見出し画像

<ボクラノインタビューvol.1:自分軸→人への貢献へ。誰もが人生を自慢できる世の中を作りたい。>

<この人のキャリアストーリーのポイント>
#母子家庭   #結果主義   #気持ちの変化   #過程を楽しむ   #らしさへの想い

『誰もが自分の人生を自慢できる世の中を創る』をコンセプトに活動するボクラノ。本日は活動のメンバー紹介の第1段として、代表の梶川にインタビューを実施しました。

<略歴>
1995年、愛知県名古屋市生まれ。
愛知県の福祉大学を卒業の後、株式会社マイナビに新卒で入社。
中途採用を支援する転職情報事業部にて活躍した後、
フリーランス人材活用の新規事業メンバーに抜擢される。
2021年、ボクラノを立ち上げ、キャリア支援の活動を始めると同時に、
自身も外資系企業へと転職をし、現在に至る。

<Q.1:幼少期はどんな環境で育ったんですか?>


(梶川)僕は母子家庭で育ちまして。
5歳の時に両親が離婚して、祖父母と母に育てられました。
祖父・離婚をした父も経営者の家庭で。裕福な家庭ではなかったんですけど、成り上がりのタイプだったんです。

幼少期の頃から、祖父や父の教えは自分の根底にあったと思います。
『自分の人生は自分で切り開く』という価値観を教えられました。
子供に対しては厳しすぎるんじゃないかなと当時から思ってましたけど(笑)

――確かに子供に対しては厳しい価値観のように思えますね…。(笑)

<Q.2:その価値観が影響したエピソードを教えてください>


(梶川)その教えがあったので、
自分で掴み取る、勝ち抜いて手に入れることが大切だと思って。
当時から僕にとってはそれが当たり前。
勝ち負けとか、結果重視で幼少ながら見ていたと思います。

サッカーのクラブチームに所属していたんですけど、
「結果を出したい!」と全国出場するほどのチームに所属して、
その中でもキープレイヤーでした。
ただ結果重視のあまり、正直チームから浮いてしまった時期もありましたね。

幼少の僕は、きっと誰かに認めてもらいたかった。
他の部員の家庭とか、羨ましいなと…。
家族が一緒にいる姿・暖かい家庭に対する憧れがあって、
その反発として部活動で結果を残そうとしていたんだと思います。

<Q3:学生時代はどんな人でしたか>


(梶川)実は全国に出場した経歴もあるサッカーは中学で辞めたんです。
大好きだったコーチが異動したので、誘われてついていったものの、
そのチームがあまり強くないこともあって。

そんな時に水泳をやらないかと誘われて、
中学2年生から本気で打ち込んで、高校3年生まで続けました。
最終的には、東海大会・県選抜に選ばれて実績を残すことができました。

この頃には、誰かに認めてもらいたいという幼少の頃から少し考えが変わって、自分の合格ラインを自分で決める、自分で自分を満たしてあげること。
その大切さを知っていきました。

<Q4:その時期にとくに印象に残ったことを教えてください>


(梶川)話の方向性は変わるんですけど、名古屋で有名になりました…(笑)
高校1年生の当時、彼女に振られたのを見返したい。
愛知の高校の同世代の中で、有名になりたいと思って。(笑)

短絡的なんですけど、有名でクリーンなイメージを考えた時に、ジャニーズが思い浮かんで。
名古屋の高校の中でイケてる?グループを作ろうと思い立ったんです。
当時流行していたmixiとかで各校のイケメンに声を駆け回って、
最終的に9人程度、集まって、ブログの投稿や企画を発信をしていました。
今でいうyoutuberの先駆けみたいなものでしたね…(笑)

結果的にはその彼女の耳にも届いて、良い評価は得られたんですけど、
あくまでそれはその活動を始めたきっかけに過ぎなくて。

そこでできた友人との繋がりが、今の僕にとっては宝物だと感じています。
思い立ったら行動をして、形にしていく。
過程を楽しむこと、道中で得られるものも大切なんだと、
真に実感する機会になったと思っています。

