見出し画像

ロジカルが非ロジカル。良い結果は悪い結果。どうしよう?(素敵なリーダーになりたい編_v4-59)

会社で、既存客TOP30に話を聞く取組みを実施した。自社のサービスをどうして購入する意志決定をしたのか、その時の課題認識は何だったのか、使ってみて何が満足・好評価なのか、改善点は何か、などをヒアリングし、商品開発や営業、マーケティングに有効活用しよう、という取組み。ありがちな取組みだ。

で、役員からはこんな意見:

役員A:仮説通りだ。以前からそう思っていたけど、確認できた、やはりABCが有効なんだよ!
役員B:TOP30に聞いたけど、最も多い共通意見はXYZで、20社ほどからあった。30分の20は67%。ほぼ7割だからXYZが答えだ。
役員C:何も示唆は得られていない。XYZの意見も確かにあったけどマジョリティと言えるのか。67%では多いようで、不十分のよう。それ以外にもたくさんの意見がある。ABCは検証されたとは私は思えない。なんだか、みんながそれぞれバラついているようで正直よくわからない。。。

そんな議論になっていた。。。

何らかの課題を解決したいならば、仮説思考で原因や対策を棚卸しして、これかなと当りを付けて、それを検証するアプローチが効率的。そして、その過程で、必要に応じて仮説を変更できる柔軟性も必要。

まずは、仮説を立てて、ターゲットとなる対象にヒアリングをする。一次情報、二次情報を探す、分析するなどして、検証していく。ロジカルに仮説を検証していく。仮説を立てずに闇雲にヒアリングしても非効率。仮説が間違っていることもあるが、仮説を立てる方が、やり直しがあっても効率的。これが一般的な課題解決の手法かなと。

でも、ふと思う。これって、役員A、B、Cのように「個人差」がでる、と。

例えば、ある男性がモテない状況を打破したいとして、ターゲット層(その男性のタイプに合致するひと)に聞いてみる。答えは「何を考えているのかわからないから疲れる、一緒にいてリラックスできない」、と言われたとする。

同じことを言う女性が2人いたら、それでなるほど!それが原因なのか、と思うかもしれない。一方で、5人、6人、あるいはそれ以上の人が同じことを言わないと納得できないかもしれない。定量調査をしても、65%が仮説をサポートする結果になったことで、納得するひともいれば、65%では、ほぼ半数じゃないか、それでは仮説をサポートしていない、というひともいる。

どっちがロジカルなのか。。。

つまり、ロジカルにも個人差がでる。ロジカルに考えれば答えが自ずと出る、なんてことはない。直感も、感性も、センスも、非ロジカルも、そしてロジカルも、結局は個人差がでる。そんな気がする。

ボクの中での笑い話がある。ある一定の著名さがある経営コンサルタントが、クライアントのある課題を解決するための手法として、「アプローチA」を提案した。理由の一部が、他社のベンチマークで、優良企業3社がアプローチAを採用しているから、だ。で、どうして優良企業3社がこのアプローチAを採用していることを知っているかというと、彼の同僚コンサルタント達の前職がこの優良企業3社のうちの2社で、過去に話しを聞いたことがあるからだ。残り1社はちゃんと調べた。で、ま、3社がアプローチAに価値を置き、成功しているなら、ま、参考にしてもいいかな、と思う。

で、オチは、同僚のコンサルタント達から聞いたと思っているその話は、その人の記憶違いなのか、同僚のコンサルタントに確認すると自分の前職ではそのアプローチAを採用していたなんて知らない、というのだ。同僚が忘れているのか、その人が同僚からそういう話を聞いたような記憶違いをしていて、いつの間にか事実と自分が思ってしまったのか。。。

「イチロー選手の朝ご飯は常にカレー」話や、「アリをグループ分けすると常に8割が働き者になり、2割が怠け者になる」話と同じ。事実ではないが、事実と勘違い。自分では気づかない勘違い。事実誤認。

自分はロジカルではない。あるいは、気づけない誤解・固定観念・バイアスで非ロジカルになっている、と注意しないといけない。どの程度の量・質で、仮説を検証できたと考えるかは個人差がある。だから、チームとして議論する価値があるのだが、つまり、ロジカルは万能ではないし、個人差があるし、勘違いもある。

個々の人間が思うロジカルには常に危うさがある。だから、そう思いながら、気をつけてロジカルを極めるように努めるべき、だ。

しかし、一方で、事業活動は制限の中での割り切りだ。仮説を検証する時間も、かけられるコストも制限される。だから、その中で、思い込みなのか、固定観念なのか、誤解なのか、バイアスなのかわからないが、これが答えだと思い込めるチカラが無いと、次の行動に移せない。

行動すれば、正解か間違いがが一定のレベルで返ってくる。ロジカルであることに固執し過ぎると、検証仕切れず、答えがでず、ノーアクションに留まる可能性がある。

しかし、一方で、えいやと、ガッツフィーリングで行動を起こすことが常に正しいとも言えない。ノーアクションでうだうだ留まっていることが結果的には功を奏すことだってありうる。

ロジカルを貫くべきか、多少のロジカルと多少の思い込みでバランスを取るのか、どうせロジカルは不十分でしかないのなら、もはや直感で行くべきか。これらのどれを採用するかについてすら、ロジカルに判断することができないから、これこそも直感で行くしかない。。。

だから、結局「結果」なんだよ。「結論」がすべてだよ、となるのだと思う。意志決定のためにどんな調査・分析をしようとも、どんな意志決定をしようとも、その後にどんなプロセスを経ようとも、それが超ロジカルだろうと、曖昧ロジカルだろうと、非ロジカルな直感だろうと、それらは無意識に固定観念やバイアス、勘違いに汚染されているわけで、結論以外を評価しようがない、からだ。「結論がすべて。結果がすべて」の背景かと。

でも、さらに、悩ましいのは、その結果・結論ですら、今の正解が、ちょっと後に悩ましい問題を引き起こすかもしれない。人生も、ビジネスも万事塞翁が馬だからだ。

で、こんな「無意味」なことをうだうだ考えていると、何も答えが無い、ということだけが明らかになる。だから、一つ一つの「今」を一生懸命になるしかない、との考えに至る。ロジカルであろうと、なかろうと、行動しようがしまいが、結論が出れば良いようで、その結論もぬか喜びかもしれない。

だから、何も気にせず、やるだけ。結果も気にせず、意志決定するプロセスも気にせず、自分がロジカルなのかどうかも気にせず、今、やろうと思ったこと、指示でやらなければいけないこと、を「自分なりの一生懸命」で。

「素敵なリーダー」: 考えることは大切のようで、考えないで行動することも大切。リーダーであるならば、仲間の気持ち、雰囲気を察して、それらを柔軟に使うべきかな。みんな、ちょっとここは立ち止まろう。小休止。明日また考えてみよう。ま、明日考えてもわかるかわからないけどね。あるいは、みんな、ここはよくわからないけど、とにかくやってみようよ。結果はどうなるかわからないけど。冒険冒険!!!

ということで、都度都度の、あの手この手、かしらね。でも、それが身勝手ではなく利他的で、仲間想いがベースにあり、自分に正直で偽り・飾り気がなく、この会社のビジョンに近づきたいという正直な、素直な気持ちであれば、仲間は理解してくれるはず。それでいいような。それが素敵なような。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?