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【読書感想文】君の名前で僕を呼んで

2023年2月7日

読んだ本:
アンドレ・アシマン『君の名前で僕を呼んで』(オークラ出版マグノリアブックス)



――多くの人がそうであるように――面白い小説の世界にどっぷりと浸かった後は、どことなく感傷的な気分になる。エリオが波打ち際で夕陽を見ながら、きっとそうであったように。

僕にとって最も悩ましいのは、いったいどこまでを感想文として書き、どこまでを小説ーーまだ手をつけてさえいないーーとして残しておこうかということで、それは人に見せ得るものであるかどうかに関係なく、僕の羞恥心と自己防衛――何十にも張った予防線――のいくつまでにライトが当たるのを許すか、という問題でしかない。

もしこれを僕が公開したとして――公開するつもりで書いてはいるが――、普段と違う文体に気がついた人もいるかもしれない。だってほら、今回読んだ本は海外作家さんのものだったから、僕もその世界観に影響されているんだ。僕はイタリアに住む知的で語学と音楽の才能に恵まれた青年の思考を丁寧になぞってきたばかりで、そう、目の前の白い桃をアプリコットだと言われたらそう信じてしまいそうな気さえする。つまりは、僕の中にそもそも存在していたものを、似た(全く別の)ものだと説かれたらそうかもしれないと信じてしまうだろうくらいには、この作品の主人公エリオは僕に似ていた。

似ている、という表現は厳密には正しくないかもしれない(この英語原文を連想させるような文章が読みづらい、と感じる人がいたら申し訳ないと思うし、それでもしばらく付き合ってくれたら嬉しい)。ただ似ているというより、僕はそれを知っている、と思ってしまうんだ。誰かの笑顔を、それ以上の意味で捉えたことが何度もある。そしてそれが思い違いでも思い上がりでもないのも確かだった。ただそのとき、僕は確かにその相手と――安っぽい言い方だと言われるのを恐れないのなら――心が通じ合っているのを理解していたんだ。だから何も不安はなかった。その言葉に含まれた僕たちだけの文脈を、意図を、絡めた熱を、視線の意味を、何も聞き逃さない、何も見逃していない確信があった。だからエリオの聡さは、僕が知るもののように思えた。かつても、そして今も、ーー僕が僕である以上ーーそれは同じように。


裏表紙のあらすじの最後には、「切なくも甘いひと夏の恋を描いた青春小説」と書いてある。

本当にそうだろうか?「甘くも切ない」の間違いではないか?いやでも、それではごく一般的な青春小説の海に埋没してしまいかねない。これは、こうした描き方の作品は、日本国内には少ない。そして僕は"こうした"描き方をする(海外)作品が好きだ。


海外のファンタジーを読み漁って過ごした小・中学生の頃を思い出す。中学の図書室では、窓際の本棚3つ分が海外作品のコーナーだった。窓に向いた背の高い本棚と、窓のすぐ下、腰の高さの小さな壁際の本棚が同じく三つ並んでいた。その窓際の低い本棚の上、――カーテンが触れあわない程度に窓際に余白を残して――僕らは在学中の三年間に、注文した本でそこに2列めの本棚を作ってしまった。中学生活で最大の達成感はあの本棚だった。海外作品をそれほど読んだ人は、僕らの前にも、当然後にも、存在しなかっただろう。だから永遠に、貸出カードの返却起源の印字は2012~2015年で止まっているかもしれない。



随分と脱線してしまったけど、そう、海外作品独特の雰囲気というのは存在する。それは文章の流れに始まり、文章による表現の仕方――例えば情景描写の有無やその描き方など――から、実は大事なのはここなんだが、内心の声の描き方が全く異なる。
地の文――会話文ではない通常の文章部分――で、つらつらと心情が綴られる。そんなの日本の作品にもあるって?確かにそうだ、特にライトノベルと言われるもの――ぱっと思いつくのは“俺TSUEE!系”と呼ばれるような異世界転生無双系のライトノベル――では、そうした地の文での心理描写――というか駄々洩れる心の声――が描かれやすい。
でも、僕がここで言っているのはそういうものとは少し違う。もっと本音に近いものだ。ふっとよぎる期待や不安や絶望や悲嘆そのものだ。日本の作品は、少しだけ客観的、ラブコメ的だと感じることもあるけれど、そういうんじゃないんだ。
まるでエリオに乗り移ったみたいに感じるような、そういう等身大の心の声がこの作品の大部分を占めている。

唯一、僕が理解できないところがあったとするなら、それはこのタイトルの伏線が回収されるところだ。タイトルは、確か物語の中盤で回収されるが、その指し示すところが何かは理解しても、その感情は分かった気になっても、自分事に落とし込むことはできなかった。別の言葉で表現するならば、「僕の名前で君を呼ぶ」ことは上手く想像できなかった。でも、それだけ。だから電話口で僕の名を口にしたオリヴァーに、その概念を抱えたまま(伝わるかわからない、伝わっても伝わらなくてもいい深い親愛を込めて)“僕”だよ、と言うことはできるだろうと思った。

僕は、エリオがあの夏を“乗り越えた”とは思わない(オリヴァーはある意味、乗り越えたのかもしれないが)。エリオは失うものがなくなっただけだ。もしくは、もう失わなくて済むだけだ。あの夏は薄れないが、それがエリオにとって最大の幸福であったかはわからない。
もしかしてら、エリオだっていつか町の教会の敷地の隅に、こう彫ってもらうのかもしれない。

――I NEVER FORGOT――
“忘れなかったさ”って。

切なくも甘いひと夏。それはきっと違う。
これは、甘くも切なく、切なくも甘い、かつて青年だったエリオの生涯を描いた作品だ。

最後のシーンを読んだ瞬間から、冒頭へと意識が移っていく。
だってほら、きっとこれは、エリオが幾度となく思い返しただろう回想の目録でしかない。




***
続刊「Find Me」も読んでみたいです。




紹介した作品



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余談

この作品が、BLの棚に並んでいるのが、少しだけ悔しいような気もしてしまう。
もちろん、BL小説を読みなれた人には受け入れられやすいのは確かだろうし、反対に、BL小説を読んだことのない人――あるいは同性同士なんて無理だという人ーーとのミスマッチ(による低評価)を避けるためには、そうした方が安全かもしれない。
でも、これは恋愛小説の棚にあってもいいと思うし、でもハーレクインのようなラブロマンス小説とも少し違う気がする。でも、ライトノベルではなく、どちらかといとヒューマンドラマや青春群像劇、のようなものにも近い。

だけど、BLの棚という、一部の人しか目に留めない――その棚の前を通ることも避けるような――場所にひっそりと並んでいるのはもったいないと思ってしまうのだ(実写映画化されているので、その映画化の時期には店頭にも並んでいたような気もするれど)。


不器用で臆病な好奇心と期待。等身大の葛藤と自尊心、無関心を装う言動と相反する心の乱れ。振り回される感情の高低差、そして諦観と無防備な無敵さ。あるいは、諦観と安堵の中ふっとよぎる雪解けの風を振り払う瞬間に。もしくは、時折蘇る結晶の記憶に。

そのひとつでも身に覚えがあるという方に、是非おすすめしたい作品です。



読書中聴いていた曲
ヨルシカ『アルジャーノン』



お借りしたヘッダー画像はスノードロップの写真です。スノードロップくらいの、一瞬ちょっと怖い花言葉(もあるとされる)くらいが、こうした(恋の激動を描き切った)作品にはちょうど良い気がしました。
素敵な作品をありがとうございます。

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