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僕等は全然友達なんかじゃない。

先日、メルカリに出店していたある芸能人のサインが72000円の価格で売れた。早速発送に取り掛かる。送り先の住所は長野県だった。内陸の山々に囲まれた自然の中でこのサインが買い手の元に届き、再びその人の心を焚きつけるのであれば、サイン色紙も本望だろう。そう思いながら額縁に入れ込んだサイン色紙と最後の別れになって少し切なくなった。

2012年の夏。テレビ局のイベントブースのようなところで行われたファンイベント。友達と応募して500人限定のイベント参加を勝ち取ったのだった。まずは簡単に女子アナウンサーが挨拶と注意事項を述べる。そしてご本人の登場と言う流れだった。今回どうしても参加したかったのは別の意図がある。それはほぼ同世代の芸能人と会場で会話することがあれば、是非友達のようになりたいと思っていたのだった。なんとも馬鹿馬鹿しい話かもしれないが当時は一回会って話さえすれば友達になれる自信があったのだ。それはその芸能人の趣味や人間性に強く共感を感じざるを得なかったということ。そしてそれぞれの歩む道でどこが2人が出会う形で交差していれば私は親友になれると思っていた。そしてその日がこの会場に違いないと確信していた。会場は芸能人の座るステージサイドとパイプ椅子がきれいに正方形で並び、番号で管理されていたファンスペースで分けられていた。私と友達はその正方形のちょうど真ん中あたりに座っていたのだった。

そして、アナウンサーの紹介をきっかけにご本人が登場。私の席の斜め後ろのファンが大声で叫び、その声にビクッとおののいてしまう。会場は掛け声と同時に熱気に包まれた。まずは簡単に一言述べてから、イベントは進行していく。その発言一つ一つに斜め後ろのファンが「かわいい。」なり「そうだよね。」「好き。」とぼそっとつぶやくのがかなり耳障りだった。軽く後ろを振り向いてその人を確認すると、メガネをかけた白髪まじりのオバハンがずっしりとパイプ椅子に腰掛けていた。その見た目が、山村紅葉に少し似ていたのでここでは山村紅葉とそのファンを呼ばせてもらう。

イベントは中盤、来季出演する映画の告知も兼ねて開催されていたため、先行でPVを見たり、演技や撮影の際に苦労したことなど、楽しく進行が進んでいた。もちろんその間も山村紅葉のTwitterのようなつぶやきも続いていた。後半は気にならなかったけど。イベントも終盤に差し掛かった時、女子アナウンサーが500名の中から抽選5名に直筆のサイン直接本人から手渡しでもらうファン熱狂の企画を発表した。会場の興奮が収まらず、進行がすすまないくらい声でどよめきあっていた。抽選方法は芸能人が1から500まで書かれた抽選箱を引いて席に書かれた番号に座っていた人にサイン色紙が与えられるのだ。これは欲しいという感情よりも遂に来たと思った。彼と接触して友達になるチャンスだと。彼の演技やフジファブリックをこよなく愛しているところ。芸人さん尊重しているところや、女優さんや俳優さんと本当に仲が良いところなど。彼の表現するもの全てがリスペクトすべきアーティスト性に惚れ込んだ。そして我々は友達になれる。これはきっかけに過ぎないが、絶対に当たってほしい。

神様なんて信じないが、信じる者は救われるとここぞとばかり願掛けして、お願いするのだった。「どうか神様当たりますように。」彼が箱の中から番号を引っ張り上げる。彼が口にした数字は私の番号を読み上げていた。ハートブレイクショットを撃たれたがごとく一瞬何が起こったか把握できず呆然としていた。隣に座っていた友達の方が興奮していて私の肩をバンバンとたたき私を現実に引き戻していくのだった。現実に戻れず少しふわふわしていたが、アナウンサーがテンション高く祝福し、ステージ上に移動するよう指示を受けたので移動していた。その際後ろから山村紅葉の舌打ちが聴こえた気がする。まぁ山村紅葉のものではないかもしれないが。そしてステージに上がったまま、残りの抽選が行われ、5人がステージに上がっていた。もちろんそこに山村紅葉の姿はなかった。

そして最初に当たってしまった私は壇上で直接芸能人からサインを手渡しでもらう。そのとき最初に話す会話は決めていた。「俺もフジファブリックが本当に好きで、「茜色の夕日」には泣かされたんです。」と開口一番に伝えること。そして2人の親交が始まり、親友になることができる。そしてその瞬間が訪れた。彼を前にしてサインを受け取り言葉を出そうとした際、彼の方から「今日は本当にありがとう。男性の‘ファン’がいてくれるとすごく嬉しいんです。」と声をかけてもらった。その一言を言われた瞬間、今更ながら気づかされる。彼にとって私は一塊のファンであって友達なんかになり得ない一般人なんだと。なんとなく友達になれるんじゃないかと思っていたが、周りの環境や住む世界が違うんだと思わされた。彼はサラブレッドだとしたら、本当に私なんてロバに過ぎない。走るスピードが全然違うし、何より走る道が違うのだ。どこかで重なっていればなんて事はない。競馬場で走り人々を魅了する名馬をみて、憧れるふれあい牧場のロバだった。彼は俺と交流があっても今後もファンであって、友達なんてなり得ないのだ。

「このサインは僕の大切な家宝にします。」
そう言いのこして、私はステージから降りてサインをしっかり握りしめながら、ファンはファンらしく誇らしげに、山村紅葉にサインを見せつけるようにして着席するのだった。

あれから8年。いまだに人気冷めやまないあの芸能人のサインは、諭吉7枚と野口2枚で交換された。友達になれなくてただファンとして「家宝にします」と言ったことは嘘ではない。そしてこの8年は本当に肌身離さず額縁に入れて飾っていたのだ。この時間と過ごした日々に嘘なんてものは存在しない。ただ、このサインを持ち続けることと、今置かれている状況や明日を生活していく道を考えた時、大切だからこそ決断したのだ。「家宝」にすることを‘諦める‘という選択を。サインをもらったあの日あの時から一歩でも大人になったの実感できることがあるとすれば、それは'諦める'という行為や選択を身に付けたことだ。ちなみに「諦めない」「やり遂げる」「最善を尽くす」などという行為を大前提にした上でその中に「諦める」という選択肢を選べるようになってから、今まで辛くてどうしようもなかった気持ちや葛藤がスーッと解放されるようになった。そうしてリセットした気持ちの容量分また「やり遂げる」行為を作ることができるのだ。そして'諦めるべきではなかった'という後悔が残る選択をしないよう見極める力が年齢とともに成熟させるのだ。

サインの筆が走る方向に沿って、そっと指先でなぞりながらあの日のイベントを思い出す。私はあの日あの瞬間から'諦める'を憶えたのかもしれない。友達になれると「絶対」思っていたことを諦めたあの瞬間から。そして少しだけ生きやすくなった気がした。諦めていいことが身についた。まぁ意識したことはなかったけど。

そしてもしもこのサイン色紙を購入した長野県の方が、あのイベントにいた山村紅葉ならいいのになって思っている。彼女があの日からこのサイン色紙を'諦めない'で手に入れてくれたなら、私はより一層、'諦め'甲斐があったと言えるから。

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