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会社のリーダーと、見知らぬ他人と、宗教と。一番信じられるのは?

宗教に関する本を読み出して、ふと思ったことです。

幸せなら頼ることが少なくて済むから、祈る必要はない。多くのひとが年始か、観光でしか神社やお寺には行かない。小さな失敗や悩み、不満、不安はあるけど許容の範囲。大丈夫。心が大丈夫なら祈る必要はない。時に祈ること自体はあるかもしれないが、必要性は低い。イベントごと。

人類が誕生したの500万年程前。我らホモサピエンスの誕生は20-30万年ほど前。日本に移り住むのは4万年ほど前。氷河期は1万2000年ほど前に終る。家畜や農業・定住生活をし出すのは1万年ほど前。仏教がインドから日本に入ってくるのは1500年程前。

まだまだ単なる哺乳類の一種。農業を始めるも気候に左右され思うように育たない。飢饉続き。繁殖サイクルなんてわからないから殺し過ぎてマンモスのように動物を絶滅させて自らの首を絞める。大人数での定住で家畜の疫病が流行り、免疫ができるまでは大量死。地震や天災にもチカラ不足。部族間の争いも続く。。。

今では想像できない人生。死は簡単でいつも隣同士。兄弟殺し・親子殺しはあったろうが、家族愛は他の動物同様に人類の基本。だから、こんな不幸が続くと何かに頼りたくなったのでしょう。部族リーダーなどの統治への政治的思惑も後押しして目に見えぬチカラを崇拝し出す。偶然にも(統計的にも)効果を経験するとますます祈り・頼りたくなる。。。

宗教と言っても形態・定義は様々ありますが、ま、こんなスタートのようです。現代は科学の時代ですし、死が隣にはいませんから、宗教へ頼ることは減っています。幸せな社会ということですね。安定した社会。

東大ご出身の人類学者である長谷川 眞理子氏が、自分は無神論者の権化で集団行動大嫌いだけど、カンボジアでポルポト派の大量虐殺(200万人以上の虐殺と言われる。当時の国民の4分の1)の場を見学した後に、とにかく祈りたくなった、と言います。超自然の何かに頼りたくなった、とのこと、なのです(「宗教の起源」(ロビン・ダンバー著、小田 哲訳、白揚社))。これほどの経験があれば祈り、頼りたくなるのでしょう。

こんな、しんど過ぎることが自分に連続したらどうだろう。本当に辛いことが。自分ではどうにもならない理不尽が続く。理不尽、不幸、無力、孤独、絶望。日本人で、日本にいて、社会活動を何らかしていて、でも、理不尽、不幸、無力、孤独が続き絶望する。属している何もかもが助けてくれない。こうなると祈るしかない。宗教の種類はあまり問題では無い。祈りたく、そして帰属したい。

安定した社会であっても、ひとは何かに頼りたくなるものです、こんな辛いことが続くと。

さて、会社で辛いことが続いて、何かに頼りたくなるとき、どうすべきか。相談相手は友達?親?彼女/彼?妻/旦那? でも、会社のことをわかっている誰かにも相談したいもの。

リーダーに相談できますか? リーダーはそんな相談する相手ではない? 自分がリーダーならそんな関係だと強い組織は作れないよ、と主張されますか?

笑える統計は、ちょっと古い2018年の記事ですが、Forbes(ハーバードビジネスレビュー誌の引用)によると、見知らぬ他人の方が上司より信頼できる、とのこと(A Harvard Business Review survey reveals 58 percent of people say they trust strangers more than their own boss. This is truly shocking)。

リーダーは良き相談相手、メンター、コーチであるべきだと思います。別に友達になれ、仲良くなれ、と言っているわけではないです。会社の規律・ルールを飛び越える必要も無いです。でも、会社で社員の悩みに関心を持ち傾聴し解決へ向けて手助けしよう、というまっとうな話なだけ。社員が不要な悩みを抱えていては、事業が成功する自信がなくなる。。。

リーダーなる者は、社員が宗教に頼る前に(頼ってもいいのですが)、見知らぬ人に頼る前に、リーダーに頼ろう・相談しよう、と思える存在であって欲しい、ものです。

読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_17)


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