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悩む選択 v2-28:知識・経験を増やすべき vs 無知の価値・無知の幸せでいい

ボクともぐらさん。会社の仲間。今は別の会社。色々転職したけど、毎回、組織ってどうしてこうなるの?を経験。2人で議論して、たどり着いたのが「やさしいリーダー」の必要性。実際にやさしいリーダーで経営し、組織は強くなり、自走し発展。「ぼくモグラキツネ馬」という絵本からもヒントを得て、互いをボクともぐらと名付け、やさしさで組織を強化中。最近は職場で直面する悩ましい「どっちを選択する問題」をアレコレ整理、心の強さに役立て中。

今日の悩み:

A.積極的に色んなことの知識を増やし、経験すべき。その結果、自分の将来に役立てられる適切な今の判断がだんだん・より精度高くできるようになる。

B.知らないことの幸せもあるし、知らないからこそできること、役立てることも多い。無理矢理に知識や経験を増やす必要はない。「無知の知」だけを持っていれば。

くだらない話をちょっと。大学からの友人の女性とお仕事のお話。が、気づいたら、ご家庭に色々ご不満があるのか、パートナーへの小言に。ボクに言われても、なんですけど。

背が高くて格好良くて、イケメンで、お給料も良い男性と結婚した。15年ぐらい前か。

「背が高いとね、服も大きいから洗濯機がすぐいっぱいになるし、それを干すのも畳むのも面倒なのよ。重くて。。。それに背が高いとご飯もこぼしやすいのかしらね。服にしょっちゅう食べ物つけて。私、料理はいいんだけど、洗濯がなんか嫌いなのよね。」。あ、そうですか。。。

「イケメンっていうけど、ケアしないし太ってきて全然ダメよ。それに今更、ケアし出してなんか風呂や洗面が長いし、顔につける色んなの買ってきて。その前に痩せたら、と思うの」。あ、そうですか。。。

「あ、それに給料もイイ会社にいたと思ったら転職して。今はだめなの。フローよりストックね。資産家と結婚すればよかったわ。」。あ、そうですか。。。

「とにかく背が高いに紐付くデメリットがたくさんあるのよー。デカいと洗濯が大変、食費もかかる。お酒の量も。いいことばかりと思っていたけど。こんなの知らなかったわ。」。あ、そうですか。。。

「将来なんて分からないね。その時に見たいことしか見ないし。伸長のデメリットんなこと考えしなかったわ。誰からもアドバイス無かったし。年取って介護も背が高いと大変ね。。。」

ですって。コワイコワイ。ま、大学からの友達だから、ボクに惚気てもしょうがないし、わざとこういうことを言っているのかとは思いますが。。。

仮に、彼女が結婚する時に「相手の背が高いと家庭生活でマイナスがあるよ。洗濯に時間かかるとか、服が重くて疲れるとか、場所を取るとか、食費とか、喧嘩しても目立つから目障りとか。介護になったらさらに大変!」ってアドバイスがあったところで、結婚止めないですよね。こんなことぐらいで。恋しているときには右から左にスルーです。些細な話です。その時求めることにしか心は向きません。ただ、ただ、確実に言えるのは、事前に知っているデメリットは無い、ですね。

すいません、つまらない話でした。

で、話変わって、春の話ですが、青山墓地を花見でオーストラリア人の友人と散歩した話。彼いわく子供のとき、寝るときの暗さが別に怖くなかった。暗い=お化け=襲われる、とかの概念がなかった、って。オーストラリアではそうなのですかね。暗い部屋で寝るのはぬいぐるみと一緒の楽しい時間、ってな感じ。でも、今は暗いと怖いし、お墓も怖い、とのこと。

話変わって、最近結婚した友達の弁。その友達の母は離婚。再婚したひとを突然の父として暮らした。その人の連れ子が妹になった。でも楽しく幸せに子供時代を過ごした。特に大きなマイナスは感じなかった。で、大人になって自分もバツイチの連れ子の方と結婚した。子供はかわいいし、楽しいのだけど、ただ、自分が子供と自分が大人では違う。同じ現象と思ったが立場は真逆。自分が子供のときの記憶はまぁ、薄れているところも正直あるから比較してイイのかわからないけど、今の大人の立場では悩み多い。子どもを木にしながらの都度考えながらの言動になる。

「知らない幸せ」 ってありますね。
「既知が未知」 もありますね。
「立場変われば思い変わる」 もありますね。

「無知の知」ってソクラテスの言葉があります。自分が無知であること、知らないことが多々あり、それを知らないとちゃんと自分は自覚できている、ということ、と理解しています。あ、これ自体も正しく理解していないかも、という「無知の知」も持っています。。。

でも「無知の知」を自己認識していても、実際に経験して新たに感じた気持ちには、何の影響もないですね。消えないし、薄まらないし。。。

「自分のパートナーの伸長が高いことで愛が冷めたら洗濯などが辛くなるっのことを知らないって事前にわかっていたから、今、洗濯が面倒ってわかってイライラするけど、ま、しょうがないわねー。イライラしなくなるわぁー」。 なんてありえないですよね。

「怖い映画とか見て夜が怖くなって襲われるような想像をしちゃうけど、夜が怖いなんて思うこと知らないって事前にわかっていたから、仕方ないかぁ。そう思えたら夜は怖くないや」。 なんてありえないですよね。

「この手の結婚でも普通に楽しく幸せだと経験していたから、立場変わってそうはならないカモなんて思っていなかったから、今、なかなか考えることが多い結婚だけど仕方ないから、どんどん楽しくなってきたぁー」。 なんてありえないですよね。

自分は無知であることを知っていて、その無知による意思決定の結果で今があると思っても、これらのマイナスな気持ちは、薄れません・消えません。

ただ、この3ケースは、それぞれ「経験」して、新しい感情を持った。ということです。今後何らかの役に立てる「知識」を得た、ということです。

だから、やっぱり、知らないって知っていようがどうだろうが、色んな経験をして自分の心として「知っている」をたくさん持った方が、もちろんそれに基づく判断が間違うこともあるし、全く同じ状況でも自分の気持ち次第で感じ方は当然異なりえるけれども、それでも「知っている」をたくさん持って、自分の、将来に向けた、今の判断の拠り所にした方が良い、と思います。

「知る、五感で認識する、経験する、体験する、知見する、見聞する、学習する、冒険する・・・」という活動は、「積極的に、意図的に、前向きに、挑戦心もって」実施するのが、好きです。「結果、完璧、完全、正解・・・」などは気にせずに!

どうかしら。

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