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【小説】七分の一の落書き

文芸部だった高校時代に書いた三題噺を一部加筆修正

お題:鬼、コスモス、ピアノ

***



地元の高校を何となく志望校にしたのが、そういえばちょうど一年前だ。いつの間にか高校最初の夏休みが終わっていた。

もったいなかったかなあ、なんて思ってみてもしっくりこない。でも何かしたほうがよかったんだろうな、とは思う。一応、青春真っ盛り、なはずの高校生活。七分の一がもう終わったんだよ、って言われても何だか微妙だ。



七分の一って何? 



「十四分の一」の二倍、「八分の一」より大きくて、「六分の一」より小さい数。割り切れない、永遠に    を繰り返す数字。つまりは循環小数。



今日から勉強。切り替えていこう、なんて張り切る先生が、どこか遠い。



解ってるよ、あたしだってそれくらい。

聞き流していた担任の話が、いつの間にか終わりかけていた。休み明けのけだるさが、教室中に溢れている気がする。ダラダラと始まって、何となく終わっていく。


毎日、毎日。もちろん今日も。どうせ明日も、また同じように。


生まれ変わったら何になりたい?ずっと前、そんな風に聞かれたことがあったけど、自分が何て答えたかなんて思い出せるわけがない。だけど今の自分には、あの頃みたいに、これだ、って言えるものがない。

ちらりと隣の席を見た。話をしたこともない男子が、熱心に黒板を写している。自分の茶色がかった髪が恨めしくなるくらい、きれいな黒髪をしていた。イメージは、ピアノブラック。ピアノの側面の、黒。



その日の帰り際に声を掛けてきたのも、そいつだったような気がする。これ、宮沢さんも提出するの? と唐突に声がして、あたしは初めて正面からそいつの顔を見た。

昔は悪ガキだったんだろうな、なんて思ってしまったけど、流石にそれは言わなかった。ただ、何?と素っ気なく返事をする。

感じ悪いんだろうな、あたし。そう思うけど、この無表情は変わらない。


 ほら、さっき配られた、これ。


そう言って彼はあたしにプリントを差し出す。いや、差し出されても、二枚もいらないし。そう思ってプリントを見ると、氏名欄はもう埋まっていた。織井、までは読めるけど、下の名前はうまく読めない。

織井、という名らしい彼は、やっぱりプリントを差し出したままだ。なんでこんな時に限ってあたしなんだろう。


 出さないよ、あたしは。


できるだけ短く、でも一応は返事をする。彼はそっか、と言ってプリントを仕舞った。久しぶりに人と話したように思うのは、たぶん気のせいだ。



ちょっと気が向いて、教室を出ていく彼の髪にウサギの耳の落書きをした。もちろん、色はピンク。



**



学校って結構疲れる、って今更ながら気付いた。土曜日ってもっと開放的じゃなかったっけ。今は、ただのだるい日にしか思えない。土曜日に学校があることなんて、夏休みの間にすっかり忘れていた。朝起きたらリビングのテーブルの上に弁当が置かれていて、そこでやっと思い出した。思い出したくなかったけど。


ただ、土曜日は午前中だけなんだけどね、本当は。弁当はいらないんだ。
 

どうせ今から走って行っても、一時間目には絶対間に合わない。でもこのまま休んでしまうのも気が引けて、空っぽのリュックに弁当だけ突っこんで家を出た。




 

黒いスカートが、暑い。






休み時間になったのを見計らって、騒がしい教室に滑り込む。外とは違う熱気に、やっぱり休めばよかった、と少し後悔した。

三時間目の国語だけ受けて、補習は終わった。弁当をどうしようか悩んでしまう。朝ご飯を抜いたせいで食欲はあるけど、運動部に交じって弁当を広げるのも何だか嫌だ。


でも結局、教室の後ろの方に座って弁当を食べる。午後は何をしようか、ぼんやり教室を眺めながら考えてみたりする。でも、はっきり言って特に用事はない。だけどこのまま帰ったら、せっかく制服を着た朝の自分が何だか報われない。





学校を出たけど行く当てもなく、だらだらと、いつの間にか駅まで来ていた。駅前のベンチが、一つだけ街路樹の影になっている。何となくそこに座って、何となく携帯を開く。


 宮沢さん、こんなとこで電車待ち?


人の気配がして顔を上げると、どこかで見た顔がそう言った。織井、って名前だっけ。思い出すのにしばらくかかったけど、覚えてはいた。


 違う、別に待ってるんじゃない。


そう言うと、へえ、とだけ返してきた。頭の上には、相変わらずあたしの落書きが残っている。おかしくなって、少し笑ってしまう。


 え、何?


彼はほこりでも付いていると思ったのか、髪をぐしゃぐしゃとかき回した。でも、そんなんじゃあたしの落書きは消えない。残念だけど。


 自分の目で見てみたら? 


あたしは笑いを堪えながら言う。ビルのガラスを覗き込んで確認した彼が、え? と驚いて慌てている。久しぶりに声を上げて笑った。



彼がどうしてもと言うから、仕方なく、消してあげると約束する。自分でもなかなか上手く描けたと思うんだけど。

近くのコンビニでジュースを奢ってもらって、近くの公園のベンチに座った。


 早くどうにかしてほしいんだけど、これ。


彼はそう言って、そわそわと周囲を見渡した。離れたところで小学生が鬼ごっこをしている。こんなに遠くからじゃ、誰が鬼かはわからない。そこまで人目を気にしなくてもいいのに。


 案外似合ってるよ。


そう言うと彼は、俺が良くない、ってあたしを急かしてくる。わかったわかった。そう言って、あたしは名残惜しいその落書きを消した。


帰り際、彼がまた訊いてきた。
 やっぱり、宮沢さんもあのプリント、出すんじゃないの?


