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社会を変えるマイノリティ

リスクには三つのルールがある。
① 人間は本来、リスク回避本能を有している。
② 人間にリスクを取らせるにはそれなりのリターンが必要
③ リスクとリターンのバランスは需要と供給によって変化する
リスクを取る人間が少なければリスクを取る人は有利になる。

リスクを取る担い手がいないと、アメリカの金融危機のようになる。
人々が住宅バブルに興じてリターンばかり追求し、いざバブルが崩壊したときにはリスクを取る人がいなくなっていた。

身銭を切るとは何かがうまくいかなかった場合に相応の対価を支払うという事だ。
身銭を切ることで負の影響を受けるかもしれないがそこから学んだり、新たな発見をすることが出来る。そうして得る知識は推論を通じて得られる知識よりも優れたものだ。

自分の範疇の外の人々に対して悪影響を与える人々を干渉屋と呼ぶ。
干渉家や自分は何のリスクも負わずに意思決定をし、間違っていたとしても損害を被ることはない。そのツケを払わされるのは罪のない人々だ。
一方、過去の貴族らはリスクを背負っていた。戦いの最前線で命を落とした人もいた。
彼らは名声と引き換えにリスクを負うからこそ貴族足りえたのだ。
今の政治家は安全圏から意思決定をし、失敗しても責任を取ることはない。
リスクとリターンの規則を守っていない。
ここから得られる原理原則はリスクを負わぬものは意思決定に関わるべからず、である。

勇気という形の身銭を切っている非妥協的な少数派が一定の割合に達すると、多数派も少数派の原理に従わなくてはならなくなる。
少数派原理は全ての非対称性の生みの親だ。すべての人がその集団の選好に従わなくてはならなくなる。
ほんの一握りの非妥協的な人々はリスクという身銭を切ることでそうでない人々に影響を与えている。特に現代のインターネット社会では彼らの声に影響力が増した。インターネットによる能力の拡張性がマイノリティの社会形成に多大な貢献をしている。
マイノリティはやたらと声がでかいと我々は感じがちであるが、彼らはリスクを取って社会を変えているのだから当然の結果だ。
実名で社会活動を行い、デモに参加し、政治家に直接訴えかける、最新のSNSで自分の思想を発信するなどこれだけやっているのだ。
もしこうした彼らの行為が鬱陶しいと感じるのならばあなたも身銭を切らなければいけない。非妥協的な少数派はこのネット社会で身銭を切ることにより自分たちの影響力を数百倍にも拡大しているのだから。
マイノリティによるマジョリティに対する意思の強制も始まっている。
戦時中の言論統制さながらだ。言葉狩りは当たり前で、気に食わなければすぐに差別と糾弾する。
誰にも止められなくなる前に暴走するこの時代を止めなければならない。

あなたがリスクを取り最前線で活動していればあなたの物語もでき民衆は感動するだろう。近年、人々が商品を購買する理由が商品の機能性ではなく、そのストーリーにあるという。だから素晴らしいストーリーを持った人物が商品を売れば内容に関わらず売れる。
芸能人やユーチューバーが行うブランド販売はそのよい例だ。
そのためには知名度や影響力が大前提となるため、これからさらに広がる格差社会に備えるためには自分の名前を売っていかなければならない。
一部の超人気インフルエンサーや特殊な技能を持った人たちの報酬がそうではない人たちの何百倍、何千倍に広がる未来もそう遠くはないように思う。

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