個性の時代に集団を率いる秘訣は「やさしさ」
弱肉強食の自然界で、牛や馬、鹿、豚、羊、ウサギのような「弱い」、食べられるだけの(?)哺乳類が、なぜ進化して来たのだろう? 特徴が際立っていない。と、寒い雨の日曜日、ぼぉーっとナショナルジオグラフィックで動物の動画を見て思う。
まるで、トラやクマ、オオカミ、ワシ、蛇などが存続できるよう、ご飯として存在してくれているかのよう。「食べられる以上の子供を産むよう進化したから大丈夫よ!」とやさしい。気の遠くなる偶然の積み重ねで、あえておとなしく鈍感になる、そんな自然選択なのか。草花や昆虫を食べて、その異常繁殖を防いでくれているのか。。。
そして同時に、人間の家畜にもなってしまう。
< 人間に家畜される条件 >
1.人間を怖からない遺伝子 2.おとなしく攻撃的でなく言うことを聞く
3.群れで行動 4.子どもをたくさん産む、あるいは、短サイクルで産む
5.成長が早い 6.寿命が短くない 7.草食/雑食で食費かからず
8.サイズ的に大き過ぎず・小さ過ぎず
最近はウサギはあまり食べませんが、牛、馬、豚、羊などが、上述のように人間にとって都合の良い様相に当初から進化し存在していたなんてありがたい偶然なのですかね。「どうぞ私を食べてね」って。
アフリカのワニの河を何気なく渡るシマウマやガゼルも、「どうぞ私を食べてね」と言わんばかり。ちなみに、シマウマは攻撃的で人間に懐かないので家畜できない。が、将来リスクを気にせずワニの河を平気で渡る。個体としては大量に数(子孫)がいるから自分がワニに捕まっても種(自分の遺伝子)としては問題なし、という進化。ある意味、釈迦のようだ。個人の欲なし。超越している。。。
ところで、現代の人間社会は真逆。「個性」を大切にする時代。自分は自分で良いよ。男は/女はこうあるべき!なんて論理もありえない。LGBTQであっても、肌が何色であっても、外見も、考え方も、個性が大切。ひとりひとり、それぞれ。
人間は太古の時代から、戦いを率いて、家畜を実現し、進化論を悪用し、集団を巧みに強制することがリーダーの役割と認識してきた。釈迦のごとき部下のやさしさを悪用していた。リーダーは社員に、人と家畜、シマウマの個体と種の関係を要求していた。しかし、現代には通用しない。言うことを何でも聞く家畜として社員を奴隷的に扱うことは許されない。会社のために犠牲にさせるシマウマ思想もダメ。殴る/クズ呼ばわり/強制飲みもOUT。今や存在すらしないが灰皿を投げるもNG。
より良い社会へと目覚ましい思想の進歩が起きている。
しかし、だからと言って、競争環境がゆるい訳ではない。引き続き、皆でワニの河を渡るべき場面はある。日本は人口が増えず、労働人口は激減。経済も成長せず。お財布は30年間も寒い状態。増えないパイの奪い合い。だから、辛くても皆でがんばる時、残業し休みの日でもがんばる時、は続く。
個性が大切な社会、集団思想で無意識に誰もが付いて来ることは期待できない。リーダーの人間的魅力が「要求」される。今度は「要求」されるのがリーダー側なのだ。強制されないが一緒にいたい、この人が言うならよしやるか。そんな魅力。権威や権力、上下関係では動かせない現代に、人格・知性をベースとした尊敬され慕われる人柄リーダーシップ。
しかし、リーダーには厄介な時代だ。リーダーになんてなりたくない、という若者の気持ちもわかる。自分達が付いて行かないのだから、自分がリーダーになっても誰も付いて来ないと察する。。。
どうすれば、一緒にわくわく歩めるのだろう? ビジョン/目標を皆でめざして? まさに個性の時代だから、自分なりのリーダー像を考え、皆に伝え、自ら行動するしかない、ですかね。。。
ただ、ひとつ言えるのは、総合的にはリーダー側が、”今度”は、「やさしくあるべき」ということ。そして、やさしくあるには当然「強い精神力が必要」ということ。「リーダーはやさしくなければリーダーではない。リーダーは強くなければ生き抜けない」。やさしく強いひとと一緒に歩みたいものですから。
(読んで頂きありがとうございます。
(最近出会った素敵な気づきフレーズv7_37)
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