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出来事

朝は「8:20」目覚めの悪い身体を持ち上げる。
条件反射で支度をして職場まで母を送る。
これで車は私のものだ。

そして一旦帰宅する。二度寝をした。
結局「11:00」に起きた。

太陽は既に頭上高くへ昇っている。
今日は暑い。すごく暑い。

とりあえず、昼食でも食べに行くか。
車を走らせた。

今日やったこと

•カーテンを開ける
•布団を畳む
•掃除機を掛ける
•シャワーを浴びて髭を剃る
•洗濯機を回し洗濯物を干す
•昼食を食べる
•海までドライブ
•読書
•昼寝
•note

昼食後は満腹感で大変眠かったが、"海に行く"と昨夜から心に決めていたので身体に鞭を打って車を走らせる。

10分ほど行くと海が見えてくる。
波の音が聴こえる。潮の匂いがする。

近くのカフェテリアでアイスコーヒーを買った。

海岸沿いの堤防の段々の上から2番目に腰掛ける。

雲が出てきて太陽は隠れてしまったが、そのお陰で幾分暑さがマシになった。時折吹く風も心地良い。

コーヒーを啜りながら読書を始めた。

今日読むのは「ひとり暮らし(新潮文庫) 谷川俊太郎著」


ペラペラとページをめくっていると、本の"のど"の部分に水滴が一滴ついていた。コーヒーに結露した水粒だろうか。

天を仰ぐと暗い雲が広がってきているのが見えた。すぐにぽつりぽつりと降り出してきた。急いでカフェテリアまで戻ってテラス席に座った。

そして、ゆっくりと読書を再開する。

ゆとりとはまず何よりも空間のことである。
ラッシュアワーの満員電車のように、心がぎゅうづめになっていてはゆとりはもてないだろう。

心にぎゅうづめになっているものが何であるかは関係ない。それが欲であろうと、感情であろうと、思考であろうと、信仰であろうと、動かすことのできる空間が残っていなければ、息がつまる。

そして動かずにこり固まってしまうと心はいきいきしない、他の心と交流できない。

「ひとり暮らし」 谷川俊太郎著 より

今の私の心の隙間にすっぽりと収まる文章が出てきて驚いた。ゆとりがない心は窒息するらしい。多分、最近の私にはゆとりがなかったんだなと霞が晴れていくような気がした。

そのうち、天気も回復してきた。
再び先ほどの定位置に戻って読書を進めた。

しかし、次第に額や鼻に汗が吹き出すのを感じる。太陽のやつが顔を覗かせているせい。やつは、私の黒シャツの背中や半袖の無防備な腕をジリジリと炙りはじめた。

我慢できない。
エスケープする。
砂浜に降りて少し遊んだ。

砂浜には疎な観光客がいた。老夫婦や小さい子供連れ。それを遠巻きに眺めながら、いくつか写真を撮ったり、波打ち際に立ったり、ロックバランシング(のつもり)をしたりした。

後から調べてみたのだが、ロックバランシングとは程遠いものが出来上がっていた。本職の人には敵わないな。私のそれはさながら賽の河原であった。

「15:20」
そろそろ母を迎えに行く時間なので海岸を後にした。東京へ帰る前にまたここへ来よう。その時はロックバランシングのリベンジをするつもり。



おまけ(今日の写真)

空と海
作品「賽の河原」

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