【短編小説】日々をはぐ

*注意
嫌がらせの描写があります。苦手な方はご注意ください。


日々をはぐ




片側一車線、住宅街の隙間を縫う渋滞回避の抜け道として比較的通行のある道から一本、住民しか使わない道に入ると一気に人気がなくなる。まして日暮れの早さを実感し始めた部活終わりの時間帯なんて、まだ通勤の車が帰り着く時間でもなく、窓もカーテンも閉め切った住宅のそばで、小学生がボール遊びをしているくらいだった。

一見、仲の良い中学生のグループ。部活帰り、流れ解散のように1人づつ抜けていく真面目なメンバー。

最後に残った4人の中に、俺がいる。
5人目が「じゃあ」と玄関前の扉をかちゃりと開いたのを見送って、その先の住宅街の角をひとつ。ふたつ。
Y字路の片方は行き止まり。片方は坂の上の5丁目へ続く裏道。
奴らはいつも、ここで立ち止まる。

お前マジでナメてるよな。
え、ねえ聞こえてる?
そんなんだからノロいんだよ。今日もおんなじことで"さっきー"に呼ばれてたのマジ笑ったわ。

ただ黙ってそれを聞き流す。袖を掴まれても肩を押されても、水面に浮かぶ"浮き"になったつもりで。のらり。くらり。部活終わりで熱かった体も次第に冷めていく。かと言って、リュックの中のマフラーを取り出すことを許してくれそうでもない。
正直無視して帰ってもいいけど、前回それで体操服を人質に取られ、それすら無視して振り切ったら、案の定捨てられたようだった。流石に何着も予備はないし、無くしたと誤魔化すには無理が生じる。教科書の詰まったリュックはどうにか死守したとして、この前買ってもらったばかりの練習着が入ったナップザックも奪われたくはなかった。

奴らは周到に、路の先に人影が見えると、目に見えて怯えてちょっかいを出してこなくなる。一瞬だけ動揺する奴らの目を見るのが、最近の小さな気休めだった。
かと言って、実際こちらのやりとりが聞こえるほどの距離まで近づいてくる人は稀だった。そういう横槍が入ると、割とすぐ帰してくれるから少しだけ期待してしまう。

今日もまた、新卒のお姉さんが帰ってきたようだった。残念ながら、この人はY字路より30メートルほど手前に家がある。お姉さんが学校指定のジャージを着て、地域のゴミ掃除に参加していた頃から、なんとなく知っている。

面識がある、と言えなくもない、でも知らない人。近くに住んでいるというだけの赤の他人。

お姉さんはいつも通り、僕らの人影に気がついたのか、一層俯いて、黙ってポストを確認し、玄関のドアを開ける。
知らないふり?
それとも、こちらの様子には気がついていない?

ガチャン、とお姉さん家の玄関の閉まる音がして、奴らはホッとしたようにまた俺にニヤニヤした笑みを向ける。

今日はY字の行き止まりの先に住むおばあちゃんが偶然買い物から帰ってきた。背の曲がったおばあちゃんが、のろのろと押し車?を押して、もたもたと玄関ポーチの上に車を上げようとする。どうせ聞こえてなさそうな人ではあるけれど、奴らはしばらく、へらへらとそれを見ていて、ついには待ち飽きてしまったようだった。

じゃあな、また遊ぼうぜ。

ヘラヘラとした笑いを俺に向けて、奴らがリーダー格のひとりを中心に、Y字のもう一方の先にある坂を登っていく。

奴らが完全に見えなくなってから、ナップザックを肩にかけ直す。俺の家も、あの坂の上にあるのだ。

ふっと息を吐いたとき、頭上でシャッとカーテンを開ける音がした。

「お前ら、ここじゃないとこでやれよな。」
不意にしたその声に、どきりと声のした方を見上げる。
気にもとめたこともなかった、Y字路に面した人気のない住宅の2階から、こちらを見下ろす影がある。チカチカと、ちょうど窓のそばの街灯が灯った。

俺と同じくらいの歳に見える顔。うちのジャージを着てはいるが、その顔に見覚えはなかった。

「…あ、ごめん。」
そう呟くと、そいつは俺を睨んだ。
「馬鹿じゃないの。」

上がってけば。

ぶっきらぼうにそう言い放って、そいつがカーテンの向こうに消え、ガラス窓を閉める音が続く。

あがってけば、と言った?
でももし、聞き間違いだったら。
てか、いつからそこにいた?

