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ボクともぐらと 59_コップの水が半分しか?半分も?そんなのどうでもイイ

「ぼくモグラキツネ馬」という絵本に「”やさしさに勝るものはない”~”すべてのうえに、しずかに存在している”」とあり、「”おおきくなったら、なにになりたい?”~”やさしくなりたい”」とあった。やさしいひとになり、やさしいリーダーになり、やさしさを組織に吹き込み、やさしくても、強くて勝てる組織をつくれると信じていたボクに力を与えてくれた。この絵本をきっかけに同僚のもぐらさんも似た価値観を持つことを知り、noteを教えてくれ、ボクともぐらさん2人で組織やリーダーシップの気づきを残そうと日々綴っている物語

今日、WEB会議をした。ボクと経営者と、ボクらの取引先。3人だけ。で、ふと思った。いつも思っていることだけど、強く、でも、ふと思った。職場は、もちろん、自由に思ったことを話せば良い世界ではないけど、自由に話をできない雰囲気、圧力があって、それで話ができないことがある。それを感じた。誰も意図していないのだろうけど、ボクは感じた。なので、何もしゃべらなかった。

何が起きたのか。経営者が話す内容が、嘘ではないが、ギリギリで、黒では無いがグレーで、誇張過ぎないけど誇張で。ボクは”違和感”を感じた。だから、ボクの意見や経験を話すと、経営者が話した内容と齟齬が出る可能性を感じた。だから、取引先に”違和感”を感じさせないため、ボクはしゃべらない、という選択肢を選んだ。ボクは経営者じゃないから、この会社に責任は持てないもの。。。

ボクはこういう感情を持つのが苦手だ。素直に話をしたい。素直で仕事をしたいし、素直でお客様にも選んでもらいたい。

取引先のひとから1時間以上たって、会議を終える前に、ボクが一言も話をしていないので、「ボクさんも何かしゃべられたらどうですか?」と言われたので、議題とは関係の無い、その取引先の方とそこの社長さんとがどうやって出会い、信頼しあい、今に至っているのが知りたかったので、このことを質問した。うれしそうに経緯を色々と喋ってくれて、その時の出来事のみならず、その時の気持ちを振り返って、喋ってくれた。出会い・縁って大切ですね、って。運というのか、偶然の出会いの連続の人生で、素敵な出会いって自分で作っていくものかもしれませんね、と。最後に良いお話ができたと思った。。。

もちろん、同じ事柄に対しどう感じるかは、人によって違いますね。「コップの水が半分しかない/半分もある」理論ですね。ボクが違和感を感じた経営者の話に、経営者自身は違和感は無かったのだろう。石橋を叩いても渡らない人も当然いるし、石橋かどうかも確かめずに渡る人も、水に濡れても渡る人もいる。

で、ボクはこの「コップの水が半分しかない/半分もある」理論だと、どっちがボクの感覚なのか答えられないのです。ポジティブなのか、ネガティブなのか、コップの水だと答えられないのです。

でも、事例によっては、こっちが正しい!こっちがボクの感覚だ!と即答できます。

例えば:社員がどんどん辞めていって、あと5人もいると思うのか、あと5人しかいないと思うのか。大切なプロジェクトの完成までだいぶ残存作業があるのに、約束した納期まであと3日もあると思うのか、あと3日しか無いと思うのか。毎月200万円キャッシュアウトしているときに、預金があと1000万円もあると思うのか、あと1000万円しか無いと思うのか。

これらの例では、ボク的には、”しかない”を支持し、こっちが正しい、そう思ってしまいます。早く対策を考えないと、と思ってしまいます。

つまり、この事例だと、ネガティブ派で、仲間もそう感じて欲しい、と思うのがボクの感覚。

では、次の事例:「裸足で生活する人達に靴を売る商社マン」の頻繁に目にする寓話(商社マンでないケースもあるかな)。裸足で生活する人達を見て、靴は売れないな、と思うのか。お!全員に売れるぞ、大きなマーケットだ、と思うのか。さらに調査を進め、24cmのひとがマジョリティだからまずは24cmから売っていこう、と思うのか。ネガティブなのか、ポジティブなのか、ポジティブで更には行動的・実践的なのか。

この事例だと、ポジティブ、あるいはポジティブで更には行動的・実践的がボクの感覚で、仲間にもそういて欲しいと思う。

コップの水の事例だと、それ以外の情報が無い前提で、そんなのはどちらでも良い、と思う。だから、ボクはどっちかを決められない。

現実世界では、通常はもっと情報がある。だから、自分の感覚が明確になり、ポジションを容易にはれる。

逆に、現実世界でも、いろんな情報があっても、自分の感覚が明確にならず、仲間の感覚・意見も割れることもある。

組織としては、感覚が違う仲間がバランス良く存在することがベターアイデアなのか。いやいや、感覚は同じ仲間が集い、ただ、意図的に自分たちと違うポジションが本当にありえないのかの、”あえて議論”ができるオプション思考、反対ウェルカム思考ができればよいのか。いずれか、あるいは両方があると良いのか。。。

ボクは前者が好きです。組織としては、感覚が違う仲間がバランス良く存在することがベターアイデアだと思います。経営者の話す内容がグレーで、誇張しすぎで、ボクには違和感があり、しゃべるマインドを喪失してしまったけど、それでも、それでも、それで良いと思う。そのお陰で最後に良い話ができて、その取引先と仲良くなれた気がするし。このボクの嫌いな違和感ある感覚のひとが、違うシーンでは良い意見を発信するかもだし、仲間を強く突き動かすかもだし。

いろんな感覚の仲間でつくる組織が好きです。同じ感覚の仲間ばかりの組織で、自分達とは異なる感覚・意見を”あえて議論”しよう、と思い立つことはできるけど、”そうは思えない人達が、そう思ったつもり”で議論しても、”本当はそうは思えていない”から、深い議論ができない、気がする。

でも、自分と異なる感覚のひとと一緒は、心地よく無いですね。だけど、組織には、これを多様性と呼ぶとしたら、多様性が必要な気がします。だから、職場は心地良い場所ではなくなり、お家の方が心地良く好きになりますね。友達と一緒の方が心地良く、楽しく、好きですよね。

でも、自分と異なることを受け入れられ、価値を認められ、そこから学びや楽しさを得られると、職場ももっと楽しくなりそうです。そういう思いになれるように、リーダーが教育し、導くべきかと思います。なぜか自分とは距離のある、多様、異質、違和感が、楽しく感じる。やさしいリーダーの腕の見せどころですね。

「”だれもが、前にすすむ理由をひつようとしている” 馬がいった。”きみたちの理由は?” ”おまえらさんにんだ” とキツネ。”かえるうちをみつめるため” とぼく。”オイラは、ケーキ” とモグラ」(「ぼくモグラキツネ馬」より)

えええ、ケーキ? うーん、多様、異質、違和感だ。

「”コップに水がはんぶんしか入っていないとおもう?それともはんぶんも入っているとおもう?” モグラにきかれて ぼくはこたえた。”コップがあるってことが、うれしい”」(「ぼくモグラキツネ馬」より)

わぁ、これはポジティブを超えるポジティブですね。

「”まだまださきはながそうだね” ぼくがためいきをつくと、馬がいった。”ああ、でもみてごらん、わたしたちはこんなにとおくまできた”」(「ぼくモグラキツネ馬」より)

わぁ、「まだまだ先は長い」と思うのか「もうすぐ」と思うのか。イヤイヤ、見方を変えて、「こんなに遠くまで来た」ことを評価するなんて、この感覚、素敵ですね。

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