死は感謝? 恐れることもない?
死とは何か? なぜ悪いのか? 誰の立場から言っているのか? 死が悪ならば不死は良いのか? 若い死と高齢での死は違うのか? 人生は良いのか? どうしてそう言えるのか? などなど、死・生について、過去の哲学者の展開を紹介しながら、わかりやすい例示・比喩を使いながら、色んな考え方が展開されている本。逃げずに、混乱せずに、感情的にならずに、ちゃんとロジカルに死を考えてね。そんなイエール大学教授のメッセージです。日本語のハードカバーの本で700ページを超える大作(日本2019年出版)。
そして、最後の最後に冒頭のように伝えます。なお、残された人たちの気持ちではなく、自分で自分の死に対してどう思うか、についてです。残された人たちには悲しい限りで、それ以外では無いのですから。。。
「私たちがあまりに早く死んでしまう可能性が高いことはたしかに悲しみうるが、私たちがこれまで生きてきたのはまさに信じられないほど幸運であることに気づけば、その悲しみの感情は相殺されてしかるべきかもしれない」、こう付け加え、読者にそれぞれで死について考えてみてください、と締めくくります。
さて、ボクの周りで、80歳を超える人達の仲良しグループがあります。親あるいはもっと上の世代。先日、その仲間の一人が亡くなりました。心筋梗塞。その半年前にも病気で亡くなった方もいらっしゃいました。
年齢が年齢なので、皆様、こういうことはあるさ、と受け入れているように見えます。悲しいのですが、悲しむことはなく、突然の死にビックリしますが、ビックリせず、心配し助け合いながらも、離別感は維持、一定の距離があります。仲間のことを想いながらも、自分の健康に集中。死はしょうがない。みんなに来る。健康維持し運動し筋力も維持する。向上心は忘れない。でも、この状態が永遠に続くのもキツい。永遠の30代なら良いかもしれないけど。そう言います。
そして:
死は感謝なんだと思うよ。冬の後には春が来る。辛いこともいつか終わる、そういう風にも考えられる。今はまだもがいて健康・筋力を維持する。死なんて考えない。考えたくは無い。でも、一方で感謝なんだと思う。
地球は有限なんだから。みなが不死だったら大変。地球を維持するために死がある。仲間のために、子どもたちのために、子孫のために、他の動植物のために、地球の永久のために。死は最高の子ども孝行であり、地球孝行であり、利他。
それがいつ訪れるかはわからないのが悩ましいけど。でも、自分で選べというのも酷。老化のお陰でもがく。努力する。若い頃はできたことができないんだから。諦めた時に、弛んだときに、終りがくる。。。
仲間の死は悲しい。もう会えない。一緒に笑えないもんな。でも、仏陀のごとく、嘆き悲しむのは無益でね、ま、死は感謝なんだよ。
こんな言葉を聞きながら、ボクはまだ死なんて考えもできないし、感謝とも思えない。地球は有限なんてことはわかるし、ひとは死ぬべきだと思う。でも、感謝とは未だ思えない。一体、死に直面したら自分はどうなるのか、想像もできない。受け入れるのか、泣き叫ぶのか、砕け落ちるのか。もちろん明日かもしれない。でも、そう思って今を過ごすこともできない。
カンジーの「Live as if you were to die tomorrow」(明日死ぬかのように生きよう)なんて、できるのだろうか。理解はできる、けどどういう状態なんだろう? 一生懸命、生きなさいってこと? でも、本読んだり、映画見たり、ドラマ見たり、友達と飲んだり、ぼぉーっとすることもある。悔い無くってことかな。今、やりたいことをやれってことかな。
死を恐れず、感謝と思えるようになるのだろうか。なりたいものだけど。
読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_23)
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