子供の名前から学ぶ会社ビジョンのあるべき姿(素敵なリーダーになりたい編_v4-42)
先週の日本の男子プロゴルフの試合で若手ゴルファーの、蟬川 泰果 (セミカワ タイガ)選手、22歳、が3位になりました。石川遼選手が4位。優勝まではあと一歩でした。
で、このお名前の”タイガ”は、ゴルフの世界を変えた今でもミラクル大人気のタイガー・ウッズ選手に由来して漢字にしている、とのこと。タイガー・ウッズのようになって欲しい、一緒になっていこう!という両親のビジョンが表現されているのでしょう。
子供の名前って、そういうもののはず、ですよね。キムタクのようにマルチな才能を発揮して有名になって欲しいから、拓哉とか、心が美しく友達がたくさん出来て欲しいから、友美とか。優しいひとになってほしいから、優奈とか。文字数や両親の名前を部分的に引継ぐこともありましょうが、”想い”が込められるものです。
ただ、その後の教育で、生活で、このもともとの”想い”を貫かないケース・家庭がほとんどのような気がします。直感的ですが。。。
ボクも自分の名前に込められた意味を両親から聞いたことはありますが、そのように成長すべく、両親から指導、教育、生活習慣化されたことはなく(記憶に無く)、日々、その想い、それに向かう価値を語られたこともない(記憶は無い)。なので、名前の通りには成人していないし、大人になってからもその想いを追求していない。
ま、本人に意志の無い誕生の際に名前はつけないといけませんから、この不整合はしょうがないですね。一定の知恵・自己認識が出来ると、子供の希望・想いに親も寄り添うから(そうでもない?強制もあるか?)、当初の想いから外れることは一般的でしょう。
そういう意味では、タイガ選手は、両親の想いを自分のビジョンに一致させ、貫き、努力を重ね、まだ22歳ですがグッドスタートを切っている。近い将来、本当にタイガー・ウッズに近づきますね。
で、これが、会社でいうところのビジョンですね。理念ですね。存在意義ですね。クレド、パーパス、夢ですね。呼び方は何でも良いですが。子供も会社も類似します。何を目指すのか、それを定義されたもの。会社を創業させ、スタートさせるもの。
ビジョンという言葉に代表させますが、それがあるから、会社を作ろうと思うわけで、会社名やロゴマークが決まるわけで、別に何も苦労しなくても、ビジョンの定義はできあがります。頭をひねって考え出すことではないですから。そのために会社を作ったのだから、因果関係が明確です。
ビジョンの大切さ、それを社内に浸透させる当たり前さ、は議論の余地が無いはずです。面接でも共感できるひとに入ってもらいたい、と自然に問われます。日々の思考・行動でも、時に話題になるものです。インプットとアウトプットが整合するはずです。
もちろん定義や浸透の方法論は悩みます。タイガ選手の場合も、どの漢字にしようか、いっそのことカタカナにしようか、などは悩まれた(検討された)はずです。同じですね。結果として「泰果」になったのでしょう。タイガーウッズのようにゴルフ界で活躍し、見るひとを感動させ、挑戦することを信じさせられるような選手になろう、とともに、”落ち着き穏やかに努力しながら、果実を得よう”という想いを込めたのかもしれません。
例えばですが、「球一」君(ゴルフで一番)、や「優芝」君(芝(=ゴルフ場)で優勝)、「秀緑」君(グリーンで優秀なプレーをする)、なんて名前も可能ですね。でも、「タイガ」。シンプルでパワフル。俺はタイガー・ウッズのようになる、と自らが毎回名前を書くときに再確認しますし、名前を呼ばれる際にも再確認できます。
会社も、ビジョン定義の言葉選び、浸透の方法論は悩みます。記憶に残り易い、しゃべり易い、キャッチーな言葉でビジョンを定義すべきです。シンプルでパワフル。それとは別にスローガン/タグライン化もあり、そして、社内浸透策も効果・効率的な方法を模索しトライすべきです。だらだら長い文章でビジョンを定義しても、記憶できず、社員が自分でinternalizeできず。不毛です。
こんな風に、会社名、スローガン/タグライン、そして当然ながらビジョンを定義したいですね。Apple、ユニクロ、ソフトバンク、SONYなどから類似性を感じられます。
ただ、リーダーなのに、自社のビジョンに注目できないケースもありえます。サラリーマンで社長で価値を認識していない、あるいは、社長になったけど創業者の会長が隣にいたり、同族企業で同族でない方が社長になったり、サラリーマン社長だけでお歴史ある大企業だったり、子会社・関連会社に天下りで社長になったり、など。こんなケースではビジョンの重要性を感じ難いケースはありえます。
自分がリーダーだけど、率いるのは自分の会社(自分の子供)じゃないもんなマインドです。ま、しょうがないです。勝手に他人の子供に、タイガというあだ名をつけて、プロゴルファーに育てよう、なんてできない、ようなもの。
でも、これって違うな、って思います。上場会社であっても、歴史ある大企業であっても、つまりサラリーマン社長的で、自分が創業でも、同族でもなくても、リーダーになったのだから、自分のビジョンを検討してみるべきかなと。もちろん、その会社の綿々と続くビジョンがそのままで良いと判断するならそれでOK。あるいは、時代にあわせて微修正したいならそれでOK。大きく変えるべき仮説があるならそれを検討すべきに思います。誰かが隣にいるから遠慮するとか、サラリーマンでどうせ4年や8年だからなんて思考は回避したいかなと。
社会が、多くの人が、共感しえる未来をつくることを目指し、それを言葉に定義したビジョンであれば、つまり、利他的であれば、そして、社員もなんだか共鳴し心わくわくするならば、そして、自社らしいならば、当然ながら賛同されます。そして、チカラが結集されます。もちろん共鳴できない社員もいるかもですが、それはそれでしょうがないので、サヨウナラですね。
個人的な想いがスタートで良いですね。でも、それが社会的に意義がありそうに思われれば、それで良いですね。息子をゴルファーにしたい、しかもタイガー・ウッズのようになんて非常に個人的。でも、それはなかなか大胆ながら夢あるビジョン。だから、賛同し、助けてくれるひとが集まります。その夢、のっかりたい!そう思われます。
会社も同じですね。創業時だろうが、歴史ある場合だろうが、社会的に意義ある大きなビジョンにする。今までのビジョン踏襲か、微修正か、新しくするのか、はどれでも良いですね。利他的で、自社らしく、社員をわくわくさせられるならば。
社会的価値と社員のわくわくが整合するとみなでがんばろうとなる。これがビジョンなるものの価値、役割ですね。それを定義し、浸透し、巧みに使う。これはリーダーのお仕事。
「素敵なリーダー」: 映画AIR(マイケル・ジョーダンと契約して靴のブランド エア・ジョーダンを生み出すNIKEに関する映画)見たら、NIKEの創業の理念、行動指針に関するシーンが多々。創業者フィル・ナイトが、これでここまでやって来た、と発するシーンも。何を目指しているのか、何のためにやっているのか、思考行動の拠り所は何か。子供の名前のように、会社にも想いが込められている。
数字データだけ眺めて会社の今を知り、将来の姿を数字だけで思う、なんてことはリーダーとしてあるまじき行為。逆であるべき。フィル・ナイトいわく、正しいことをすればお金は後から付いてくる。正しいこととは、会社のビジョンであり、理念。これらを定義し、率先するのがリーダーたるもの。
こんな素敵なリーダーになりたいですね。
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