<Q4:人生で大きな転機となったエピソードがあれば教えてください!>


高校2年生頃から周囲が進路を考える時期に差し掛かったんですけど、
僕自身は大学に行く意味はないと思っていたんです。
ただ、祖父母や母親からの声もあって、父が事業を起こして、母も働いている業界。介護・福祉の大学へ入学しました。

福祉大学の周囲の人たちがこれまでの僕にない価値観を持っていて、
衝撃的で。

手話サークル・ボランティアサークルに入っていたんですけど、
人のための動くという価値観が主軸の場所。
高齢者や障がいを持つ方に対する暖かさ・ホスピタリティがあって。

介護の業界や、その当時者である方も含めて、
『汚い・痛い』に対する価値観、
一般的には可哀そうとなりがちだと思います。
過度な優しさや腫物を触るような扱いをされたり。

ただその環境では、
『ハンディもその人の"らしさ"、個性として捉えること』
を大事にしていたんです。そのうえで最たる友人のように接していく。
みんなで助けて繋がり、世界観を大事にすること。

僕はこれまで自分が実績を持つことに対して執着をしていた。
自分にしか矢印が向いていなかったと痛切に思ったんです。

もちろん自分の実績も大事なんですけど、
人に対して自分が何ができるか、人を主軸に考えることも大切にしたい。
自分が満たされている箇所は、人に何かを還元したいと価値観が変わりました。

<Q.5:これまでのキャリア観を教えてください!>


(梶川)先述の通り、高校までの自分軸の僕と、
大学に入って、他の人の幸せ・貢献を考えるようになった僕には大きなギャップがある。それはとても良い変化だと思って。

誰かとの出会い、言葉で人は変わっていく。

そこに価値を感じたし、
自分が祖父母や母、友人たち与えてもらったように
人に対して、人生の分岐点・選択肢を作ることに対して魅力を感じました。

そんな中でマイナビは人材業界の中でも、自分の個性が活かせるところ、
行動によって切り開く・可能性を大切にすることを重視していたので、
マッチする環境だと思って入社しました。

<株式会社マイナビでの実績>
・2019年全社顕彰表彰実績(新人賞)
・2020年全社顕彰表彰実績(プレイヤー賞)
・計200社以上の企業様の採用成功実績
・計100人以上のキャリア支援


その後、一定マイナビという環境では、セールスでやり切った実感があったので、さらなる自己研鑽・貢献をする力をつけたい想いから外資系企業のセールスへと転職しました。

そして今、キャリア支援という道で、
『誰もが自分の人生を自慢できる世の中』を叶えるために、
ボクラノを立ち上げました。

<Q.6:ボクラノで叶えたい未来は何ですか?>


自分の価値観を変えるような出会いを作ってくれた祖父母や母、
これまでの人生の過程で出会った仲間たち。
僕は人に支えてもらってきました。
そして僕もそういった
価値観が変わるような"機会"を提供できる人であり続けたい。

今は情報を手に入れたいと思えば簡単に取得ができる世の中です。
一方で、その中から正しい情報を掴み取る、自分にとってより良い情報選択をするためには、確固たる自分の軸やらしさを認識することが大切です。

ボクラノのキャリア支援を通して、
その人の価値観・らしさをもっと伸ばしていきたい。
そして最たる友人のように伴走し、
自分の人生をもっと自慢できる人を増やしたい。
自分らしさ・価値観をみんなが大切にできる、そういう世界を創りたい。

それを本気で叶えたいと思います。

<Q.7:ここまで読んでくれた方に対してメッセージをお願いします!>


自分本位、欲求を目的にする人は多いし、もともと僕もそうでした。
それは過去の家庭環境や、価値観に起因しています。

でも『誰かが幸せになるために全力を尽くす』
その強烈な価値観の変化があったからこそ、
人・社会貢献をもとにした価値提供をしていきたい。

ボクラノを通して、
自分が関わる人達がどうなりたいかを大切に支援していきたい。

『誰もが自分の人生を自慢できる世の中へ』

僕たちはそこに対して全力で向き合いたいと思っているので、
キャリアにお悩みの方は、ぜひご相談をください…!

――インタビューをありがとうございました!

ボクラノへのキャリア相談はこちらから


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?