彼はそう言うけど、あたしは絶対に出さない。出すのが面倒だし、その後もいろいろと面倒くさい。正直出さなくても何も言われないし。


 出さないよ、あんな面倒なやつ。


彼は、そっか、と言って笑う。変な奴。
 そういえば、あんたは何ができるの。


そいつはちょっと首をかしげる。

 ごめん、何て言った? うまく聞こえなかった。


帰宅ラッシュってやつ、だろうか。急に人が押し寄せてきて、次々駅の階段を下りていく。改札がブラックホールみたいに思えてきた。


 何でもない。


あたしはそれだけ言って駅を離れる。雨が降らない限り、電車は使わないことにしている。生ぬるい暑さを呪った。


**


定期テストが返された日の放課後、また声を掛けられた。そんなとこまで覚えてるなんて、どんだけ暇なんだ、あたし。思い出し笑いするなよ、なんて言うから、あのよく描けた落書きを思い出して笑ってしまった。これは間違いなくあいつのせいだ。
まあ、言われなくても思い出してたと思うけど。結構似合ってたと思うよ、あの耳。


 話があるんだけど。


あいつはそう言って、テストをかばんに突っ込む。盗み見た点数はあたしよりも三点高かった。ちょっと悔しい、かも。


 じゃあ奢って。


そう言いながら、あたしは次に何を落書きしてやろうかと企む。

駅前のファストフード店に入った。二階の窓際に座ったのは、いつもの癖、って訳じゃない。気分、かな、たぶん。夏休みに友達と来たきりだし。


あいつのポテトをもらって、それで? と訊いてみたのは、その方が面白い気がしたからだ。


 別に、特に用事はないけど。
 は? なにそれ。


あいつはそこで水滴の付いたグラスを手に取った。格好つけてコーヒーとか飲んでないところは、ちょっと評価してあげてもいい。ちなみにあたしは、アイスコーヒーにミルクをたっぷり入れて飲んでる。ついでに言うなら、あいつはコーラだ。


 じゃああたし、帰っていいわけ。


 



 いや、そういうんじゃなくて。







歯切れの悪い奴は嫌いだ、七分の一みたいに。せめて三分の一くらいにしてほしい。あれは三が永遠に続くから、まあ許してあげてもいい。




あいつはちらっと窓の外を見る。


 落書き、どうやってるのかなって。





 ふうん。で?
あたしはポテトをつまみながらそう訊き返す。


 で、って言われても困るけど。
一番長いのを取って、あいつはほんの少しかじった。


 そっちはどうなの?
 そっち? 




 そう。あんたも何かあるんでしょ、あたしの落書きが見えるんだったら。


 ああ、そういうことか。



甘ったるいコーヒーを吸い込む。美味しいかどうかは別として、今は冷たいのが何よりいい。


 俺のは、そんなに面白いやつじゃないよ。

 そういうのを訊いてるんじゃない。


あいつは美味しそうにコーラを飲む。その中で氷がジャラジャラと鳴った。いつの間にそんなに飲んだのか、不思議だ。


 歩けるんだ、水の上。
あいつは空っぽのコーラを置きながら答える。


 え?


ちょっと得意そうに、でもでしゃばりたくない、みたいな顔で、あいつは繰り返す。
 水の上を歩けるんだ。そんなに上手くないけど。




悔しいけど、ちょっと羨ましいタイプのやつだ。あたしのより、ずっといい。


 それで、宮沢さんは? 何でも描けるの?


 別に。何でもって訳じゃない。
あたしはそう言ってまたコーヒーを飲む。いつも思うけど、ストローは黒い方が、何だかいい。




 何なら描けるの。
 あいつがポテトを一本取って、残りをこっちへスライドする。短いのがあと、二本。



 それは、秘密。
これはちょっとした意地悪だったって、認めてもいい。認めるだけ、だけど。




あいつはもう少し聞き出したかったみたいだ。でももうポテトもないし、コーヒーも飲み終わったから、今日はここまで、かな。

ごちそうさま。そう言って席を立つ。あいつがトレイを返却口に持っていくのを見て、階段を下りた。

 


奢ってもらう、って何だか不思議な感じだ。今度はポテト代くらい、あたしが出してあげてもいい。



今度はあいつの顔に、ひげを書いて遊んでやろう。そう思いながら駅の前を通った。帰宅ラッシュはまだ少し先だ。


道路沿いのプランターにコスモスが揺れていた。





***

最後まで読んでくださりありがとうございます。
今はあまり小説書けないのですが、当時はこんなのを書いていました。プロットを丁寧に書く人、結末だけ決めてから書く人、登場人物像が確立してから書き始める人、色々いると思うのですが、僕はある一つのシーンがふわっと思い浮かんで、それを書くために物語を始めるタイプです。

この小説では、コスモスが風に揺れるシーンがあって、それを書こうとするうちに、多分宮沢さんは落書きをするに至ったのだと思います。よく思いついたなと振り返って思います。僕の中で少し特別な作品です。

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最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。