世代へ「優しさ」を発揮できる。

この「想像力」と「優しさ」をここでこそ本領発揮し、「節度」を高度化できたらなぁ、と思うのです。自分は死ぬ、けど、将来の世代の苦悩を「想像」し、自分達が今、節度を持って、負担を将来に残さない、自分達がある意味、犠牲になる、そんな「優しさ」を貫く。そうだといいな、と思うのです。自戒も込め。。。

でも、ダメかな。将来世代の幸せより、今の自分の幸せかな。普通は。。。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_51)


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