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ちょっと面倒な季節の変わり目

 さてジャケットはどうしようか?
少し、熱くなってきたような気もするし、
まだ朝は寒いような気もする。
 風があると、綿の入ったジャケットをしてたほうが、
何かと、楽な気もするし、とジャケットってこういう、
言い方であってるのか、分からない、知能が無いことが丸わかり。

ロボットを描くのは面倒臭い、色んな動きを想定して、
描く部分を細かく描くし、色に関しても複雑に入りこんでる。
 そんなこんなもあって、滅多にロボットは描かない、
描いてもいいが、色が上手く思い浮かばないと、大概、
ちょっとショックを受けるので、苦手意識がある。

 僕が、小さい頃から絵を描いていたなら、もっと、
自由に絵を描けたのだろうけど、あいにく、
僕は、絵を描くことをしてなかった、あまり、
想像はあるが、絵を描くことが苦手だったので、
結構、無理して絵を描けるようにした覚えがある。

 ということは自然自然と、絵を描くこと自体が、
苦手意識の塊という事もあってか、
 僕は本当は絵を描きたくない気持ちが強い、
それでも絵を描こうとしているのは、唯一の特徴だからだ。

 僕は無個性な人間だ、その極みといっても過言ではない、
何故なら、まず僕は興味を持つ事が少なく、
すべての事柄が、人任せに生きてきているから、
何をやっても失敗を恐れて、行動が後手後手になり、
そこからどんどんと崩れていって、現在に至るからだ。

 僕が病んだ原因も、結局は無個性なまま、
今を過ごしてきたことに由来する、自分の得意が無くて、
それを脱しようと無理をした結果、跳ね返ってくるダメージ、
そのダメージをままにして、傷がまた一つ増えたと、
生物として、まだまだ、やりたいことをふわふわさせてる。

 今という時代は好きだと思ったものがすぐに、
手元に現れないと不安になる時代だ、故に、
絵を描くという事は、時間が掛かりすぎる。
 自分の本能をすぐに満たしてくれる力が足りない、
絵を描かなきゃ満たされないという状態は好ましいが、
絵を描いたら満足してしまって、動けなくもなる。

 そう、描けば描くだけ動きが鈍くなるのなら、
どうして絵なんて描くものだろうか?
 僕はもっと自由に描けるようになりたい、
正直な所、ひとつの絵にそんなに時間を掛けたくない、
もっと沢山、もっと早く、もっと量を描きたい、
それが自分を届ける手段だと考えているし、
はやく目標に到達するのはいいことだと考えている。、

 なんにしても時間は限られている。
僕に残された寿命も時間もそんなに多くは無い、
尽きた時に残っているのは不名誉な時間だけだろう。

 僕は我慢できない。



おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!