勇気の分け前

 僕らが、欲してるのは勇気を発したことによる分け前だ。
 人間は欲深い生きものだ、ただで行動を起こすことは無いし、
ただ同然で、声明を発表し、自分から生きる事を決意することも無い、
だから、そんな欲求の発露に、まだまだ余地があると自身で考え、
ひたすらに、努力を重ねて行くことが大事と言ったらそうだが、
とにかく僕は勇気の分け前が欲しいのだ。

 勇気を無くすと、もはや人間を務める事さえ難しくなり、
やがて、死に絶えてしまうのはよく知れてる事である。
 だが、勇気が無いのには理由がある、いつかは手に入れると思ってる。
数々のアイテムが、自分自身を助けてくれることを望んでいるにも、
関わらず、まだまだ、延命の為の努力を怠っているわけで、
辛い考えが反復横飛びする。 眠さも増す。

 僕は勇気を出したい、本音ではそうだ、
何もかも、突拍子も無く軽く飛び越えられる世界観に、
没入して、そこで永遠の物語を紡ぎ、あらゆる人を魅了し、
結果として、多くの鍵を手に入れて、世界を自由に、
動き回れるようになるのが人間としての楽しみである。

 が、この世界はそこまで自由に発せられる勇気で出来てない、
僕の為にある勇気の分け前は簡単には得られない、
重ねなければならない業が深いものになっていて、
自分からあらゆる勇気に打ち克つ芯の強い勇気を手にしないと、
他の同業種の勇気に勝てやしない、そんなことを考えると、
僕らの勇気は圧倒的に弱ってしまっているのだと、
即座に実感できる物でもあるのだ。

 やはり、僕らは勇気の為に生きていて、
その勇気の為なら、なんだって出来ると証明しないと、
勝利は掴めない、勇気の分け前は勝利の味だ。
 欲しいのはいつだって自分に勝利したという実感、
自分の矮小なる欲求に打ち克っていまここにいるんだという、
他とは違うという万能感に包まれて、パッケージされて、
自分は特別なんだと浸っていたい。

 でないと本当に壊れてしまうからだ、
人間は脆い、あまりにも簡単に自分を晒して、
簡単に、突かれて壊れる運命を有している。

 だから、勇気の分け前を得ようと考えたら、
ひたすら、弱いことを弱い部分を隠しながら、
自分の得意な事を伸ばす気持ちで勇気を発する。
 その必要がある、確実に勇気を紡ぎ続ける、
その必要がある、僕らは勇気で生きる生命体だ。

 人間を弱くしたのは、得られるものがこの世で、
本当に少なくなったからで、知らず知らずに、
世代の持つ利点など弱点に変わっていってしまい、
皆が持った特徴は理解すれば欠点とも言える。

 スマホを手にした人類はスマホにより、
勇気を奪われ、退化もしたのだ。

 手に入れた物を手に入れたもの以上に扱える、
それこそが人間の理想であるが、そうはうまくいかない、
皆、自分の手にしたもの以上の働きは出来ない、
そう、せっかくの経験も体験も、
自分以上にはならないのだ。

 そこを勇気が塗り変えてくれると信じている。
君の勇気が、僕が発した勇気の分け前、

あたえてくれ、どうか、勇気の分け前を。






 おしまい

この記事が参加している募集

#note感想文

10,617件

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!