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インフルエンサーとチラシの裏〜読まれたいと書きたいの狭間で〜

せっかく書いた記事を安定してたくさん読んでもらうためにはフォロワーを増やせばいいのだけれどそう簡単ではないよねという話。

かつてインターネット上の掲示板などでは、毒にも薬にもならない独りよがりの個人の日記のような発言をすると「そんなものはチラシの裏にでも書いておけ」と揶揄されたものです。

近年、「そんなものはチラシの裏にでも書いておけ」を目にする機会はめっきり減ったように思います。インターネットにおける交流の主流がSNSに移ったからです(私が移っただけかもしれません)。SNSは言わば個人が「チラシの裏」に好き放題に書いてばら撒いているようなもの。ばら撒かれたチラシを受け取るかどうかは、受信する側に選択権があります。ばら撒かれたチラシを拾い上げておいて「そんなものはチラシの裏にでも書いておけ」といちゃもんをつけるのは理不尽な話というわけです。

私のnoteはどうなのかと言えばこれもまた「チラシの裏」の集合体です。Twitterの延長線上で私が140字で語りきれないことを語っているだけなので、フォローしていただいている方には申し訳ないなと思いつつ、ほとんどの人にとっては毒にも薬にもならない話が多く、話題の統一性もありません。しかしながら数打てば当たるとはよく言ったもので、50記事にひとつくらいはたくさん(当社比)の人に読まれる記事が生まれます。

この価値ある「チラシの裏」こそが俗に「コンテンツ」と呼ばれるものの原石なのでしょう。「コンテンツ」とは良くも悪くも人の心を動かすものだと私は考えています。共感なのか。反感なのか。何がどうして人の心を動かしたのかを考察し、再現性高く「コンテンツ」を生み出すことができれば、もっと多くのフォロワーを獲得することができ、もっと多くの人に読んでもらえそうです。

noteのフォロワーが増えるということは、読者の興味が「記事」から「人」に遷移するということだと思っています。「私」のよく読まれる「記事」は、今のところ「記事」に何かしらの魅力があるからよく読まれているのであって「私」に魅力があるから読まれているわけではありません。その証拠として記事のビューがいくら増えてもフォロワーが増えることはほとんどありません。あくまでそのとき限りのその記事限りの一過性の繋がりなのです。

なぜフォローに繋がらないのかは逆の立場で考えてみればわかります。検索したり、紹介されたりして魅力的な記事に出会ったとき、私がすぐに作者をフォローするかと言われればそんなことはなく、だいたいは記事をひとしきり楽しんだあとにページを閉じて終わりです。「他の記事も読んでみるか」から「この記事も魅力的!」を経て「この人の書く記事は魅力的!!」となったとき、初めてフォローしようという気になります。この流れを促すための「このクリエイターの人気記事」という便利機能ですが、50記事にひとつくらいしか「コンテンツ」がない状態ではあまりうまく機能しないでしょう。

「コンテンツ」と呼べる記事が少ない中でフォロワーを増やす裏技的な方法もあります。それは自分自身を「コンテンツ」にしてしまうことです。「記事」から「人」への遷移を待たずに「人」から入らせてしまうパターン。「この人の書く記事は魅力的!!」のさらに向こう側の「この人は魅力的!!!」の境地に至るのです。「記事」で自身に惹きつけることは「鶏が先か卵が先か」のような話になるので、この場合は「記事」以外の武器で魅力を発揮して集客することを想定しています。

芸能人がわかりやすい例で、彼ら彼女らの書く記事は、「記事」に何かしらの魅力がなくても「彼ら彼女ら」に何かしらの魅力があるのでたくさんの人が読んでいます。「おはよう」だけで数百の返信がきているのを見るととんでもねぇなと思います。ポテチとの自撮りをあげればポテチが売れたりするのです。あらゆる「チラシの裏」が「コンテンツ」に。いわゆるインフルエンサーですね。インフルエンサーには「チラシの裏」がないのです。それでも弱点はあって、裏を返せばすべての「チラシの裏」が注目の的とも言えるので、不用意な発言をすると容易に炎上してしまいます。注目を浴びれば浴びるほど、世に出す「チラシの裏」は厳選しなければなりません。

いやいやインフルエンサーになるほうが難しいのではと言われればその通り。インフルエンサーになれるだけの武器が手持ちになければ、結局「武器」を手にするための時間が必要になります。

ローマは1日にして成らず。

凡人は自分がたまたま生み出した「コンテンツ」を分析することで地道に「チラシの裏」を「コンテンツ」にレベルアップさせる自分だけの法則を見つけ出すのが堅実です。「たくさん読んでもらうためには」「フォロワーを増やすためには」的な他人のノウハウ記事を読んで実践するのもよいでしょう。しかし何も考えずに雑に取り入れることは、記事のジャンルを絞ることや、記事から自分らしさが消えてしまうことに繋がります。尚のこと毒にも薬にもならない無個性なものになってしまいかねない点は注意が必要です。

こうして考えてみると、好き放題に「書くこと」と安定して「読まれること」を両立させるのは至難の業であることがわかります。読まれたいがために迷走しそうになっている人がいたならば、いま一度、自分の胸に手を当てて聞いてみてください。はい、私です(胸に手を当てながら)。

読まれたいですか? 書きたいですか?

自身の宣伝などのマネタイズをしているわけでなく、どちらかと言えば「書きたい」だけの私は、無理にフォロワーを増やそうとせず、自然と集まった身の丈に合った数のフォロワーに向けて、好き放題に「チラシの裏」に書き殴るくらいが気楽です。それでいて徐々にフォロワーが増えていくのが理想の形なのかもしれません。

本項がまさに「チラシの裏」。フォロワーのみなさん、いつもとりとめのない私の話に付き合ってくれてありがとうございます。これからも引き続き、よろしくお願いいたします。

余談
「書くこと」と「読まれること」を両立させるのが難しいなら「書くためのアカウント」と「読まれるためのアカウント」を分けてしまえばいいじゃない。それはそう。特に商業的に使うならターゲットに合わせた商業用人格を用意した方が効率がよさそうなことは想像に難くありません。趣味でそこまでやるかといわれると……私は管理がめんどくさい。

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