そいつの家らしい、白い壁の薄汚れたよくある家を見やる。玄関も、一階も、そいつの部屋らしき通り沿いの二階の部屋も、どこにも明かりがついていなかった。あんなに周囲の目線を気にしていた奴らが気が付かないのも無理はないのかもしれない。それにしても、誰か1人くらい知ってる奴がいそうなものなのに。

階段を降りる鈍い物音がしてそいつの家の玄関のライトがつくのを、すりガラス越しに認識した。間をおかず、ジャキン、と玄関の重いカギの開く音がする。

細長いすりガラスの向こうで、自分と同じくらいの人影がよぎった気がした。

興味が勝って、失礼します、と心の中で一言断りそいつの家の玄関ポーチを上る。レンガ調の階段を三段登った先で、ここまで来てもやはりよそ様の玄関に怖気付く。

内側から開けてくれる様子もないので、一応小さくノックをして、ガチャリと扉を引いた。
別に何の変哲もない、人様の家だった。傘立てに刺さった三本のビニール傘。踵の踏み潰された古いスニーカー。校則通りの青白い運動靴。母さんが庭掃除の時使っているのと色違いの、色褪せたサンダル。埃をかぶった造花。流石に一人暮らしではないんだろうか。

廊下の向こうで、ガサゴソという音と、わずかな明かり。

「変なとこ開けんなよー。」

廊下の奥からあいつの声がしてはっと我に帰る。
そろそろと靴を脱ぎ、蒸せた靴下のまま板張りの廊下を進む。来客用のスリッパなんてものは見当たらなかった。

廊下の先には開けっぱなしの引き戸があり、ジャラジャラとした木製の昭和っぽい暖簾がかけてある。
そこをくぐると、右手に小さな蛍光灯のついた流し台と4人掛けのテーブル、左手に明かりのついていない薄暗いリビング。外と大して変わらない、冷たい空気。

「そこ、左の壁。電気つけて。」

リビングに佇むあいつらしき影がそう言った。
若干手探りでボタンに触れ、よくわからないまま手に触れた2つとも押す。パチリという音と少しの時間差で、リビングとダイニングの丸い蛍光灯が灯る。

はっきり見るそいつは、やはり俺と大して歳の変わらない高校生に見えた。身長は自分の方が少し低いだろうか。ダルダルのジャージ越しの体格から考えても、色白さからしても、運動部ではないようだった。

「それっぽいお菓子探したけどみかんしか無かったわ。」
そいつはそう言ってこたつに座り込んで目線で俺を促す。

何となく向かいに座って、荷物の重みから解放される。部屋を見渡すのも失礼な気がして、みかんを頬張るそいつの手元を眺めていた。
流石に居心地が悪い。

…家の人は。それとも一人暮らし?何で電気つけてなかったの。そのジャージうちの学校のだよな。学年は?どこまであいつらのこと見てた?学校ですれ違ったことある?名前は…?

「…あいつらにもそうやって睨み返してやればいいのに。」

へらっとした声に顔を上げる。無意識に険しい表情になっていたのかもしれない。あいつが最後のひとかけを口に放り込む。

「それ食ったら帰れよな。」
そう言って、俺にみかんを投げて寄越す。

次の日は朝から冷たい雨だった。部活は校内のジョギング20周と筋トレ。周回遅れの俺の背中や尻をバシバシ叩いてくる奴らがいたものの、それ以上のことはされずに無事終了。早めに終わって、"仲の良いグループ"を装って、いつものように傘に囲まれて帰宅する。最後の真面目君が抜け、またいつものメンツが残る。

Y字路までのじっとりとした沈黙。親指側から侵食してくる冷たい雨。
今駆け出して振り切ったら、やり過ごせるんだろうか。そんな幻想を振り払う。いや、どうせ奴らの方が足が速い。馬鹿みたいに、見えすいた数秒後を受け入れるような諦め。

ふっと、昨日の窓を見上げる。今朝も確認してしまった街灯のそばのひとつ窓。相変わらずどの部屋にもライトはついていないし、あいつの部屋(らしき)窓もカーテンも、人影もなく締め切られたままだった。

奴らが立ち止まる。あいつの言う通りだ。今日もまた、馬鹿みたいな時間が始まる。





「今日はちょっと早かったな。」

雨音の中でも聞こえるくらいには響く声。
奴らも俺も、声のする方にはっと目を向けた。


玄関ポーチの階段の上に、フリースと指定ジャージ姿のあいつがサンダルを引っ掛けて座っている。

「寄ってくだろ。」
俺と目を合わせて、あいつがにやっと笑って立ち上がる。


「入れよ。」
そう言って扉の向こうに消える。


凍りついた奴ら横を、少し早くフリーズから解けた俺がすり抜ける。あいつの家の敷地に一歩入った途端、馬鹿みたいにほっとした。

後ろも振り返らず傘を閉じて軽く水滴を払う。今日はその扉を引くのを躊躇わなかった。



廊下の先の、リビングに向かう。あいつは昨日と同じように、こたつの向こう側でみかんを剥いでいる。
窓の外で雨が降る音がしていた。
随分暗い部屋に、もう場所のわかったライトのスイッチを押して、向かい側に座って足を伸ばす。冷たい指先に、靴下越しにじわりと温かさが滲む。

「ほら。」
そうやって、また昨日と同じようにみかんを放って寄越す。

ミシッと鳴ったみかんの皮から、ふわっと柑橘の香りが舞った。






(約3,700字、16:42〜約3時間半)


***



後書き、書くほどでもないけど後で簡単に書きます。



2023/5/27 15:41
見返してたら後書き載せ忘れてたのを発見。


最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。